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柿本多映 ビールの定番のおつまみといえば枝豆ですが、枝豆は夏ばて解消にとっても効果の高いビタミンB1,またビタミンCやAも豊富に含まれている優秀食品なのです。 枝豆は大豆の未熟豆で、豆と野菜の両方の栄養的特徴をもっています。大豆は穀物として古くから栽培されていましたが、枝豆が栽培され始めたのは300年程前からだそうです。
2008年10月6日
成井 侃 どうぶつたちの横顔 | Animal Profile | Profile 08/ゆっくりふわり、オオゴマダラ
www.tokyo-zoo.net/topics/profile/profile08.shtml 多摩動物公園の昆虫生態園に入って目につく大きな白黒模様のチョウ──それがオオゴマダラです。ゆっくりふわふわと飛ぶすがたから、「シンブンチョウ」(新聞が風に舞うような蝶)といった俗称もあります。蛹は光沢のある金色をしており、自然のものとは思えないほどです。日本国内では、沖縄諸島や先島諸島に生息しています。
小西雅子 最近畑仕事を少し始めた。母親がずっと続けてきたのだが体力が落ちてきたからである。そして野菜作りにちょっと興味を持った私は『ズボラ菜園コツのコツ』という本で只今研究中である。このズボラ決してただのズボラではない。農作業をしていると秋の蝶もまた違って見えてくる。「船団」(2008年 3月)より。(小倉喜郎) 摂津幸彦
曼珠沙華思へば船の出る所 昨年の今ごろ埼玉の高麗へ曼珠沙華の群生を見に出かけた。鬱蒼と茂る緑の樹下のどこまでも真っ赤な曼珠沙華が広がり広がり続くので不安になった。「曼珠沙華叫びつつ咲く夕焼けの中に駆け入るひづめ持つわれは」(小守有里)という歌のままに、この不思議な花を見つめている自分が内側から歪んでゆくような妙な気分だった。地面からするすると緑の軸が伸びてきて花を開くのが彼岸どきというのも出来すぎている。摂津の句は夢のようなつじつまのあわなさが魅力であるが、この句の場合は「曼珠沙華」と「船」が現実と非現実を結ぶ紐帯となって読み手を不思議な世界へ誘う。ゆく船を見送る寂しい気持ち。その気分は「曼珠沙華」が呼び起こすあの世への旅立ちとも繋がっている。「思へば」という動詞が現実の曼珠沙華から船着場の映像をだぶらせる効果的な言葉として働いている。摂津の句を読んでいると実人生と言葉の二重性を生きた人のせつなさが感じられてしんとした気持ちになる。『摂津幸彦全集』(1997)所収。(三宅やよい)
高橋修宏 泥酔した私が首を回した瞬間に昼間見た彼岸花がよみがえってきたのだろうか。この瞬間、一瞬作者はしらふに戻ってしまったのである。泥酔して意識が薄れていく中で時々我に返るところに共感する。泥酔も時にはいいものである。作者は1955年生れで鈴木六林男に師事。第2句集『蜜楼』より。(小倉喜郎) 1976年のポーランド。映画大学の女子学生アグニェシカ(クリスティナ・ヤンダ)は、彼女の第1回ドキュメンタリー作品としてテレビ局で仕事をすることになった。彼女は、50年代の労働英雄の姿を描くことで、その年代の人々や周囲の状況を伝えようと思いあたり、主人公の調査のため博物館に行った。そして、その倉庫の隅で、かつて有名だった煉瓦積みエマテウシュ・ビルクート(イェジー・ラジヴィオヴィッチ)の彫像が放置されているのを発見した。ビルクートは、戦後のポーランドで最初に建設された大工業プロジェクトの建設に従事した労働者だったが、現在の消息は不明だった。そして、生き証人とのインタビューを通じて、彼女は、一人の労働者を浮き彫りにしてゆく。映画監督ブルスキ(タデウシュ・ウォムニツキ)は、当時統一労働者党員が組織したデモンストレーションでビルクートは煉瓦積みの新記録を打ち立てたと語った。マスコミは彼にとびつき、彼を描いた映画で、ブルスキも監督として新しい道を歩むことになったのだ。次に会ったミハラック(ピョートル・チェシラク)は、もと保安隊の将校で今はストリップ劇団の座長をしているが、彼はビルクートの経歴を詳しく知っていた。ビルクートは煉瓦積みのチームの班長だったが、そのデモンストレーションに参加した時、熱く焼けた煉瓦を渡された。それはサボタージュの意図だったのだが、同僚の一人が犯人として疑われた時、ビルクートは彼をかばい、共に刑務所に送られることになり、ビルクートは職も名誉も失つてしまったのだ。出獄したビルクートは、入獄中に別れた妻を探していたということだが、めぐり逢えたのかは定かでなかった。ビルクートの前妻がザコパネにいるらしいということからその町を訪ねたアグニェシカは、彼女に会った。そして、彼女の悲惨な生活と夫との再会の話に胸うたれた。しかし、主人公がみつからなくては映画は完成できないだろうということでテレビ局が、彼女の企画を没にしてしまった。困ったアグニェシカは、父(ズジスワフ・コジェン)に相談する。父は、彼女に平凡な真実こそが何よりも大切であること、映画が完成するということよりも、彼女が追求したそのものが真実だということを説明する。彼女は、ビルクートの息子がグダニスクの造船所で働いていることを知り、彼を訪ねた。ビルクートはすでにこの世になく、それ以上のことは、息子の口から聞き出せなかった。しかし、彼女はあきらめない。彼女はビルクートの息子と共にワルシャワに向かった。
中谷三千子 もちろんこの句の体重計は最新のものではなく、従来の乗れば体重だけを表示すものである。ずいぶん長い間使ってきたものかもしれない。秋の夜の風呂上りに体重計に乗っては「ふぅ~」とため息をつく。体重計は作者の日々の生活の隅々までお見通し。家族のこと恋人のこと。結局この体重計は作者自身でもある。作者は秋の夜長に自分と対話しているのであろう。「船団」(2008年 3月)より。(小倉喜郎) 佐藤みさ子 いずれにせよ、平凡な観念に落ちた俳句よりもずっと俳句的、いや、詩的と言える。『呼びにゆく』(2007年 あざみエージェント)より。(小倉喜郎) 河辺克美 お向かいとまではいかないが、車で10分程度の所に、彫刻家がいることを最近知った。たまたまあるイベントの句会で出会ったのがきっかけとなり、今ではメール句会をしたり、この夏には実際に句会もした。句会が開かれた部屋にはもちろん、玄関や庭にも彼の作品があった。『花野の麒麟』(2007年 花神社) 所収。(小倉喜郎) 阪西敦子
日の丸を小さく掲げ島の秋 明るい句である。日の丸の赤と白、高い空と島を取り囲む海の青、そのコントラストは誰もが感じるだろう。島、というから、そう大きくはない集落。そこにはためく日の丸を、小さく掲げ、としたことで、広がる景は晴々と大きいものになった。日の丸はどこに掲げられてあり、作者の視点がどこにあるのだろう、といったことを考えて読むより、ぱっと見える気持ちのよい秋晴れの島を感じたい。実際は、この句が詠まれた吟行会は、神奈川県の江の島で行われたのであり、日の丸の小旗は、入り江の漁船に掲げられていたのだった。しかし、それとは違う日の丸を思い浮かべたとしても、作者がとらえた晴々とした島の秋は、読み手に十分感じられることだろう。同じ風が吹いているその時に、もっとも生き生きとする吟行句とは一味違って、色褪せない一句と思う。「花鳥諷詠」(2008・七月号)所載。(今井肖子)
細川喨々 さてこの句だが、サラリーマンの仕事帰りであろうか、いつも買っている築地で新鮮な魚を買ったのではなく、パンを買ったところがいい。それも明日の朝のためのパンを。別段特別な意識もなかったのだが、たまたまその日が二百十日であっただけなのである。 このように農業から離れ、普段の都市部での生活との取り合わせが返ってこの季語の存在を印象付けている。「築地」という響きが心地よい。句集『二日』(2007年 ふらんす堂)所収。(小倉喜郎)
江渡華子 この句は『光陰』(2007年 赤々社)から引いた。彼女もまた20代の船団のメンバーで、この句集は高校、大学時代の句を一冊にまとめたものである。なんと羨ましいことか。「田水沸く今日は川を見に行く日」「月夜茸やせた男に触れており」など、読ませる句が多い。(小倉喜郎) 中谷仁美 出たばかりのドクター中谷の第1句集『どすこい』から引いた。「冬めいて空はハシビロコウの羽」「夕凪はハシビロコウの羽の中」など、彼女はアフリカに住む嘴が大きく、目つきの鋭いハシビロコウという(コウノトリに近いらしいがサギのようでもある)大きな鳥を愛し、その句も多い。この句集の表紙にはちょっとカワイイその鳥がこちらを向いて立っている。その横にはシャレた「どすこい」の文字。相撲ファンでもある彼女は琴光喜もまた愛していて、「がっぷりと夏寄り切って琴光喜」などがある。この愛し方は、そしてこの句集はただ事ではない。(小倉喜郎) 田坂妙子
行き先の空に合わせる夏帽子 季語は夏帽子。帽子をかぶるという行為にはいろいろな理由があるのでしょうが、わたしの勤め先には、電話中も会議中も常に野球帽をかぶっている男性社員がいます。見た目を気にしてなのか、別に特別な理由があるのか、知る由もありません。ただ、この句の帽子には明確な理由があります。暑さや日ざしを防ぐためという実用の面から見るならば、帽子はたしかに夏がふさわしいようです。句の意味はわかりやすく、行く場所や時間によって、着てゆく服を選ぶように、行き先によって帽子を変えているのです。面白いのは対象が、人や場所ではなく、その上に広がる「空」であることです。空の色や光の加減によって、どの帽子にしようかと悩んでいます。なんとも美しく、きれいに透き通った悩みです。帽子を選んでいる部屋でさえ、中空に浮かんでいるような気分にさせられます。発想の中に「空」の一語が入り込んできただけで、これほどに読んでいて気持ちよくなるものかと、空の力にあらためて感心してしまいます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2008年8月18日付)所載。(松下育男) わたなべじゅんこ 「処方箋もらって終わる稲光」「蕨餅奈良には大きな石ばかり」「おやすみをかわす関係柘榴の実」など多彩である。また表紙はわたなべさんがその作品に一目ぼれしたという銅版画家の坪山由起さんの作品が使われている。黄色ベースにコバルトブルーが美しい。坪山さんはこの10月に船団とのコラボレーションも予定されている。 (小倉喜郎) 原田青児
別れとは手を挙げること鰯雲 今年の八月七日早朝、立秋の空にほんのひとかたまりの鰯雲を見た。朝焼けの秋立つ色に染まる鰯雲をしばらく見ていたのが午前五時過ぎ、小一時間の朝の一仕事を終えて再び見た時には消えていた。それから半月後の旅先。一面の稲田を青い稜線が取り囲む広い空に、すじ雲が走り、夏雲が残り、鰯雲が広がっていた。帰京してこの句を読み、その見飽きることのなかった空が思い出される。別れ際というと、会釈する、手を振る、握手する、見つめ合う、抱き合う等々、その時の心情や状況によってさまざまだろう。そんな中、手を挙げる、から連想されるのは、高々と挙げた手を思いきり左右に振って、全身で別れを惜しむ人の、だんだん遠ざかる姿だ。その手の先に広がる鰯雲の大きな景が、別れを爽やかなものに昇華させているのか、より深い惜別の思いとなってしみるのか、読み手に託されているようでもある。『日はまた昇る』(1999)所収。(今井肖子) 和田悟朗 亡くなる半年前、熊野大学の趣旨を陶淵明の詩に託して話す彼、そして集計用紙に改行なしでびっしりと書かれた丸文字の原稿が印象的であった。『坐忘』(2000年 花神社)所収。 (小倉喜郎) 前田普羅
新涼や豆腐驚く唐辛子 俳句で擬人法はいけないと習う。いつしか自分も人にそう説いている。なぜいけないか。表現がそのものの在りようから離れて安易に喩えられてしまうからだ。「ような」や「ごとく」を用いた安易な直喩がいけないと教わるのと同じ理屈である。しかしよく考えてみると罪は「擬人法」や「直喩」にあるのではなくて「安易な」点にある。両者は安易になりがちなので避けた方がいいという技術のノウハウがいつしか禁忌に変わる。「良い句をつくる効率的で無難な条件」からはねられた用法が「悪しき」というレッテルを貼られるのである。豆腐が、添えられた唐辛子に驚いているという把握は実に新鮮で素朴な感動を呼ぶ。俳句の原初の感動が「驚き」にあるということを改めて思わせてくれる。こういう句は造りが素朴なので、類型を生みやすい。そうか、このデンで行けばいいのかなどと思って、パスタ驚く烏賊の墨などと作るとそれこそが安易で悪しき例証となる。『新歳時記増訂版虚子編』(1951)所載。(今井 聖) 京極杞陽 雑誌「俳句研究 夏の号」の仁平勝氏による「俳句にとって「師」とはなにか」を興味深く読んだ。彼によると「自分が『想定』しなければ『師』と出会うことはできないし、『弟子』になることもできない。」と述べている。そして結社に所属し主宰の選を仰ぐことも、自らこの想定をすることである、と述べている。この「師を想定する」ということは自分に置き換えても納得のできるところ。「自ら想定しそれでもなお independent (自立している) でなければならない。」と私なりに解釈した。詳しくは「俳句研究」をお読みいただきたい。偶然なのか角川「俳句」8月号にも、「師の時代、私の時代」という特集がある。(小倉喜郎) 大川ゆかり
本といふ紙の重さの残暑かな 暑さは立秋を迎えてから残暑と名を変えて、あらためてのしかかるように襲ってくる。俳句を始めてから知った「炎帝」という名は、火の神、夏の神、または太陽そのものを指すという。立秋のあとの長い長い残暑を思うと、炎帝の姿にはふさふさと重苦しい長い尻尾がついていると、勝手に確信ある想像していたのだが、ポケモンに登場する「エンテイ」は「獅子のような風格。背中には噴煙を思わせるたてがみを持つ」とされ、残念ながら尻尾には言及されていない。掲句は残暑という底なしの不快さを、本来「軽さ」を思わせる「紙」で表現した。インターネットから多くの情報を得るようになってから、紙の重さを忘れることもたびたびある現代だが、「広辞苑」といって、あの本の厚みを想像できることの健やかさを思う。ずっしりと思わぬ重さに、まだまだ続く残暑を重ね、本の重さという手応えをあらためて身体に刻印している。〈泳ぐとはゆつくりと海纏ふこと〉〈月朧わたくしといふかたちかな〉〈あきらめて冬木となりてゐたりけり〉『炎帝』(2007)所収。(土肥あき子)
薮ノ内君代 この句は彼女の第1句集『風のなぎさ』(2007年 創風社出版)から引いた。この句集は日常生活を切り取ったもので、そこから彼女の心の有り様が見えて楽しい。例えば「枇杷熟れるクロネコヤマト宅急便」「木登りのできそうな木だアイスクリーム」「コスモスをよぎる純情缶コーヒー」「柿たわわ眠くなるのはこんな感じ」など。(小倉喜郎) 星川木葛子
喪服着てガム噛みゐたり秋の昼 葬儀に出かけるために、喪服に着替えた。しかし、家を出るにはまだ少し時間がある。煙草を喫う人ならばここで一服となるところだろうが、作者はガムを噛んで時間をつぶすことにした。煙草でもガムでも、こういうときのそれは、べつに味を求めて口にするわけではない。ただ漫然と時間をつぶす気持ちになれなくて、何かしていなければ気がすまない状態にある。そしてたまたま手近にあったガムを噛んだのだが、噛めば噛んだで、口中の単純な反復行為は、噛んでいないときよりも、故人のあれこれを思い出す引き金のようになる。まあ、一種の集中力が口中から精神にのりうつってくるというわけだ。いっそうの喪失感が湧き上がってくる。その意味で、喪服とガムはミスマッチのようでいて、そうではないのである。煙草を喫うよりも、噛みしめる行為が伴うので、余計に心には響くものがある。時はしかも秋の昼だ。外光はあくまでも明るく、空気は澄んでいる。人が死んだなんて、嘘のようである。葬儀に向かう心情を、あくまでも平凡で具体的な行為に託しながら捉えてみせた佳句と言えよう。おそらくは誰だって、比喩的に言えば、ガムを噛んでからおもむろに葬式に臨むのである。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男) タマアジサイの花は、ヤマアジサイやガクアジサイより遅咲きで、7月~9月に開花が見られる。タマアジサイの開花は、ヤマアジサイやガクアジサイのように1株の花が一斉に開花するのではなく、大きくなった蕾から順番に開花するので、同じ株でも長期間花が見られる。
飯島晴子 そんな山の中ではもう確実に秋の気配があり、午前中は時々吹く風に涼しさを感じた。掲出の句はそんな新涼の一瞬を具体的に捉えたものであり、この季節になると思い出す句なのである。第5句集『寒晴』(1990年)より。(小倉喜郎) 後藤軒太郎
異国語もまじる空港秋暑し 空港の、高い天井の下にいると、なぜか自分がとるにたりない存在のように感じられてきます。通常は出会えない大きな空間に放り出されて、気後れがしてしまうのかもしれません。先日も見送りのために成田空港に行ってきましたが、家族にかける言葉も、いつもと違って、どこかうわっつらなものになってしまうのです。この句を読んで、あの日に感じたことをまざまざと思い出していました。「異国語」の「異」は、言葉だけではなく、心の中の違和感をも表しているようです。旅立つ人、見送る人、双方が日常の時間から切りはなされて緊張しているのです。耳元では、アジア系の、どこともわからない国の話し言葉が聞えてきます。「いってらっしゃい」と手を振って、一人きりになったあと、帰宅のために空港のバス停に向かいました。空港の建物から突き出ている大きな庇の向うには、依然として真夏の陽射しが強く照りつけていました。まさに本日あたりは、盆休みの行楽から多くの人が帰ってくるのでしょう。混雑する空港で、汗をぬぐいながら母国語にほっとして、暑い日常の日々に少しずつ戻って行くのです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男) 茨木彩 興味深いのは俳人と画家・造形作家との選が見事に分かれたところである。例えば、「カナカナや崖の上には崖がある」は俳人早瀬淳一がつくり4人の俳人が選んだ。「ダリア咲く昨日の夢の続きから 山本皓平」は画家・造形作家に人気があった。作家達はどうやら俳句を読んで、自分の中に理想の映像作品を作り上げているようである。(小倉喜郎) 草間時彦
ぼろぼろな花野に雨の降りつづけ 花野というと、子供の頃夏休みの何日かを過ごした山中湖を思い出す。早朝、赤富士を見ようと眠い目をこすりながら窓を開けると、高原の朝の匂いが目の前に広がる花野から飛び込んで来た。それは草と土と朝露の匂いで、今でも夕立の後などに、それに近い匂いがすると懐かしい心持ちになる。花野は、自然に草花が群生したものなので、夏の間は草いきれに満ちているだろう。そこに少しずつ、秋の七草を始め、吾亦紅や野菊などが咲き、草色の中に、白、黄色、赤、紫と色が散らばって花野となってゆく。この句の花野は、那須野の広々とした花野であるという。そこに、ただただ雨が降っている。雨は、草の匂いとこまごまとした花の色を濃くしながら降り続き、止む気配もない。降りつづけ、の已然止めが、そんな高原の蕭々とした様を思わせ、ぼろぼろな、という措辞からするともう終わりかけている花野かもしれないが、その語感とは逆に逞しい千草をも感じさせる。同じ花野で〈花野より虻来る朝の目玉焼〉とあり、いずれもイメージに囚われない作者自身の花野である。『淡酒』(1971)所収。(今井肖子) 高木伸宜 子供の頃父から戦中戦後の話をよく聞いた。兵庫県の中部の田舎なので、警戒警報などはあったものの空襲も受けていない。学生だから兵隊にも行っていない。疎開はするほうではなく、受け入れる側であった。したがって、危機感迫る戦争の話ではなく、間接的話ではあった。そんな話でさえ我が家ではなかなか話題に上らなくなった。(小倉喜郎) 池内たけし
花火見る暗き二階を見て通る 花火見るでは切れない。花火を見ている顔が並ぶ暗い二階を見て通るという内容。顔は見えないかもしれない。顔が見えなくても花火を見ているであろうことは声でわかるのかもしれない。もし「見る」で切れるとするならば、作者は花火と暗い二階を同時に(或いは連続して)見ていることになる。同時に見るのは無理だし、連続して見てもそこに詩情は感じられない。これはやはり花火を見ないで二階を見ているのだ。花火を見ているのは二階の人。花火を見ずとも音は聞こえる。花火の炸裂音の中で作者は暗い二階を見上げる。花火に浮き立つ世の人々を冷笑的に見ているのか。花火賛歌ではない内面的な角度がある。何か人目をひくものの前でそこに見入る人を見ている人が必ずいる。見る側に立つのはいいが、見られる側に立つのはなんとなく気持ちが悪い。見ている側に優越的な気持ちを持たれているようでもあるし。もし逆の立場で、二階で花火を見ている自分が下から見られていると感じたら、いっそう楽しそうに花火見物の自分をみせつける奴と、どこ見てんだよと睨み返す奴がいるんだろうな。僕はやっぱり後者だな。楽しんでる顔を冷静に見られるのは嫌だな。『新歳時記増訂版虚子編』(1951)所載。(今井 聖) 土肥幸弘 この時期に稲の花が咲くのは少し早いのではと思われる方もあるだろう。それは台風の季節の前に稲刈りを終えたいという願いもあり、以前よりもかなり早い時期となっている。数日もすればこの稲が実り始め、穂はその重みで垂れ始めるのである。そして8月終わりから9月の初旬にかけてもう稲刈りが行われるのである。句集『梟夢』所収。(小倉喜郎) 藤木清子
戦死せり三十二枚の歯をそろへ 父は学徒出陣で海軍に配属され、鹿児島県の志布志湾に秘密裡に作られた航空基地で敗戦の日を迎えた。同年齢の義父は、広島の爆心地で被爆した後郷里に戻り静養していた。九死に一生を得た二人とも戦争についてほとんど語らなかったが、戦死した同世代の青年達をいつも心の片隅において生涯を過ごしたように思う。祖国の土を踏むことなく異国の地で果てた若者たちはどれほど無念だったろう。私が小さい頃、街には戦争の傷痕がいたるところに残っていた。向かいの病院は迷彩色を施したままであったし、空襲の瓦礫が山積みになった野原もあった。戦後63年を経過し、戦争の記憶は薄れつつある。三十二枚の健康な歯をそろえながら飢えにさいなまれ、南の島や大陸で戦死した青年達の口惜しさは同時代を生きたものにしかわからないかもしれない。そうした人々への愛惜の気持ちがこの句を清子に書かせたのだろう。事実だけを述べたように思える言葉の並びではあるが、「そろへ」と中止法で打ち切られたあとに、戦死したものたちの無言の声を響かせているように思う。『現代俳句』上(2001)所載。(三宅やよい) 須田保子 引き続きわが町丹波篠山のやや地味なデカンショ祭にお付き合い願いたい。「丹波篠山山家の猿が 花のお江戸で芝居する」 「デカンショデカンショで半年暮らす あとの半年ねて暮らす」 「灘のお酒はどなたが造る おらが自慢の丹波杜氏」 「酒は飲め飲め茶釜でわかせ お神酒あがらぬ神はない」 「あの娘可愛いや霧ふる夜は たもとぬらして逢いにくる」 「丹波篠山鳳鳴の塾で文武きたえし美少年」など、歌詞が田舎臭くていい。ちなみに最後の美少年の中には私も含まれていた。そして「デカンショデカンショで歌うて廻れ 世界いづこの果てまでも」で終わる。(小倉喜郎) ねじめ正一
神宮の夕立去りて打撃戦 神宮球場だから東京六大学野球でもいいわけだけれど、豪快な「打撃戦」であろうから、ここはプロ野球のナイターと受けとりたい。ヤクルト対阪神か巨人か。ドーム球場では味わえない、激しい夕立が去って幾分ひんやりしたグランド上で、さてプレー再開というわけである。選手たちが気をとり直し、生き返ったように、中断がウソだったように派手な打撃戦となる。夕立が両チームに喝を入れたのであろう。スタンドにも新たな気合が加わる。夕立であれ、停電であれ、思わぬアクシデントによる中断の後、試合内容が一変することがよくある。夕立に洗われた神宮の森も息を吹き返して、球場全体が盛りあがっているのだろう。その昔、神宮球場の試合が夕立で中断しているのに、後楽園球場ではまったく降っていないということが実際にあった。夕立は局地的である。ドーム球場では味わえなくなった“野の球”が、神宮では今もしっかりと生きているのはうれしい。長嶋茂雄ファンの正一は、「打撃戦」のバッター・ボックスに、現役時代の長嶋の姿を想定しているのかもしれない。掲出句は雑誌の句会で、正客として招かれた正一が投じたなかの一句。席上、角川春樹は「『夕立』を使った句の中でも類想がない。佳作だよ」と評している。ほかに「満月を四つに畳んで持ち帰る」「ちょん髷を咲かせてみたし豆の花」などに注目した。「en-taxi」22号(2008年6月)所載。(八木忠栄)
渡部州麻子 この句の場合、例えばキリギリスのむき出しの産卵管は卵を産むためだけに発達したもので本当に鋭い。グロテスクでさえある。その鋭さを思いつつ終戦日を迎える作者はやはり屈折しているとしか言いようがない。そして俳人はこのような屈折が必要なのだと強く思うのである。 この句集には「船体のアラビア文字の涼しさう」「ビートルズ鳴らして灼くるままの岩」「かなかなや大きな魚の急所へ刃」「泥酔の父がつかみし甲虫」など、好きな句が多い。(小倉喜郎) 松尾芭蕉
家はみな杖にしら髪の墓参 墓参はなにも盆に限ったことではないが、俳句では盆が供養月であることから秋の季語としてきた。芭蕉の死の年、元禄七年(1694年)の作である。句の情景は説明するまでもなかろうが、作者にしてみれば、一種愕然たる思いの果ての心情吐露と言ってよいだろう。芭蕉には兄と姉がおり、三人の妹がいた。が、兄の半左衛門には子がなくて妹を養女にしていたのだし、芭蕉にもなく、あとの姉妹の子も早逝したりして、このときの松尾家には若者はいなかったと思われる。残されて墓参に参加しているのは、年老いた兄弟姉妹だけである。それぞれが齢を重ねているのは当たり前の話だから、あらためてびっくりするはずもないのだけれど、しかし実際にこうしてみんなが墓の前に立っている姿を目撃すると、やはりあらためて愕然とするのであった。この句の「みな」の「杖」と「しら髪(が)」は老いの象徴物なのであって、白日の下にあってはその他の老いの諸相も細部に至るまで、あからさまにむき出しにされていたことだろう。松尾家、老いたり。朽ち果てるのも時間の問題だ。このときの芭蕉は体調不良だったはずだが、、猛暑のなか、かえって頭だけは煌々と冴えていたのかもしれない。矢島渚男は「高齢者家族の嘆きを描いて、これ以上の句はおそらく今後も出ないことであろう」(「梟」2008年8月号)と書いている。同感だ。(清水哲男) 藤田湘子
物音は一個にひとつ秋はじめ 一読、小さなものたちが織り成す物語を思い浮かべました。人間たちが寝静まったあとで、コップはコップの音を、スプーンはスプーンの音を、急須は急須のちいさな音をたて始めます。語るためのものではなく、伝えるためのものでもなく、単にそのものであることがたてる「音」。もちろんこの「物音」は、人にもあてがわれていて、一人一人がその内側で、さまざまな鳴り方をしているのです。季語は「秋はじめ」、時期としては八月の頃をさします。まだまだ暑い日が続くけれども、季節は確実に秋へ傾いています。その傾きにふと聞こえてきたものを詠んだのが、この句です。秋にふさわしく、透明感に溢れる、清新な句になっています。気になるのは、「一個」と「ひとつ」という数詞。作者の中にひそむ孤独感を表現しているのでしょうか。いえそうではなく、この「一個」と「ひとつ」は、しっかりと秋の中に、自分があることの位置を定めているのです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男) 大井雅人
八月の月光部屋に原爆忌 原爆忌は夏季だが、立秋を間に挟むので、広島忌(夏)長崎忌(秋)と区別する場合もある・・・というのを聞きながら、何をのん気なことを言っているんだろう、と思った記憶がある。もちろんそれは、何ら異論を挟むような問題ではないのだけれど。原爆投下、終戦、玉音放送から連想されるのはやりきれない夏だと母は言う、だから夾竹桃の花は嫌いだと。昭和二十年八月六日、愛媛県今治市に疎開していた母は、その瞬間戸外にいて、一瞬の閃光につつまれた。その光の記憶は、六十三年経った現在も鮮明であるという。その時十三歳であったと思われる作者に、どんな記憶が残っているのかはわからないけれど、輪郭が際立ち始めた八月の月の光と、原爆の、想像を絶する強烈な光は、かけ離れているようでどこか呼応する。八月という言葉の持つ重さが、その二つを結びつけているのだろうか。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(今井肖子) 朝倉晴美 彼女の第1句集『宇宙の旅』(創風社出版)の出版記念パーティがホテル近鉄ユニバーサル・シティで暖かい雰囲気の中行われた。宇宙空間を思わせる涼しい会場はこの句集にピッタリであった。句集の中の人気句は「なまこコリこりこりこりこりん膝頭」「夕立だデートだ祭りだ不本意だ」。円虹の山田弘子さんも会場にお見えで「冬が近くてジーパン青々と干す」を選んでおられた。(小倉喜郎) 島雅子 子供のころからこの季節が妙に淋しく感じたものだ。その淋しさがどこから来るのかわからなかった。馬追いが鳴き、みんみん蝉が鳴き、稲の花が咲く頃なのである。夏休みも後半へと・・。俳句を始めてこの淋しさの理由がわかった。夏が盛りに達するともう秋の気配が現れ始め、それをもう次の季節とするこの分け方の素敵なことか。今年はまだ馬追いの声を聞いていない。この連日の暑さのせいだろうか。『土笛』(2007年 角川書店)から。(小倉喜郎) 坪内稔典
膝に乗る黒猫の愚図夜の秋 夜になると昼の暑さが遠のき一足先に秋が到着したように涼やかな夜風が吹き抜けてゆく。今日から暦のうえでは「秋」に移行するわけだけど、とりわけこの頃の季感にこの季語が似つかわしく思われる。日中は毛だらけの猫がそばに寄ってくるだけでも疎ましいが、そよそよと吹く風に汗もひき、ふと膝に寂しさを覚えるとき、座り込んでくる猫の重みもうれしい。俊敏な動きの猫の名が「愚図」というのも面白いが、「黒」と「愚」の字の並びにたっぷりとした夜の闇が猫に化身したごとき不思議が感じられる。出だしの「膝」と結語「秋」のイ音がくぐもった音を連続させた全体の調子を引き締めている。「ほかのあらゆる類似の言葉を拒んでその特別に選ばれた言葉どおりくりかえし口誦されることを望んでいる」とは高柳重信の言葉だが、リズミカルな口誦性とイメージの豊かさはこの作者のどの句にも共通する特色だろう。『京の季語・夏』(1998・光村推古書院)所載。(三宅やよい) 相原美由紀 この句は一読するとスローガン的ではある。しかし炎天下に平和を訴える人たちと、それに応える人が目に浮かぶのは季語のサングラスの力であろう。サングラスは若者や女性のアクセサリー的要素がまだ強い。しかし昨今流行の紫外線を避けるグッズの1つとして必需品になりつつもある。そんなサングラスをちょっとはずして署名をし、またかけて歩いてゆく女性。あるいはロックンローラー風の若者がサングラスをかけたまま署名をしているのかもしれない。この句を読んでそんな風景を思い浮かべる。今日は広島に原爆が投下された日。『良夜』(2008年)より。(小倉喜郎)
土谷倫 偶然だが昨日紹介した菊田一平さんの句集『百物語』にも「星飛んで涼しく夏目雅子の目」がある。どちらの句を読んでもあの涼しく大きな目を思い浮かべる。彼女も俳句を少ししていたようで、俳号は海童、その俳句ファンも多いそうである。『風のかけら』(2006年)所収。(小倉喜郎) 大島得志
まっすぐにきて炎天の鯨幕 真夏の葬儀は辛い。もう四十年も昔のことになるが、仕事仲間のカメラマンが交通事故で死んだ。ついその前日に、仕事の段取りを打ち合わせたばかりだった。そのときの彼はすこぶる上機嫌で、それもそのはず、長い間欲しかった車を中古ではあったが、ようやく手に入れたと言い、それに乗って撮影に行ってくからとはりきっていた。カメラマンは荷物が多いので、たしかに車はないよりもあったほうがよいだろう。そして、別れてから二十四時間経ったか経たないかのうちに訃報が入り、思わず電話をくれた相手に「ウソだろ」と問い返していた。しかし、それは現実だった。センターオーバーで他の車と衝突し、即死状態だったという。しかも運転席の彼の横に、彼はお母さんを乗せていた。親孝行も兼ねてのドライブだったのだ。幸い、母堂は一命をとりとめたということだったが、その後のことは知らない。三十歳にも満たない短い生涯だった。葬儀はめちゃくちゃに暑い日で、小さな都営住宅の自宅で行われたこともあり、私は黒い服のままほとんど炎天の道端に立ち尽くして出棺まで見送った。汗という汗はすべて出尽くしてしまい、襲ってくる眩暈に耐えての参列だった。恋人らしき若い女性が泣いていた様子以外、何も覚えていないのは、そんな猛暑のせいである。そういうこともあったので、この句は実感としてよくわかる。遠慮も逡巡もなく、葬儀の場に「まっすぐにきて鯨幕」に向かうとは、あまりの暑さに「鯨幕」の陰に救いを求めたいという心理が優先しての措辞だ。暑い日でなければ、おもむろに鯨幕の向こうに入っていくのだが、そんなに悠長に構えてはいられなかった作者の心情がよく出ている。『現代俳句歳時記・夏』(学習研究社・2004)所載。(清水哲男) 中原道夫
平均台降りて夏果てとも違ふ そういえば先日朝日新聞に、清水哲男さんが日本の詩歌はスポーツをきちんと扱っていないと書いていました。なるほどと思っているところに、この句と出会いました。平均台というと、なぜか女子のスポーツです。中学生のときに、体育館の中で、跳び箱の順番を待ちながら、女子が平均台の上で苦労している姿をぼんやりと見ていたものです。夏であれば、体育館の開け放たれた扉の外には、空高く入道雲が盛り上がっていたことでしょう。この句が詠んでいるのは、平均台の上での動きそのものではなく、演技が終わって後のほっとした瞬間です。中空から足を地に下ろす、その時の心情が、閉じられようとする季節に重ねて詠われています。季語は「夏果て」、夏の終わるのを惜しむ気持ちです。ただ、句は夏果てとも違ふと、締めくくっています。この否定は、競技に燃焼しつくせなかったことを表しているのでしょうか。あるいは、季節に取り残した大切なものが別にあるということでしょうか。身体だけではなく、句の結末も、あやうげに中空に浮かんでいるようです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男) 菊田一平 『百物語』から引いた。この句の「亜米利加の亀」というのもこの亀であろう。ちょっとグロテスクで、おおざっぱでいかにもアメリカ的な亀である。日本各地の池で繁殖し、在来種を脅かしている亀である。もちろん亀に罪はないのだが、日ごろ悪者にされている亀も、俳句の中でその存在を示しているところが嬉しい。そういえば船団のふけとしこさんの句に「ヌートリアと冬日を分かち合ひにけり」というのがあった。農家にとっては大敵のヌートリアにも俳句はやさしい。(小倉喜郎) 柴田宗男 この句は『白玉ノート』からのものであるが、その中にもう1句昼寝覚の句がある。「昼寝覚耐火金庫のどかとあり」である。掲出の句とは対照的に既視感はない。唐突とも思える耐火金庫が目覚めた目の前にある。急速に昼寝から現実へ戻った感じが物で示されていて面白い。この2句を連続して読むと更に面白い。(小倉喜郎) 後藤夜半
涼しやとおもひ涼しとおもひけり 涼し。暑い夏だからこそ、涼しさを感じることもまたひとしお、と歳時記にある。朝涼、夕涼、晩涼、夜涼から、風涼し、星涼し、灯涼し、鐘涼しなど、さまざまなものに、ひとときの涼しさを詠んだ句は多い。涼し、は、読むものにわかりやすく心地よい言葉であり、詠み手にとっても、使いやすく作りやすい。それにしてもこの句は、さまざまな小道具や場面設定がいっさい無い。暑さの中を来て木陰に入ったのか、あ、涼しい、とまず思う瞬間があり、それから深く息を吐きながら、やれやれ本当に涼しいな、と実感しているのだろう。その、短い時間の経過を、涼しや、と、涼し、で表現することで、そこに感じられるのはぎらぎらとした真夏であり、涼し、という季題の本質はそこにあるのかとも思えてくる。作られたのは昭和三十九年、東京オリンピックが開催された年の七月。炎天下、新幹線を始めさまざまな工事は最終段階、暑さと熱さでむせかえるような夏だったことだろう。『脚注シリーズ後藤夜半集』(1984)所収。(今井肖子) 鴇田智哉 この句集の読後はなぜか残るものが少ない。不満と言っていいかもしれない。それは私がふだん結論付けていない諸事を、ていねいに、巧みに結論付けてくれているからではないか。俳句という表現を通して物事を完結させているのである。俳句をそこまでのものとするならば、彼の句は完成度が高いと言える。しかしその先にある未知への一歩を踏み出したところに俳句の可能性があるのではないか。この句集を読んで改めてそう感じた。(小倉喜郎) 山口誓子
泳ぎより歩行に移るその境 客観写生といわれる方法から従来の俳句的情趣を剥ぎ取ったらどうなるかという実験的な作品。ものをそのまま文字に置き換えて「客観的に写生する」ことの論理的矛盾を嗤い言葉から発する自在なイメージを尊重するようにとの主張から「新興俳句」が出発したが、その「写生」批判は実は、従来の俳句的情趣つまり花鳥諷詠批判が本質だったと僕は思う。俳句モダニストたちの写生蔑視の中には誓子のこんな句は計算外だった。平泳ぎでもクロールでもいい。水の表面を泳いでいる肢がある地点で地につく。その瞬間から歩行が始まる。水中を縦割りにして泳者を横から見ている視点がある。水面は上辺。遠浅の海底が底辺。底辺は陸に向かって斜めに上がりやがて上辺と交わる。そこが陸である。肢は、二辺が作る鋭角の中を上辺に沿って移動し、ある時点で底辺に触れる。こんな「写生」をそれまでに誰が試みたろうか。ここにはまったく新しい現代の情緒が生み出されている。『青銅』(1962)所収。(今井 聖) 950年代、イギリスのラジオ番組へ出演していたピーター・セラーズ(ジェフリー・ラッシュ)は、映画俳優として活躍するようになる。ある日ピーターは、共演者のソフィア・ローレンに恋をし、呆れた妻は家を出て行ってしまった。失意のなか、『ピンクの豹』のクルーゾー警部役が舞い込んだ。映画は大ヒットし、私生活では美人女優ブリットと結ばれたピーター。しかし、突然の心臓発作が彼を襲う。一命を取り留めたピーターは、コメディを卒業し、シリアスな正統派役者としての道を進もうとするが…。 口ひげと濃い目張り、威厳があるんだか無いんだか、その存在自体がコミカルな『ピンク・パンサー』シリーズのクルーゾー警部。その裏側には、天才コメディアンと呼ばれた俳優、ピーター・セラーズの真実が隠れていた。本作は、セラーズのラジオ時代から晩年までを描いた伝記ドラマ。主演のジェフリー・ラッシュが、容姿も中身も見事にセラーズになりきって、数々の扮装をこなし熱演を見せる。 ブリットを演じたシャーリーズ・セロン、妻アン役のエミリー・ワトソン、ブレイク・エドワーズ監督を演じたジョン・リスゴー、スタンリー・キューブリック監督を演じたスタンリー・トゥッチなどの実力派俳優たちが、セラーズを取り巻く実在の人物たちを演じた。無邪気なほどに欲望に正直に生きた男が、最後に求めたものは何なのか。世紀のカメレオン俳優の素顔に、深い感慨を覚えるはずだ。 中林明美 私も1つ伊賀の大壺を持っている。現代作家のものではあるが、白く焼き締められた土の上に灰がかかり、それが溶けて硝子状、つまりビードロとなって表情を作っている。寝室に置いて寝起きをともにしているのだが、朝の光を浴びて私といっしょに目覚める。寝起きの彼は少々不機嫌。昼間は薄暗い部屋で静かに私の帰りを待っている。夜は蛍光灯の光を浴びてよくしゃべる。時々回してやると喜んだりもする。なんといってもこの季節は抱きかかえると冷たくて気持ちイイ。『月への道』(2003年)より。(小倉喜郎) 中原幸子
ほらごらん猛暑日なんか作るから それにしても暑い。おおせの通り、言葉が現実を作り出すのでしょうか。「夏日」「真夏日」に加えて「猛暑日」が作られたのが去年。そんな看板に合わせてどんどん気温がうなぎのぼりになっているのかもしれない。「酷暑」「極暑」なんて季語も、いかにも暑そうだけど「猛暑」となると一枚上手、暑さがうなり声をあげて息巻いていいそうである。いまや30度の「真夏日」なんてまだ涼しい、と思ってしまう自分がこわい。冷房の効いたビルから一歩外へ踏み出せば、灼熱の日差し、アスファルトの照り返しに頭がかすんで息も詰まるばかり。そんなとき、この句がぐるぐる頭を回りだす。「ほらごらん」とは、「猛暑日」を作ったお役人とともに作者も含め快適さを享受しながら暑さにおたおたする私達へも向けられているのだろう。今までの最高気温は去年熊谷で記録された40.9度ということだったけど、今年はどうなのだろう。みなさま熱中症にはくれぐれもお気をつけください。「船団」75号(200712/1発行)所載。(三宅やよい
良 寛
酔ひふしのところはここか蓮の花 蓮の花で夏。「ところ」を「宿(やどり)」とする記録もある。良寛は酒が大好きだったから、酒を詠んだ歌が多い。俳句にも「ほろ酔の足もと軽し春の風」「山は花酒や酒やの杉はやし」などと詠んだ。酒に酔って寝てしまった場所というのは、ここだったか・・・・。傍らには蓮の花がみごとに咲き香っている。まるで浄土にいるような心地。「蓮の花」によって、この場合の「酔ひふし」がどこかしら救われて、心地良いものになっている。良寛は庵に親しい人を招いては酒を酌み、知人宅へ出かけては酒をよばれて、遠慮なくご機嫌になった。そんなときぶしつけによく揮毫を所望されて困惑した。断固断わったこともたびたびあったという。子どもにせがまれると快く応じたという。基本的に相手が誰であっても、酒はワリカンで飲むのを好んだ、というエピソードが伝えられている。良寛の父・以南は俳人だったが、その句に「酔臥(よひふし)の宿(やどり)はここぞ水芙蓉」があり、掲出句はどうやら父の句を踏まえていたように思われる。蓮の花の色あいの美しさ清々しさには格別な気品があり、まさに極楽浄土の象徴であると言ってもいい。上野不忍池に咲く蓮は葉も花もじつに大きくて、人の足を止めずにはおかない。きれいな月が出ていれば、用事を忘れてしゃがんでいつまでも見あげていることのあった良寛、「ここ」なる蓮の花に思わず足を止めて見入っていたのではあるまいか。今年は良寛生誕250年。『良寛全集』(1989)所収。(八木忠栄) 山本皓平 参加者の大学生俳人山本皓平、塩見恵介と次男の穂高くん、そして平きみえまでもが少年となり、流しそうめんの横を流れる小さな川で沢蟹を捕ったり、蜻蛉を追ったり、石を投げたりしていた。クーラーの効いた喫茶店の中では蔵前幸子が「流しそうめん一口食べて笑い合う」と詠んだ。少年塩見恵介は「すいか割り終わった棒に鬼やんま」と。(小倉喜郎) 須藤徹 さて人はそれぞれ気に入りの時間があるであろう。読書をしているとき、海を見ているとき、犬と散歩しているとき、河馬を見ているときなど。先日友人にあるお礼のメールをしたところ、「今、写経を終えたところです。」というメールが返ってきた。『荒野抄』(2005年)所収。(小倉喜郎) 大木あまり
わが死後は空蝉守になりたしよ ずいぶん前になるがパソコン操作の家庭教師をしたことがある。ある女性詩人の依頼で、その一人暮らしの部屋に入ると、玄関の上に大きな駄菓子屋さんで見かけるようなガラス壜が置かれ、キャラメル色の物体が七分目ほど詰まっていた。それが全部空蝉(うつせみ)だと気づいたとき、あまりの驚きに声をあげてしまったのだが、彼女は涼しい顔で「かわいいでしょ。見つけたらちょうだいね」と言ってのけた。「抜け殻は残されたものだから好き」なのだとも。その後、亡くなられたことを人づてに聞いたが、あの空蝉はどうなったのだろうか。身寄りの少なかったはずの彼女の持ち物のなかでも、ことにあれだけは私がもらってあげなければならなかったのではないか、と今も強く悔やまれるのだった。掲句が所載されているのは気鋭の女性俳人四人の新しい同人誌である。7月号でも8月号でも春先やさらには冬の句などの掲載も無頓着に行われている雑誌も多いなか、春夏号とあって、きちんと春夏の季節の作品が掲載されていることも読者には嬉しきことのひとつ。石田郷子〈蜘蛛の囲のかかればすぐに風の吹く〉、藺草慶子〈水遊びやら泥遊びやらわからなく〉、山西雅子〈夕刊に悲しき話蚊遣香〉。「星の木」(2008年春・夏号)所載。(土肥あき子) 渡辺恭子
冷奴大和島根は箸の国 食べ物の句は、とにかく美味しそうでなければならない。美味しいという感覚は、むろん食品そのものの味にまず関わるが、それだけではなくて、それを食するときの「お膳立て」いっさいに関わってくる。冷奴などは料理とも言えない素朴な食べ物であるが、なるほどこれは箸で食べるから美味いのであって、スプーンでだったら美味さも半減してしまうだろう。句の「大和島根」は島根県のことではなくて、大和(日本)の島々、つまり日本の国のことだ。戦前戦中に流行した大八洲(おおやしま)などとという呼称に似ている。したがっていささか旧弊な神国日本の影を引く言葉ではあるけれど、この句はたかが冷奴に神国の伝統をあらためて持ち出し、「神の国」ならぬ「箸の国」とずらせてみせたことで、現代の句として面白い味を出している。猛暑のなかの食卓につつましくのせられた一鉢の冷奴。この句を思い出して箸をつければ、他のおかずもいろいろに美味さが違ってくるかもしれない。今夜の一品はだんぜん冷奴に決めました。たまには揚句のように、冷奴も気合いを入れて食べてみなければ。月刊「俳句」(2008年8月号)所載。(清水哲男) 澁谷道 作者は1926年生れで句歴は60年以上。気が遠くなる年月である。様々な俳句のシーンを見てきたにちがいない。句歴や年齢はひとつの要素ではあるが、決して作品の判断基準にはならないと思うのだが、このような句を読むとその考えが少し揺らぐ。第1句集は『嬰』でありこの句を収めたのは第11句集『?(えび)』である。あとがきに「草冠のついた?は山に生える蔓だちの葡萄。」とある。(小倉喜郎) 口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か 藤田湘子
使 帆
涼しさや寝てから通る町の音 季語は涼し、夏です。夏そのものはむろん涼しくはありませんが、暑いからこそ感じる涼しさの価値、ということなのでしょうか。この句では、風や水そのものではなくて、町の音が涼しいと詠んでいます。マンション暮らしの長いわたしなどには、到底たどり着くことの出来ないひそやかな感覚です。たしかにマンションの厚い壁に囲まれて暮らす日々には、町の雑多な音は届きません。思い出せば子供の頃には、銭湯へ行く道すがら、開けっ放しの窓から友人の家の団欒がすぐ目の前に見えたものでした。一家で見ているテレビの番組さえ、すだれ越しに見えていた記憶があります。当時は家の中と外の区切りはかなり曖昧で、眠っている枕元すぐのところで、町の音はじかに聞えたものです。この句を読んだときに印象深かったのは、書かれている意味でも、また音の響きでもなく、並んだ文字のたたずまいの美しさでした。実際、柴田宵曲氏の解説を読むまでは、省略された主語がどこにかかっているのかもはっきりとせず、句の意味を正確につかまえることができませんでした。暑い夏の一日を終え、やっと体を横たえて眠ろうとしています。その耳元に、人々のそっと歩く足音が聞えてきて、その音の涼やかな響きにいつのまにか眠りへ誘い込まれてゆく。そんな意味なのでしょう。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男) 佐藤文香 1985年生まれの作者は俳句甲子園で活躍した。この人の第1句集『海藻標本』は読み応えがある。句にその世代の匂いを残しつつ、しっかりと俳句を書いている数少ない作家である。「友に友と思はれてをる端居かな」「頬杖や宇治金時に底の見え」などがある。(小倉喜郎) 児玉硝子 彼の鋭く落ちるフォークボールに、巨漢のメジャーリーガーのバットは面白いように空を切った。この句、そんな彼の活躍時に作られたのだろうか、当時の雰囲気がよく思い出される。そして彼が引退する今、この句は少し普遍性を帯びて、1つの時代に収まった感じがする。どの世界でもパイオニアは偉大だ。『青葉同心』(2004年)より。(小倉喜郎) 西川徹郎 鈴木みのり
ペコちゃんが友達だったころの夏 7月も下旬になると街角に子供の姿が増え、長い夏休みを退屈に過ごしていた小学校の頃を思い出す。避暑や旅行へ連れて行ってもらえるわけもなく、読み飽きた本を何度も読み返すか、市民プールへ出かける以外時間のつぶしようのない毎日だった。テレビはあったが、寝っころがって好きな番組を見る贅沢が許されるはずもなく、一週間に一度見る「ポパイ」や「鉄腕アトム」を楽しみにしていた時代だ。特別な番組のコマーシャルはそれぞれ印象が深い。「鉄腕アトム」はマーブルチョコとシール。「ポパイ」はペコちゃん人形とパフェを食べる女の子が憧れの的だった。首振りペコちゃんの店で買ってきたケーキは五人兄妹が見つめる前で厳密に切り分けられ上から順に配られたものだった。その当時、お菓子屋かおもちゃ屋を店ごと買い占めるのが夢だった私もおとなになると、すっかりそうしたものに興味がなくなってしまった。ペコちゃんが友達だったころの夏。それは私にとっても懐かしい時だけど、二度と帰れない場所でもある。『ブラックホール』(2008)所収。(三宅やよい) 若林千尋 はて、キャラメルの夜とはどんな夜であろう。 夏の月がちょっと悲しく感じられるのは私だけか。作者は玄鳥所属。『空の名前』(2007年)より。(小倉喜郎) 村嶋正浩
どの子にも夕立の来る空地かな 子どもの頃、野原や河原で遊んでいて、いきなり雷鳴とともに夕立に襲われて家へ逃げ帰った経験は誰にもあるにちがいない。そう、子どもたちは年中外で黒くなって遊んでいた。乾ききった田んぼ道をポツ、ポツ、ポツ、ザアーッと雨粒が背後から追い越してゆく。それを爪先で追いすがるようにして走って帰った記憶が、私には今も鮮明に残っている。空地でワイワイ遊んでいる子どもたちにとって、夕立に濡れるのはいやだが、同時に少々ずぶ濡れになってみたいという好奇心もちょっぴりあるのだ。遊んでいた子どもたちの声は、夕立によって一段と高くにぎやかになる。しかも、夕立は大きい子にも小さい子にも、分け隔てなく襲いかかる。まさしく「どの子」をも分け隔てなく夕立が包んでゆく情景を、作者はまず上五で見逃していない。どの子にも太陽光線が均一に降りそそぐように、夕立も彼らを均一に包んでしまう。あたりまえのことだが、そのことがどこかしらうれしい気持ちにもさせてくれる。気張ることなくたった十七文字のなかに、さりげない時間と空間がきちんととりこまれている素直な句。正浩は詩人だが、俳句歴も長い。ほかに「眉消して少年の病む金魚かな」「夕端居手足長きを惜しげなく」などくっきりとした夏の句がある。「澤」(2008年7月号)所載。(八木忠栄)
橋場千舟 作者はベテランの俳人で、今年1月に出た第3句集『視線』から引いた。この句集には長年の作句からの余裕が感じられる。作者とは時々船団のイベントなどでお会いするが、微笑みながら話しかけてくれるその笑顔にもまた余裕を感じる。「立話はなし螢のことらしき」「黄落を来てくすくすと笑ひけり」など。(小倉喜郎) 今井 勲
暑うしてありありものの見ゆる日ぞ 作者は私と同年。昨夏、肝臓ガンで亡くなられたという。句は亡くなる前年の作で、何度も入退院を繰り返されていたが、この頃は比較的お元気だったようだ。が、やはりこの冴え方からすると、病若の句と言うべきか。暑くてたまらない日だと、たいていの人は、むろん私も思考が止まらないまでも、どこかで停止状態に近くなる。要するに、ぼおっとなってしまう。でも作者は逆に、頭が冴えきってきたと言うのである。「見ゆる日ぞ」とあるから、暑い日にはいつも明晰になるというわけではなく、どういうわけかこの日に限ってそうなのだった。ああ、そうか。そういうことだったのか。と、恐ろしいほどにいろいろなことが一挙にわかってきた。死の直前の句に「存命の髪膚つめたき真夏空」があり、これまた真夏のなかの冷徹なまでの物言いが凄い。「髪膚(はっぷ)」は髪の毛と皮膚のこと。人は自分に正直になればなるほど、頭でものごとを理解するのではなく、まずは身体やその条件を通じてそれを果たすのではあるまいか。病者の句と言ったのはその意味においてだが、この透徹した眼力を獲得したときに、人は死に行く定めであるのだとすれば、人生というものはあまりに哀しすぎる。しかし、たぶんこれがリアルな筋道なのだろうと、私にはわかるような気がしてきた。こういうことは、誰にでも起きる。遺句集『天樂』(2008・非売)所収。(清水哲男) 鈴木みのり 作者はときどき句会でいっしょになる鈴木みのり。主婦であり俳人である。今年春に出版された第1句集『ブラックホール』から引いた。犬の句を引いたが彼女はたぶん猫好きで、猫の秀句がある。「春宵や猫の水飲む音がする」「春一番両手で猫を抱き上げる」など。(小倉喜郎) 佐藤靖美
胸に手を入れて農婦は汗ぬぐふ かつて読んだ本の中に、こんなことが書いてありました。「「ゾウが汗だく」とか「ライオンが額に汗して……」なんて光景は、ついぞお目にかかったことがない。」そういえばそんなものかと思い、続きを読むと、なぜ人間以外の動物が、汗だくにならないかという理由が書かれていました。いわく、「決定的な答えはひとつ。動物たちは、汗をかいてまで体温を下げなくてはならないようなことを、しないだけだ。」(加藤由子著『象の鼻はなぜ長い』より)。さて、本日の句を読むまでもなく、人間は汗をかいてまで体温を下げなくてはならないようなことを、しているわけです。無理をしなければ生きていけないのが人間、ということなのでしょうか。言うまでもなく、句中の農婦が汗をかいたのには、堂々たる理由があります。農作業中に「胸に手を入れて」汗を拭くという行為は、その動きの切実さゆえに、読者を感動させるものを持っています。まっとうな行為としての重みと尊厳を、しっかりと備えているからなのでしょう。みっともないとか、見た目が悪いとかの判断よりもずっと奥深くにある、人間の根源的な営みを、句は正面から詠もうとしています。『角川 俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男) 加藤静夫 この句は『中肉中背』から引いた。タイトル「中肉にして中背の暑さかな」から来ているが、こちらはややわかり易い句となっている。作者は1953年生まれで「鷹」所属。(小倉喜郎) 加藤知世子
紅の花枯れし赤さはもうあせず 紅の花が夏に枝の先に黄色の花をつけ、しだいに赤色に変化してゆく。赤色になった紅の花はやがて枯れてしまうが、枯れてしまった赤さはもう色褪せることはないと作者は事実を言う。これは事実だが作者の思いに聞こえる。どういう思いか。それは命が失われてもその赤が永遠に遺されたという感動の吐露である。花の色はそのまま人間の生き方の比喩になる。眼前の事物を凝視することから入って、人生の寓意に転ずる。これは「人間探求派」と呼称された俳人たち、特に加藤楸邨、中村草田男の手法について言われてきたことだ。「人間探求派」の出現の意義は反花鳥諷詠、反新興俳句にあった。だから従来の俳趣味に依らず、近代詩的モダニズムに依らずの新しいテーマとして、写実を超えたところに「文学的」寓意を意図したのだった。加藤楸邨理解としてのこの句に盛られた寓意は手法として納得できる。一方で楸邨は「赤茄子の腐れてゐたるところより幾許もなき歩みなりけり」の齋藤茂吉の短歌を自分の目標として明言している。茂吉の腐れトマトの赤は寓意に転じない。もっと視覚的で瞬間的な事物との接触である。この知世子句のような地点の先に何があるのか、そこを探ることが「人間探求」の新しい歴史的意味を拓いていくことになる。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖) 松村禎三
炎天より入り来し蝶のしづまらず 網戸さえろくになかった昔、暑くなってくれば縁側のガラス戸を全開にして庭からの風を招き入れた。くらっとくる炎天の明るさに比べ、軒深く電気をつけない家の座敷は暗かった。白昼の家はひっそりと物音もせず、箪笥の向こう側や廊下の陰に誰かが潜んでいそうで、一人で留守番するのが怖かった。掲句の情景には覚えがある。蝶だけではない、スズメやカナブンなど、いろんな生き物が家の中に入ってきた。今まで自分が自由に振舞っていた世界とは明らかに異質の空間に迷い込んだことに、驚いているのは迷い込んだ生き物自身だろうが、いたずらに騒いで見当違いな場所へ身体と打ちつけるばかりで、なかなか外へ出ることが出来ない。暗い部屋に飛びこんできた蝶の動きを目で追っている作者。結核にかかり音楽家としての将来を一時断念するかたちで若くして療養所に入らなければならなかった彼は、音楽の師池内友次郎の導きで俳句をはじめた。希望にあふれた人生から一転、病臥療養の生活へ追い込まれた自身の焦燥感を行き場を失った蝶に重ねているのか、いつまでも静まらない蝶の羽ばたきを凝視している作者の視線を感じる。『松村禎三句集』(1977)所収。(三宅やよい)
火箱游歩 祗園祭もいよいよ今日が宵山、明日が山鉾巡行である。火箱さんは京都の雲林院町に住む俳人。京都の人ならではの身近な祗園祭の句が他にもある。「ちちははの恋のお話宵祭」「宵山は雨にらふそく献じましよ」句集『雲林院町』より。(小倉喜郎) 浅井愼平
雲ひとつ浮かんで夜の乳房かな 無季句。季語はないけれども厳寒の冬ではなく、春あるいは夏の夜だろうと私には思われる。まだ薄あかるく感じられる夜空に、白い雲が動くともなくひとつふんわりと浮かんでいる。雲というものは人の顔にも、動物の姿などにも見てとれることがあって、それはそれでけっこう見飽きることがない。雲は動かないように見えていて、表情はそれとなく刻々に変化している。この句の場合、雲はふくよかな乳房のように愼平には感じられたのであろう。対象を見逃さない写真家の健康な想像力がはたらいている。遠い夜空に雲がひとつ浮かんでいて、さて、目の前には豊かな乳房があらわれている――という情景ととらえてもよいのかも知れない(このあたりの解釈は分かれそうな気がする)。そうだとしても、この句にいやらしさは微塵もない。夜空の雲を見あげる写真家の鋭いまなざしと、豊かな想像力が同時に印象深く感じられる。カメラのピントもこころのピントもぴたりと合っていて、確かなシャッターの音までもはっきりと聞こえてきそうである。「色のなき写真の中のレモンかな」という別の句にも、同様に写真家によるすっきりした構図といったものが無理なく感じられる。『夜の雲』(2007)所収。(八木忠栄) 2008年7月14日
小枝恵美子 この句は句集『ポケット』にもあるが、俳句を始めて間もない頃に頂いた句集で、私の俳句のスタートに大きく影響した忘れられない句である。この人の次の句集が待ち遠しい。(小倉喜郎) 山田露結 角川『俳句』7月号の「17音の冒険者」からの句。このコーナーは私と同世代かそれより若い世代の人の俳句を読むことができるので、毎月楽しみにしている。(小倉喜郎) 山本無蓋
火曜日は原則としてプールの日 本日火曜日。原則として、などといかめしく始まる斡旋に、わが火曜日に何ごとが起こるのかと身構えてみれば、ごく私的な「プールに行く日」なのだという。作者が大真面目であればあるほど、とぼけたおかしみに吹き出す。ことに火曜日に発見があるのではないか。月曜日の憂鬱もなく、週末への期待もまだまだ遠く、一週間のなかでもっとも意味を持たれにくい曜日である。日曜日に市場に出かけ~♪で始まるおなじみのロシア民謡『一週間』でも、月曜日にせっせと準備したお風呂に、火曜日はただ入るだけという気楽な設定である。まったく印象の薄い曜日だと納得していたが、最近「スーパーチューズデー」で一躍火曜日が注目された。アメリカ合衆国では選挙投票日が必ず火曜日に設定されている。これは19世紀半ばから続く慣習で、キリスト教では日曜日が安息日とされていることから、月曜日に投票場へと出発し、どんなに遠隔地からでも火曜日には到着しているあろうという、なんとも先のロシア民謡的ゆるやかな理由からなるものだった。ともあれ、火曜日はなんとなく予定も空いているような曜日であることは間違いなく、掲句も固く決めておかないと突発的残業やら突発的飲み会などの優先順位についつい負けてしまうのだろうな。『歩く』(2008)所収。(土肥あき子) 藤城一江
向日葵に路面電車の月日かな 今年も、向日葵が勢いよく咲く季節になった。向日葵に限らず夾竹桃も百日紅なども、夏の花はみな元気だ。そんな向日葵が咲きそろった舗道を、路面電車が通過していく。この電車、相当に古びているのだろう。レール音も、心なしか喘いでいるように聞こえる。この街に住んで長い作者は、その昔、まだ電車が向日葵を睥睨するようにして、颯爽と走っていた時代を知っているのだ。それが年を経るうちに、いつしか立場は逆転して、いまや路面電車に精気はほとんど感じられない。かたや向日葵は、毎夏同じように精気にあふれているのだから、いやでも電車の老朽化を認めないわけにはいかなくなってきた。すなわち、それは作者自身の老齢化の自己認知にもつながっているのであり、なんでもないようなありふれた光景にも、このように感応する人は感応しているのである。路面電車といえば、広島市内には、かつての各地の路面電車の車両が当時そのままの姿で走っている。以前同市を訪れた際に、あまりの懐かしさに行く宛もないまま、昔の京都スタイルの市電に乗ってしまったのだった。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男) 内田美紗 この句は「船団」75号からものも。内田さんといえば「ミック・ジャガーの小さなおしり竜の玉」「秋深むこともレノンの丸眼鏡」など、ミュージシャンの個性がよく感じられる句である。(小倉喜郎) 成田清子
子が沈め母がしづめて浮人形 ものとしては知っていても、そこにきちんとした名前があてがわれていることを知りませんでした。言葉があとからやってくる、という体験を、この歳になってもするものだなと、思いました。子供の頃に行水や風呂に入って浮かばせて遊んだおもちゃを、「浮人形」と言うのかと、あらためて日本語のひそやかさに感心しました。歳時記にもその記載がありますが、ビニール製のものよりも、やはり思い出すのはブリキ製の金魚でしょうか。毒々しいまでに濃く色づけられた目の大きな金魚の顔を、今でも覚えています。句は、夏の日盛りの下の行水ではなく、日が落ちてからの風呂場の光景のようです。一日の汗をぬぐって、母親と小さな子供が風呂に入っています。どんな場所も遊び場にしなければ気がすまない子供が、浮人形に興じています。けれど、目の前の水面に浮いているものがあれば、母親とて、手のひらで上から押して沈めてみたいという気持ちがおきます。子供の直接的な「沈め」という動作を、わざわざひらがなの「しづめ」と書き換えているところに、母親のおもむろな動きを感じます。浮き上がろうとするおもちゃの力を、心地よく感じながら、同じ動作を子供と幾度も繰り返します。飛び上がるように浮いてくるおもちゃの勢いのよい姿は、それだけでその日の鬱屈を、いくらかは鎮めてくれているようです。『角川 俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男) 小野裕三 第一句集『メキシコ料理店』から引いた。作者は1968年生れ。かなり大胆な取り合わせと表現をする俳人で、その多くは私にはわからない。わからないというのはつまり感じることができないということ。しかし時々掲出句のように私(読者)にピタリとくるものがあり驚く。「飛行機を燃やせば住める花野かな」「背泳の手が伸びてくる喫茶店」などがある。(小倉喜郎) 松尾いはほ
鳥逐うてかける馬ある夏野かな テレビで動物の番組が見られなくなった。動物の悲惨は見るに耐えないが、最近は、動物の生態を撮った映像もだめ。こんな穴の中の住処までカメラを入れなくてもとか、この芸を覚えるのはかなりしんどかったろうな、などと考えるともうだめだ。これはやはり老化と関係するのだろう。舞台に子役が上がるとそれだけて泣いてしまうお婆ちゃんと同じだ。脚本家はここで泣かせようと意図して場面をつくる。泣けよ、泣けよ、ほうら、泣いた、やっぱりね。というふうに。それに嵌るのが、ボタンを押されたら涙が出るロボットみたいで悔しいから、定番の罠にかからないようにする。ここで泣かせようとするだろうと先手を打つわけである。俳句もほうら美しいでしょとか、見事に取り合わせが決まったでしょと主張する作品には魅力がない。罠に嵌められた感じがするんだな。意図された感動つまり従来の情緒を嫌って「もの」そのものを求めていくと、いつか鋏や爪切りがそこに在ることの哀しさや喜びを詠えるようになるのかななんて考える。逐うてはおうて。鳥を追って駆ける馬には嘘がない。それを写し取る作者の意図も抑制されている。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖) 能勢京子 化石と言えば兵庫県丹波市では2年ほど前に大型の草食恐竜が発見され、「丹波竜」として町おこしに一役買っている。その隣町の私が住む篠山市では、先日同じ地層帯から日本でも最古の哺乳動物の化石が出土し地元では大騒ぎとなった。白亜紀の真獣類「エオマイア」といいかなり貴重なものらしいが、大きさはネズミほどであまり派手ではない。町おこしにはややインパクトに欠けるが我が町らしい。『銀の指輪』(2005年)より。(小倉喜郎) 上田五千石
青芒川風川にしたがはず この句を読んだときいっぺんに目の前がひらける感じがした。山登りでちょっとした岩場に出て今まで林に閉ざされていた景色がパノラマで広がる、そんなすがすがしさと似ている。自然を描写した句は多いけど、すかっと気分がよくなる吟行句は案外少ない。川そばの青芒が強い川風にいっせいになびいている。その風向きと川が流れてゆく方向が違う。と、字面だけを追ってゆくと理屈だけになってしまうこの句のどこに引かれるのだろう。川の流れが一望できる高台で、視覚だけでなく頬を打つ風の感触で作者は眺望を捉えているのだ。夏の日にきらめく川の流れる方向に心を乗せて、かつ青芒をなびかせる風を同時に感じた時ひらめいた言葉が作者の身体を走ってゆく。リズムのよいこの句のすがすがしさは、広がる景の空気感を言葉で捉えなおした作者の心の弾みがそのままこちらに伝わってくるからだろう。その時、その場でしか得られない発見の喜びが景の描写に輝きと力を加えているように思う。『遊山』(1994)所収。(三宅やよい) 手嶋まりや 頑張るといえば、この句、「いつき組」(2008年7月)から引いた。作者は「1年360句への挑戦」を続けている大学生。「白夜かなピアスホールの膿んでおり」「明日が嫌では熱帯魚にもなれん」パワフルだが優しい。(小倉喜郎) 西岡光秋
蝉しぐれ捨てきれぬ夢捨てる夢 何歳になっても夢をもちつづける人は幸いである。しかし、一つの夢を実現させたうえで、さらに新たな夢をもつこともあれば、一つの夢をなかなか果せないまま齢を重ねてしまう、そんな人生も少なくない。掲出句の場合は、後者のように私には思われる。捨てきれない夢だから、なかなかたやすく捨てることはできない。たとえ夢のなかであっても、その夢を捨てることができれば、むしろホッと安堵できるのかもしれない。それはせめてもの夢であろう。けれども、現実的にはそうはいかないところに、むしろ人間らしさがひそんでいるということになるか。外は蝉しぐれである。うるさいほどに鳴いている蝉の声が、「夢ナド捨テロ」とも「夢ハ捨テルナ」とも迫って聴こえているのではないか。中七・下五は「捨てきれぬ夢」と「捨てる夢」の両方が、共存しているという意味なのではあるまい。それでは楽天的すぎる。現実的に夢を捨てることができないゆえ、せめて夢のなかで夢を捨ててしばし解放される。そこに若くはない男の懊悩を読むことができる。だから二つの夢は別次元のものであろう。手元の歳時記に「蝉時雨棒のごとくに人眠り」(清崎敏郎)という句があるが、「棒のごとくに」眠れる人はある意味で幸いなるかな。光秋には「水打つて打ち得ぬ今日の悔一つ」という句もある。『歌留多の恋』(2008)所収。(八木忠栄) 種田山頭火 ![]() 東英幸と編集した『山頭火百句』が出た。創風社出版の文庫版百句シリーズの1冊だが、今回は新機軸を出した。50人の執筆者が自分にとっての山頭火を「私と山頭火」と題して書いたのだ。つまり50のミニ山頭火論が集まったのである。ちなみに、掲出の句を「リフレインに気持の張りが表れている」と鑑賞したのは杉山久子。彼女は「私と山頭火」では酒がらみの話題によくなる山頭火について語っている。山頭火の其中庵があった小郡の隣町に彼女は住んでいる。 鳥居真里子 鳥居真里子の句集『月の茗荷』(2008年)には水平線の句が掲出句の他に「陽炎や母といふ字に水平線」がある。こちらは無限の水平線。これらの句を読んでいると、やはり水平線は定規で引いた真直ぐな線というより、地球が作る柔らかい曲線であると確信する。ただこの2句をもってそのアメリカ人を納得させることは難しい。(小倉喜郎) 中原幸子 中原さんはご存知のように、このe船団の編集長であり、読者はもとより、ドクターや書き手にまで気配ってくれる。真面目で何より頼れる人である。そんな中原さんの句にときどき面食らうことがある。真面目に不真面目なことをするのは俳句の楽しみの一つ。この句は『以上、西陣から』(2006年)からのものだが、この句の隣に「噴水へまっすぐ脚を揃えけり」があることも付け加えておく。(小倉喜郎) 鈴木花蓑
紫陽花の浅黄のまゝの月夜かな 浅黄色は、古くは「黄色の浅きを言へるなり」(『玉勝間』)ということだが、浅葱色とも書いて、薄い藍色を表すようになった。今が盛りの紫陽花の、あの水よりも水の色である滴る青は、生花の色というのが不思議な気さえしてくる。梅雨の晴れ間、月の光に紫陽花の毬が浮かんでいる。赤みがかった夏の月からとどく光が、ぼんやりと湿った庭全体を映し出して、山梔子の白ほどではないけれど、その青が闇に沈まずにいるのだろう。紫陽花と一緒になんとなく雨を待っている、しっとりとした夜である。初めてこの句を「ホトトギス雑詠撰集・夏の部」で読んだ時は、あさぎ、とひらがなになっていて、頭の中で、浅葱、と思ったのだったが、こうして、浅黄、となっていると、黄と月が微妙に呼び合って、ふとまだ色づく前の白っぽい色を薄い黄色と詠んだのかとも思った。が、じっと思い浮かべると、やはり紫陽花らしい青ではないかと思うのだった。代表句とされる〈大いなる春日の翼垂れてあり〉の句も印象深い。「新日本大歳時記・夏」(2000・講談社)所載。(今井肖子) 鈴木ひさし しばらくバスを待っていると、暑さのせいか昨日からの記憶が曖昧になってきた。ひょっとすると自分は昨日からずっとここでバスを待っていたのではないかと思い始めた。いやもっと前から。相変わらず夏の蝶は辺りを飛んでいる。季語と「昨日のバス」がそんな不思議さを少し出している。「船団」75号(2007年12月1日発行)より。(小倉喜郎) 掛井広通 さて梅雨明けとは、夏の太平洋高気圧の勢力が増し、梅雨前線を北へ押し上げてしまうか、北と南の高気圧に挟まれて前線が消滅してしまうかである。「そろそろ梅雨明けか?」とか「そろそろ蝉が鳴き始めるぞ!」などと思いながら天気図を見ることが私も嫌いではない。梅雨明けが待ち遠しい。『孤島』(2007)より。(小倉喜郎) 仁藤さくら 彼女の第2句集『光の伽藍』(2006)の中には「日焼けせし死の影に腕つかまれぬ」のように「死」がよく出てくる。「死」とは「生」の裏返しであろうが、彼女の句の中ではむしろ「生」「死」は同意であると思われる。第1句集『Amusiaの鳥』の坪内稔典の解説の中に興味深いやりとりがある。坪内「1日のうちでどんな時が楽しい?」仁藤「目ざめ、あるいは眠りですね。生きてあるということの微妙な感触を覚えますから。」(小倉喜郎) 徳川夢声
不機嫌にみな眠りをり夏の汽車 もちろん観光などといったしゃれた旅ではない。夢声のことだから、仕事での旅で夜汽車に揺られているものと思われる。御一行はもはやお互いによく知った顔ぶれであって、特に珍しくもないし、もちろん気をつかう必要もない。仕事の疲れと夏の暑さゆえに、みなくたびれて無口になり、不機嫌な様子で目を閉じているのだろう。といって、本気で眠りに落ちているわけではあるまい。現在のような冷房車ならともかく、せいぜい扇風機がカタカタまわっている車内は、暑くてやりきれない。座席だって居心地良くはない。起きていてもつまらないから、無理に眠ろうとしてみるのだが、なかなか眠れそうにもない。句からは面々の不機嫌な様子が見てとれるのだけれど、どこかしら可笑しさも拭いきれないところが、この句の味わいである。作者も「やりきれんなあ」と内心で呟きながら、そこに少々の苦笑も禁じえない。快適な汽車の旅をただ満喫してはしゃいでいるようでは、詩にも俳句にもなろうはずがない。せいぜい今はやっているテレビの旅番組の、いい気なワン・シーンにしかならない。掲出句のような光景は、なかなかお目にかからないことになってしまった。♪今は山中、今は浜、今は鉄橋わたるぞと・・・・の歌が皮肉っぽく聴こえてくるようではないか。夢声には「青き葉のあまりに青し水中花」という涼しい夏の句もある。また2冊の句集『句日誌二十年』『雑記・雑俳二十五年』がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄) 笠井亞子 職場には友人の陶芸家からもらった大きな睡蓮鉢がありメダカが泳いでいる。一定の温度を越える日が続くと卵を産み始める。毎日いくつか産むので、何日かすると順番に孵化しはじめる。毎日増えてゆくわけだから別に特別なことではない。それに気づく作者のコンディションが特別なのだ。この句の場合それが寝不足なのである。人間は寝不足になるとちょっとだけ優しくなれるようである。『東京猫柳』(2008年)より。((小倉喜郎) 加藤峰子
歩荷くる山を引き摺るやうに来る 本日富士山のお山開き。夏山登山がシーズンを迎える。歩荷(ぼっか)とは、ヒマラヤ登山のシェルパ族や、新田次郎の小説『強力(ごうりき)伝』で登場する荷物を背負って山を越えたり、山小屋へ物資を届けたりする職業である。現在ではヘリコプターが資材運搬の主流となり、歩荷は山岳部の学生や登山家がトレーニングを兼ねて行っているというが、以前は過酷な労働の最たるものだった。実在のモデルが存在する『強力伝』で、富士山の強力小宮正作が白馬岳山頂に運んだ方位盤は50貫目(187.5kg)とあり、馬でさえ荷を運ぶときの上限は30貫目(112.5kg)だったことを思うと、超人と呼べる肉体が必要な職業だろう。立山連峰で歩荷の経験のある舅に当時の思い出を聞くと、ぽつりと「一回に一升の弁当がなくなる」と言った。歩荷の経験が無口にさせたのか、無口でなければ歩荷は勤まらないのか定かではないが、口が重いこともこの職業に共通した大きな特徴であるように思われる。食べては歩く、これをひたすらに繰り返し、這うように進む。眼下に広がるすばらしい景色や、澄んだ空気とはまったく関係なく、道が続けば歩き、終われば目的地なのだ。掲句では上五の「くる」で職業人としての歩荷を描写し、さらに下五で繰り返す「来る」でその存在は徐々に大きくなって迫り、容易に声を掛けることさえためらわれる様子が感じられる。歩荷は山そのもの、まるで山に存在する動くこぶのような現象となって、作者の目の前をずっしりと通り過ぎて行ったのだろう。『ジェンダー論』(2008)所収。(土肥あき子) 中津昌子 今週は大阪・天王寺動物園の宮下園長とカバをめぐる対談をする。「毎日新聞」の[異色 交談放談]というシリーズのひとつ。岩波書店の「図書」7月号には「バシャンとチャポン」を書いた。宮城県日立市のかみね動物園へカバを訪ねた話である。今日の写真はわが家最大のカバ。皮革造形作家、河野甲の作だ。掲出した歌は歌集『夏は終わつた』(青幻舎発売)にある。 ![]() 長嶋 有 長嶋氏は‘肩甲’の俳号で句作もされるがその俳句も、どうということはないけれどなんとなくおかしく少し切ないという小説作品に重なる味わい。たとえば今日の句、外出に携帯するべき水筒(!)に麦茶を入れて家で飲んでいる時のビミョーな気分に長嶋流リアリティを感じる。 ※6月29日に多佳子忌、晶子忌であると書いたが5月29日の間違い。訂正してお詫びする。 本日で担当終了。俳句を読ませていただいた、拙文を読んでくださった皆さまありがとうございました。(内田美紗) 高千夏子
草刈奉仕団が帝国ホテルより ええっ。「草刈」と「帝国ホテル」とは、なんともそぐわない取り合わせだ。一瞬そう思ったけれど、ははあんと納得。これから草刈奉仕に出かける先は、間違いなく皇居だろう。皇居では常時、勤労奉仕希望者を募集している。仕事は除草,清掃,庭園作業などだそうだ。15名以上60名までの団体であれば、誰でも申し込むことができる。奉仕期間は連続した四日間だから、地方からの奉仕者は近辺に宿泊しなければならない。したがって、なかにはこんなふうに帝国ホテルに泊まる人たちがいても不思議ではない。奉仕ついでに東京見物もかねてとほとんど物見遊山気分なのである。それにしても、まさかみなさん手に手に草刈鎌を持っていたとは考えにくいから、いったいどんないでたちだったのかが気になる。普通に考えれば奉仕団と染め抜いた秦かたすきを携えていたと思われるが、違うかな。いずれにしても皇居奉仕と帝国ホテルとは、俳句的にはつき過ぎにはならないけれど、観念的にはえらくつき過ぎていて、にやりとさせられてしまった。『審版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男) 平石保夫
居るはづの妻消えてゐし昼寝覚め 普通の読み方をするなら、この句はほほえましい光景として受け止められるのでしょう。連日のつらい通勤から、やっとたどり着いた休日なのに、勤め人というのはなぜか朝早く目が覚めてしまうのです。そのために昼過ぎにはもう、朝の元気は消えうせ、眠くて仕方がありません。腕枕をしながらテレビでも見ようものなら、5分とたたずに眠ってしまいます。いつもなら、「こんなところで邪魔ねえ」と、早々に起こされるところが、なぜか今日はぐっすり眠らせてもらえたようです。なんだか頭の芯まですっきりするほどに眠ってしまったのです。窓の外を見れば、すでに夕暮れが訪れてきています。部屋の電気も消え、まわりには何の物音もしません。どうしてだれもいないのだろうと、だるい体で考えをめぐらせているのです。読みようによっては、「消えて」の一語が、ちょっとした恐怖感をかもし出しています。でも奥さんは単に、夕飯の買い物にでも出かけたか、あるいは何かの用事があって外出しているだけなのでしょう。さびしさとか、取り残されているとか、そんな感じの入り込む余地のない、おだやかで、堅実な日々のしあわせを、この句から感じ取れます。『鑑賞歳時記 夏』(1995・角川書店)所載。(松下育男) 金子 敦 金子さんは、なんでもないモノやコトに託して心理の機微を詠むことに心を傾ける俳人だと思う。が、その一見なんでもないようなモノやコトは、金子さんにとってはなんでもなくはないのだ。たとえばこの句、ガムテープから喚起されるベタつく感触や使い切った時の気分ゆえに西日と韻き合ったので、ガムテープは選ばれたモノなのだ。 出たばかりの第3句集『冬夕焼』に。集中の「タバスコの瓶の隣の水中花」のタバスコの瓶にもそんなさりげないこだわりを感じた。金子さんの俳句は、読み手の楽しめる余白が広い。(内田美紗) 水内慶太
蚊遣香文脈一字にてゆらぐ 何年ぶりだろう、金鳥の渦巻蚊取線香を買ってきた。真ん中の赤い鶏冠が立派な雄鳥と、青地に白い除虫菊の絵柄が懐かしい。緑の渦巻の中心を線香立てに差し込んで火をつける。蚊が落ちる位なのだから、人間にも害がないわけはないな、と思いながら鼻を近づけて煙を吸ってみる。記憶の中の香りより、やや燻し臭が強いような気がするが、うすい絹のひものように立ち上っては、ねじれからみ合いながら、夕暮れ時の重い空気に溶けてゆく煙のさまは変わらない。長方形に近い断面は、すーと四角いまま煙となり、そこから微妙な曲線を描いてゆく。作者は書き物をしていたのか、俳句を詠んでいたのか、考えることを中断して外に目をやった時、縁側の蚊取り線香が視野に入ったのだろうか。煙がゆらぐことと文脈がゆらぐことが近すぎる、と読むのではなく、蚊を遣る、という日本古来の心と、たとえば助詞ひとつでまったく違う顔を見せる日本語の奥深さが、静かな風景の中で響き合っている気がした。〈海の縁側さくら貝さくら貝〉〈穴を出て蜥蜴しばらく魚のかほ〉〈星祭るもつとも蒼き星に棲み〉など自在な句がちりばめられている句集『月の匣(はこ)』(2002)所収。(今井肖子) 高野ムツオ 半透明の身体で海中を浮遊する海月は、とらえどころのないことの譬えにもされるが、神の視点では海月も人間も頼りなく漂っている同類かもしれない。最近流行の‘海月ヒーリング’も、水にゆらめく海月を眺めると親近感を覚えて心が休まるのかも。 「高野ムツオ句集」(2007年・初出『蟲の王』)より。同書掲載の‘高野ムツオ小論’で石母田星人氏は、多くの俳人が高野氏の句に‘なぜか分からないが惹かれる’と語ると述べておられるが同感だ。(内田美紗) 小檜山繁子
初夏の街角に立つ鹿のごと 立つのは自分。恐る恐る周囲を確かめるように、きらきら輝く初夏の光の中に立つ。街も鹿も清新な気に満ちている。昭和六年生れの小檜山さんは、結核療養中二十四歳で加藤楸邨に師事。重症だったので療養所句会には車椅子で出席した。青春期の大半を療養所で送ったひとが、街角に立つ「自分」をどれほど喜びと不安に包まれた存在として見ているかがうかがわれる。言葉の印象としては角と鹿が、かど、つの、鹿という連想でつながる。一句表記の立姿も鹿の象徴のようにすっきりしている。別冊俳句「平成俳句選集」(2007)所載。(今井 聖) Amazon.co.jp: ボー・ジェスト: ゲイリー・クーパー, ウィリアム・A・ウェルマン, ドナルド・オコナー|ウィリアム・A・ウェルマン|ウィリアム・A・ウェルマン, レイ・ミランド,
www.amazon.co.jp/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82... 英国のブランドン卿の邸宅には卿の夫人、姪のイソベル、それに孤児を養子として引き取ったジェスト3兄弟らが住んでいた。ブランドン卿は邸宅に一切帰らず夫人に遊ぶ金ばかりをせびる道楽者であった、そのため実際のブランドン邸宅の生活は楽なものではなかった。15年の月日が流れ、今では3兄弟のジョンとイソベルは愛し合う仲だった。ある日突然卿が金策に困り、「青い水」を売ることになった。しかし、その夜その秘宝が何者かに盗まれ、ボーは盗んだのは自分だという書置きを残して家出した。しかもそれから次々と3兄弟のディグビーもジョンも宝石を盗んだのは僕だと書いて出て行った。アフリカ外人部隊で落ち合った3兄弟は「青い水」について話した。これを聞き取ったマーコフ軍曹は、ボーが隠し持っているものと睨み、奪い取る機会を狙うようになったのだった・・・。
星野早苗 「船団」77号(6月1日発行)の特集<道具>から。全会員参加のこの企画は、各人が身近な愛用の道具に託して自分の‘小宇宙’を100字で書き一句を添えるというもの。余談ながら、女性の多くがキッチン用品について語っていたのが面白くも複雑であった。 さて星野さんの句、真っ黒で重いフライパンへの愛着をいささか重荷に感じてもいる気分がうかがわれるのは‘夏’の猫だから。(内田美紗) 西野文代
ほうたると息を合はせてゐる子かな 幼い頃は高度成長で町中の川は汚れきっており、初めて蛍を見たのはかなり遅かった。真っ暗な道で青白く光るものが胸の辺りを横切ったときには、うわっとばかりにのけぞってしまった。一匹だけ飛んできた蛍は今まで見たどんな灯りにもない冷たい色を帯びていて都会育ちの私には少し不気味だった。掲句の子供はそんな私と違い蛍と馴染みのようだが、どんな場所で蛍と向き合っているのだろう。川の傍らの草に止まっているのを見つけたのか、それとも明りを消した部屋の蛍籠だろうか。「蛍」を「ほうたる」と少し間延びしたゆるやかな音を響かせることで、蛍にじっと見入っている子供がその光にあわせて深く息を吸っては、吐いている時間が伝わってくる。読み手も自分の息を「ほうたる」と、ゆっくりしたリズムに重ねてみることでその様子を実感をもって想像できる。テレビの音も車の音もしない、ただしんとした闇のなか光で語りかけてくる蛍との豊かな対話をこの子は味わっているのだろう。『ほんたうに』(1990)所収。(三宅やよい) 小西昭夫 自分を第三者的に見て一般化する態度は、俳人が俳号をつけて別人格になった歴史からも分かるように、俳句の基本姿勢の一つであり、仕掛けでもあった。 俳号を持つ人が少なくなったいまも、俳句仲間同士が下の名前で呼び合う習慣などは、苗字で暮す社会を離れて別の自分になりたいとの願望の現われでもあるだろう。小西さんは俳句で愛妻家小西昭夫氏になったのだ。 もっとも小西さんには「愛妻家なれど冷奴を愛す」など愛妻家を自任する句も少なくないので、実生活でも小西昭夫氏同様に愛妻家なのである。「平成秀句選集」(2006年)より。(内田美紗) 高見 順
蝋の鮨のぞく少女のうなじ細く 鮨にかぎらず、レストランのウィンドーにディスプレイされている食品サンプルの精巧さには驚かされる。みごとなオブジェ作品である。昔は蝋細工だったが、現在は塩化ビニールやプラスチックを素材にしているようだ。食品サンプルはもともと日本独自のものであり、その精巧さはみごとである。目の悪い人には本物に見えてしまうだろう。掲出句の「蝋の鮨」は鮨屋のウィンドーというよりは、鮨からラーメンまでいろいろ取りそろえているファミリー・レストラン入口のウィンドーあたりではないか。蝋細工のさまざまなサンプルがならんでいるなかで、とりわけおいしそうな鮨に少女は釘付けになっているといった図である。たとえファミリー・レストランであるにしても、鮨の値段は安くはない。食べたいけれど、ふところと相談しているか、またはその精巧さに感心しているのかもしれない。作者は店に入ろうとしてか、通りがかりにか、そこに足を止めている少女の細いうなじが目に入った。少女の見えない表情を、うなじで読みとろうとしている。作家らしい好奇心だけでなく、やさしい心がそこに働いている。どこかしらドラマの一場面のようにも読めそうではないか。鮨と細いうなじの清潔感、それを見逃さない一瞬の小さな驚きがここにはある。江戸前の握り鮨は、鬱陶しい雨期や炎暑の真夏にはすがすがしい。高見順が残した俳句は少ないが、小説家らしい句。鮨の俳句と言えば、徳川夢声に「冷々と寿司の皿ある楽屋かな」、桂信子に「鮨食うて皿の残れる春の暮」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄) 林田紀音夫 無季作家と理解していたが‘季語’とされている言葉にも多く出会った。詩語として使われたのだろう。掲句(初出・昭和36年~47年の作品を収めた『幻燈』)もそうした作品の一つか。誰もいない日暮れのプールを後にする男の寂しさは普遍だ。(内田美紗) 相生垣瓜人
邪悪なる梅雨に順ひをれるなり 順ひは、従うの意。毎日続く邪悪な雨に渋々従っているのだという作者には、他にも〈梅雨が来て又残生を暗くせむ〉〈梅雨空の毒毒しきは又言はじ〉〈卑屈にもなるべく梅雨に強ひられし〉と、よほど梅雨の時期がお嫌いだったようである。雲に隠れた名月を眺め、炎天にわずかな涼しさを詠み取る俳人に「あいにくの天気はない」というが、これもやせ我慢や強がりから出る言葉だろう。そこに風雅の心はあるのだと言われれば納得もするが、たまには「嫌いは嫌い」とはっきり言ってくれる句にほっとし、清々しさを感じることもある。『雨のことば辞典』(倉嶋厚著)に「雨禁獄(あめきんごく)」という言葉を見つけた。大切な日に雨ばかり降ることに立腹した白河院が、雨を器にいれて牢屋に閉じ込めた故事によるという。雨乞い、晴乞い、ひいては生け贄をもってうかがいを立てるなど、天災にはきわめてへりくだったやり方が採用されていた時代に、なんと大上段の構えだろう。しかし、この八つ当たり的な措置に愛嬌と童心を感じるのも、また掲句に浮かぶ微笑と等しいように思う。『相生垣瓜人全句集』(2006)所収。(土肥あき子) 坪内稔典 青畝を読む会の例会で奈良県葛城市へ行った。一言神社から九品寺に至る葛城古道を歩いたのだが、写真はその途中の風景。中景のこんもりした3つの山は左から畝傍山、耳成山、香具山のいわゆる大和三山。これから数年かけてこの写真のあたりを逍遥したいと思っている。一緒に歩く人、この指とまれ! ![]() 齋藤朝比古 否定形はともすると作者の主観があらわになって押し付けがましい印象を与えるが、この句では否定が反語的に働いて、違うと断定しつつ自他への問いかけになっている。 ウェブマガジン「週刊俳句」第60号(6月15日)より。この‘週刊誌’は所属の枠を取り払った多彩な俳人の作品や論評が掲載されていて読むのが楽しい。(内田美紗) 金子 敦
いつせいに子らゐなくなる夏座敷 親戚一同が集まっての法事の座敷だろうか。私にも何度も体験はあるが、故人にさして思い入れがない場合には、ゆっくりと進行する決まりごとに、大人でもいらいらするときがある。ましてや子供にとっては退屈千万。窓の外は日差しが強く、室内が明るいだけに、余計に苛々してしまうのだ。それでも神妙なふりをして坊さんの読経などを聞いているうちに、やっと式次第が終了し、さあ子供は外で遊んできてもいいよということになる。むろん、しびれをきらしていた子供らはまさに「いっせいに」外に出て行ってしまう。残る子なんて、いやしない。なんということもない情景ではあるけれど、この句は実は大人も同時に解放された気分が隠し味になっているのであって、そこらへんが実に巧みに詠まれている。余談めくが、しかし何かとわずらわしい子供らがこういう場所に集まることそれ自体が、この親族一同にとっての盛りの時期だったことが、後になるとよくわかってくる。少子化ということもあり、こんな情景も今ではなかなかお目にかかれなくなってきているのかもしれない。『冬夕焼』(2008)所収。(清水哲男) 2008年6月22日
伊藤 径 終日車を引かされた馬の眠りに届くのが、どんよりとした水のにおいを含んだ風であり、空にあるのは炎天続きの赤い星であるのが、こき使われた馬を、それを使う人の暮らしを、ひいては中国の風土までをも想像させる。そこには作者の、旅行者ではなく生活者として接した中国への深い眼差しがある。(内田美紗) 塚原 治
退職の言葉少なし赤き薔薇 若い頃は、人と接するのがひどく苦手でした。多くの人が集まるパーティーに出ることなど、当時の自分には想像もつかないことでした。けれど、勤め人を35年もしているうちに、気がつけばそんなことはなんでもなくなっていました。社会に出て働くということは、単に事務を執ることだけではなく、職場の人々の中に、違和感のない自分を作り上げる能力を獲得することでもあります。ですから、たいていの人は知らず知らずのうちに、人前で挨拶をしろといわれれば、それなりに出来るようになってしまうものです。しかし時には、何年勤めても、そういったことに慣れることのできない人がいます。この句を読んで感じたのは、もくもくと働いてきた人が、定年退職を前に、最後の挨拶を強いられている場面でした。その人にとっては、何十年間を働きあげることよりも、たった一度の人前での挨拶のほうが、苦痛であったのかもしれません。幾日も前から、その瞬間を考えては悩んでいたのです。言葉につまる当人を前に、周りを囲んでいる人たちも気が気ではないのです。言葉などどうでもいい、もうなにも言わなくてもいいからという思いでいっぱいなのです。はやく大きな拍手でたたえて、見事に咲き誇った薔薇を、熱く手渡したかったのです。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2008年6月16日付)所載。(松下育男) 須田保子 この句を読んですぐ思い出したのは、旅先で寝そびれた明け方、ホテルの窓から人気のない道を眺めたときに感じた、知らない世界に取り残されたようなよるべなさ。詠まれている、保冷車が水をしたたらせながら去ってゆき、水跡が黒く続いている情景が、ポール・デルヴオーの絵のような既視感をともなって迫ってきた。 私事になるが、わたしの旅行嫌いの理由の一つは、旅に出ると必ずこんな明け方を体験することになるから。『方寸』(2004年)より。(内田美紗) まついひろこ などと思いながらも、この句が生命の神秘などという領域に深入りし過ぎていないのは‘列’に生活感をともなったリアリティがあるからだろう。わたしたちは日常の中で、駅のホーム、スーパーのレジ、人気飲食店、宝籤売場など、さまざまな行列に加わるが、だれにも人間に生まれるための列に並んだ記憶はないだろう。なのに、こう詠まれるとそんなことがあったように思えてくるから不思議だ。 さあっと流れる夏霧が、生死に関わる観念の重さをスカッと流してくれた。『谷日和』(2008年)より。(内田美紗) 成田三樹夫
ひそと動いても大音響 無季にして大胆な字足らず。舞台の役者の演技・所作は、歌舞伎のように大仰なものは要求されないが、ほんの少しの動きであれ、指一本の動きであれ、テンションが高く張りつめた場面であれば、あたかも大音響のごとく舞台を盛りあげる。大声やダイナミックな動きではなく、小さければ小さいほど、ひそやかなものであればあるほど、逆に観客に大きなものとして感じさせる。舞台の役者はその「ひそ」にも圧縮されたエネルギーをこめ、何百人、何千人の観客にしっかり伝えるための努力を重ねている。たかだか十七文字の造形が、ひそやかな静からゆるぎない巨きな動を生み出そうとしている。舞台上の静と動は、実人生での静と動でもあるだろう。特異な存在感をもった俳優として活躍した三樹夫は、舞台のみならず映画のスクリーン上の演技哲学として、こうした考え方をしっかりもっていたのであろう。ニヒルな存在感を「日本刀のような凄みと色気を持ち合わせた名脇役」と評した人がいた。三樹夫は惜しくも五十五歳で亡くなった。私は縁あって告別式に参列した際、三樹夫に多くの俳句があって遺稿句集としてまとめたい、という話を耳にした。死の翌年に刊行された。「鯨の目人の目会うて巨星いず」「友逝きて幽明界の境も消ゆ」などの句がならぶ。インテリで文学青年だった。掲出句はどこやら尾崎放哉を想起させる。「大音響」といえば、富澤赤黄男に「蝶墜ちて大音響の結氷期」があった。皮肉なことに、赤黄男のほうが演技している。『鯨の目』(1991)所収。(八木忠栄) 江戸時代末期の天保から弘化、嘉永年間にかけて、肥後藩主の細川斉護公が江戸の松平菖翁より花菖蒲を譲り受け、藩士の間にその栽培・育種を奨励し、室内鑑賞(鉢植え)を対象に育種をきそい合い、驚くべき発達をとげたのが、熊本花菖蒲です。
日本でハナショウブの栽培が本格的になったのは江戸時代だと言われ、花卉(かき)園芸の発展に伴って起こったものです。とりわけ、江戸を中心に諸大名が好み、庶民の関心も高まり、優れた育種家により、現代に伝わる栽培の基礎が確立されました。
虎 穴 月に1回のWEB句会をしている。当初、座の文学とされる俳句になじまないのではと迷ったが、会うのが難しい遠方の句友や所属を離れた関係での交流は想像していたより楽しい。出かけなくてもよいというメリットも。顔を合わさないゆえの(?)厳選に緊張感もある。というわけで、この句会、わたしの俳句生活の大切な場の一つになっている。6月の句会報より。(内田美紗) 佐藤文香
標本へ夏蝶は水抜かれゆく 昆虫が苦手なわたしは、掲句によって初めて蝶のHPで採取と収集の方法を知った。そこにはごく淡々と「蝶を採取したら網の中で人差し指と親指で蝶の胸を持ち、強く押すとすぐ死にます」とあり、続いて「基本的に昆虫類の標本は薬品処理する必要がありません。日陰で乾かせばすぐにできあがります」と書かれていた。こんな世界があったのだ。虫ピンというそのものズバリの針で胸を刺され、日陰でじっと乾いていく蝶を思うと、やはり戦慄を覚えずにはいられない。掲句はこの手順を「水抜かれ」のみで言い留めた。命、記憶、痛み、恐怖のすべてを切り捨て、唯一生の証しであった水分だけで全てを表現した。出来上がった美しい標本を見ているうちに、ふと考えた。丸々と太った芋虫の姿から、蛹のなかで完全にパーツを入れ替え、別な肢体を得る蝶のことである。今までの劇的な変化を考えれば、水分をすっかり抜かれることくらい、蝶にとっては造作もないことで、永遠の命を得るために標本への道を自ら選択しているのではないのかと。〈朝顔や硯の陸の水びたし〉〈へその緒を引かれしやうに鳥帰る〉『海藻標本』(2008)所収。(土肥あき子) 茨木和生 さて、掲句、体験がないので鑑賞が難しいが、松明に火を移すために木の枝などを集めて燃やす時、交じっていた松の根がひときわ炎を上げたという句意か。この句を収めた『畳薦』(2006年)には、消えつつある貴重な季語を詠まれた句が満載である。(内田美紗) 山田弘子
タイガースご一行様黴の宿 なっ、なんだなんだ、これは。「失敬な」と思うのは、むろんタイガース・ファンだ。いつごろの句かはわからないが、私はこの「黴(かび)の宿」を比喩と見る。つまり遠征中のタイガースが黴臭く冴えない宿に泊まっているのではなくて、弱かった頃のタイガースの成績の位置がなんだか黴の宿に宿泊しているみたいだと言うのだろう。万年最下位かビリから二番目。実際にどんな宿に泊まっても、そこもまた黴の宿みたいに思えてしまえる、そんな時期もありました。作者は関西の人ゆえ、たぶん阪神ファンだと思うが、あまりの不甲斐なさに可愛さあまって憎さが高じ、つい自嘲を込めた皮肉の一つも吐いてしまったというわけだ。今季のタイガースにとてもこんなことは言えないが、ここにきての三連敗はいただけない。こういう句を作られないように、明後日からの甲子園ではあんじょうたのんまっせ。虚子に一句あり。「此宿はのぞく日輪さへも黴び」。こんなに黴レベルの高い宿屋には、二度と泊まらないですみますように。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男) 東 英幸 が、この句はすこし趣が違うように思えた。下五に感嘆を表す切字「や」が置かれたことによって‘金槌をしまい忘れた父の日であることよ!’と父の日への思いが強く表出され、無骨で重い金槌が父である作者の分身のようにも思えてくる。 かりに「父の日や金槌しまい忘れたり」などとしたのでは、金槌と父を重ねた趣意に留まるが、倒置した表現をとったことによるぎくしゃく感が、ぽつんと置かれた金槌を暗示的にクローズアップした。「忘れた」の‘た’に作者の秘められた意志を感じてしまうのはわたしだけだろうか。「船団」75号より。(内田美紗) 与謝蕪村
御手打の夫婦なりしを更衣 武士言葉についての話題を、しばしば聞くことがあります。本も出ているようです。別の世界のようでいて、でもまったく違ったものとも思えない。地続きではあるけれども、不思議な位置にある世界です。いつもの慣れきった日常を新鮮に見つめなおす契機になるようにと、いまさらながら光をあてられてしまった言葉なのでしょう。まさか、「おぬし」とか「せっしゃ」と日々の会話で使うわけにもいかないでしょうが、その志や行いは、江戸しぐさに限らず、日々の行動に取り入れることの出来るものもあります。句の、「御手打(おてうち)」も、今は使われることのなくなった武士社会の言葉です。本当だったら許されることのなかった夫婦、というのですから、自然に思い浮かぶのは密通の罪でしょうか。隠れて情を通じ合っていた男と女が、何らかの理由によって「御手打」を許され、夫婦となって隠れ住んでいるもののようです。それでもかまわないという思いで結ばれた二人の気持ちが、どれほどに烈しいものを含んでいようとも、季節は皆と同じようにめぐってきます。夏になれば更衣(ころもがえ)もするでしょう。句の前半に燃え上がったはげしい情が、更衣一語によって、いっきに鎮められています。『日本の四季 旬の一句』(2002・講談社)所載。(松下育男) 藤村青明
蛇使ひ淋しい時は蛇を抱き み ほ 掲げたのも、担当した7日に出され後で冷や汗をかいた句。さっと目を通した時、壺の中で眠っていた雷がポンと飛び出したシュールなイメージを受けたのでそこが面白いと言ったのだが、番組終了後、梅雨時の部屋を壺に見立て、その中で作者が雷鳴で目覚めたというのが自然な読みだと気づいた。時すでに遅し!けれど最初の読みも楽しいのでは?と反省しながらも半分開き直っている。このケースはさておき、誤読で句がよくなることもなくはない。(内田美紗) 中林明美 この句、酒客として知られる太宰をふまえながら、まつわる話題が多いバーや小料理屋などてはなく、音の響きも実態も軽く明るいパブと取り合わせたところにダザイズムに淫していない第三者の視線がうかがえ‘いかにも感’からほどよく外れた。 開店したばかりのがらんとした店に入ったときの頼りない気分は、太宰の作品のベースでもあった人間のよるべなさにも通じる。さくらんぼの出る季節の暮れ切らない街・・・太宰作品の舞台にもなりそうだ。『月への道』(2003年)より。(内田美紗) 鈴木みのり この句は、着付けをしている花嫁さんの控室と思われるが、華やかな部屋とポットとの取り合わせが、結婚式という非日常のすぐ隣にある日常を思わせ、晴れの場につきまとう心理の機微まで言い得て妙。『ブラックホール』(2007年)より。(内田美紗) 須山つとむ この句、去年6月の「船団・宝塚句会」に出され、わたしだけが採ったのだが、いまだに覚えているのはなぜだろう。(内田美紗) 佐藤文香 作者はどちらかというと伏目がちな気持ちの女性なのかもしれないが、掲句には、自分の世界を大切にしたいという意志と、目を上げて闊達に生きたいという願望がないまぜになった心の揺らぎが感じられる。色が濃く模様もくっきりした夏の蝶が、カンバスの中のわたしの目をひらかせたのだ。 佐藤さんは昭和60年生まれ。俳句甲子園で最優秀賞を受賞した実績も持つ若手実力派。が、その受賞句は出たばかりの第一句集『海藻標本』にはない。帯文で池田澄子氏はその‘根性’に拍手を送り、大変なライバル出現と記された。池田氏ならずともおちおちしてはいられない。(内田美紗) ここは、女優藤田三保子(美保子改め)が経営するサイトです
個展・出演・朗読会の情報を提供しています。 詳しくは下のコンテンツより選んでくださ 「27歳のときだったかしら。膠原病にかかってしまい、それ以降は闘病生活に入りました」
膠原病とは悪性の関節リウマチのこと。役者にとっては致命的だ。 「ええ、罹病した時点で女優生命は終わりましたね。2年も3年もブランクがあったら、役者は死んだも同然ですよ。ただ、病気は100%完治したわけじゃないけど、40になった頃から、自分を表現したいって強烈な思いに駆られるようになったんです」 ジューンドロップきっとなにかの勘違い
朝日泥湖 夏柑に爪立て忘れたはずのこと (季語/夏柑)
高田節子 一枚の早苗の空となりにけり (季語/早苗)
松本秀一 2008年6月6日
本村弘一 じつはこの句が気になったのには、6がわたしのラッキーナンバーだという(誕生日)個人的な理由もあったのだが、そのことを本村さんに告げて喜んでもらった記憶がある。 この句、かなり思い切った詠み方だが、句歴を重ねてもこの自在な句風を貫いておられる本村さんに感服しきり。ずっと心に残っていた句だが、「船団」(76号)の‘本村弘一50句抄’で再会して喜んだ。 ところで今日は敬愛してやまなかった飯島晴子氏の命日。いろいろな意味でわたしにとっては特別な6並びだ。(内田美紗) ふけとしこ 掲句は企画の一つ「句会ライブ」の選者賞受賞句。この句会は‘現代の言葉(流行語や新語など)を用いた句’を一人1句投句し、9名の選者と会場参加者が選評をするというもの。テーマがテーマだけに清記一覧は、メタボ、後期高齢者、エコといった社会現象やKY、~~グー!といった流行語など‘現代語’のオンパレード。多くの言葉はおもしろいけれど一過性の要素が強くどこまで生き残れるかが議論となった。 そんな中で掲句の「そんなの関係ねえ」は、ブームが去っても時代の気分を象徴する言葉として通用するという点が評価された。昼顔との取り合わせのほどよい‘関係のなさ’も効果的と、わたしも一票を投じた。 なお、会場参加者の人気句は「噴水にオーラの薄き人ばかり 津田このみ」、「亀鳴いてナビの知らない道を行く 川島由紀子」。活発な意見交換に、こうした言葉を使う問題が浮き彫りになった句会であった。。(内田美紗) 中村十朗 私見に過ぎるが、作者の強い思い入れやユニークな感覚は時として読み手を絡め取る力を発揮するように思う。理解とは異なる次元で。たとえばこの句のように。 ちなみに大正3年は、漱石の「こころ」が発表され、宝塚少女歌劇が初公演、浅草オペラ開場、ミルクキャラメル創製などがあったとのこと。なんだか素敵な年に思えてきた。俳句同人誌「や」2007年秋号より。(内田美紗) さみだれのジャズボーカルの吐息かな 大谷朱門
藤森成吉
満山の青葉を截つて滝一つ 詞書に「那智の滝」とある。滝にもいろいろな姿・風情があるけれど、那智の滝の一直線に長々と落ちるさまはみごとと言わざるを得ない。すぐそばでしぶきを浴びながら見あげてもよし、たとえば勝浦あたりまで離れて、糸ひくような滝を遠望するのも、また味わいがちがって楽しめる。新緑を過ぎて青葉が鬱蒼としげる山から、まさにその万緑をスパッと截り落とさんばかりの勢いがある。「青葉」「滝」の季重なり、などというケチくさい料簡など叩き落す勢いがここにはある。余計なことは言わずに、ただ「截つて」の一言で滝そのものの様子やロケーションを十二分に描き出して見せた。いつか勝浦から遠望したときの那智の滝の白い一筋が、静止画の傑作のようだったことが忘れられない。ドードーと滝壺に落ちる音が、彼方まで聞こえてくるようにさえ感じられた。「青葉を截つて」落ちる滝が、あたりに強烈な清涼感を広げている。ダイナミックななかにも、「滝一つ」と詠むことで一種の静けさを生み出していることも看過できない。よく似た句で「荒滝や満山の若葉皆震ふ」(夏目漱石)があるが、こちらは「荒」や「震ふ」など説明しすぎている。成吉には「部屋ごとに変はる瀬音や夏の山」という句もあるが、澄んでこまやかな聴力が生きている。左翼文壇で活躍した成吉は詩も俳句も作り、句集『山心』『蝉しぐれ』などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄) 万緑や少女にぽつとものもらひ (季語/万緑)
橋場千舟 棚山波朗
ばかてふ名の花逞しや能登荒磯 ハキダメギクやジゴクノカマノフタなど、気の毒な名を持つ植物は多いが、作者の故郷能登では浜辺の植物ハマゴウ(浜栲)を「バカノハナ」と呼ぶそうだ。一時期を福井県三国に暮らした三好達治に『馬鹿の花』という詩があり「花の名を馬鹿の花よと/童べの問へばこたへし/紫の花」と始まることから、北陸一帯での呼称のようだ。ハマゴウは浜一面を這うように茂り、可憐な紫色の花を付ける。(「石川の植物」HP→ハマゴウ)花は香り高く、葉や実は生薬となり、また乾燥させた葉をいぶして蚊やりとして使用したりと、生活にもごく密着していたはずの植物が、どうしてこんな名前を持つことになったのだろう。さらに言えば、当地の方言で「ばか」を意味する言葉は「だら」を一般的に用いるということもあり、「ばか」という言葉そのものにもどことなく疎外された語感を伴う。掲句では、作者が哀れな名を持ちながら砂浜を一心に埋める花にけなげなたくましさを感じ、また険しい能登海岸の表情をひととき明るくする花の名が「ばか」であることに一抹の悲しみや、わずかな自嘲も含まれているように思う。命名の由来にはあるいは、灼けた砂の上に、誰も見ていないのに、馬鹿みたいにこんなに咲いて…、といういじらしさが込められているのかもしれない。『宝達』(2008)所収。(土肥あき子) 沢田美穂 掲句は出たばかりの第4号から。こういわれてみると、ラムネを飲む時は、一口飲んでは瓶をかざして覗いたり、中のラムネ玉を鳴らしてみたり、振って泡立ててみたり・・・となんとなく仔細ありげな顔になるもの。それを実験と見たのがおかしいけれど説得力がある。 ところでラムネ業界で毎年「ラムネ俳句大会」を催しているとは知らなかった。第5回大賞は「ラムネ玉取り出したい子の試案顔 岩淵順子」。この子も実験をする眼差しになっているのではないか。(内田美紗) カバの耳くるくる動き若葉風
近藤千雅 六月のポプラは風に傾く木 (季語/六月)
ふけとしこ 大串 章
噴水に真水のひかり海の町 櫂 未知子 やたらに派手な装いの女性を形容して‘金魚のよう’というように、金魚はあまり上品とはいえないのではないだろうか。本意に揺さぶりをかけた句だ。「俳句の原点・123号」(2007年)より。(内田美紗) 小松月尚
叩きたる蠅の前世思ひけり 三宅やよい 掲句、プロ野球の試合だろうか。‘船に乗る’という比喩から、船出に伴う高揚感にも似たスタンドの熱気が伝わってくる。同じチームを応援する‘みんな’なのだ。最近はサッカーのサポーターもみんなで船に乗っているが。 ちなみにナイターは和製英語。よって公共テレビでは正確にナイト・ゲームと言うそうだ。『駱駝のあくび』(2700年)から。(内田美紗) 青バナナ石のごとくに牛がゐる 田代蒼猫
正岡子規
五月雨や上野の山も見あきたり 明治三十四年、死の前年の作。子規は根岸の庵から雨に煙る緑の上野の山を毎日のように見ていた。病臥の子規にとって「見あきたり」は実感だろうが、人間は晩年になると現世のさまざまの風景に対してそんな感慨をもつようになるのであろうか。「見るべきほどのことは見つ」は壇ノ浦で自害する前の平知盛の言葉。「春を病み松の根つ子も見あきたり」は西東三鬼の絶句。三鬼の中にこの子規の句への思いがあったのかどうか。この世を去るときは知盛のように達観できるのが理想だが、なかなかそうはいかない。子規も三鬼も「見あきたり」といいながら「見る」ことへの執着が感じられる。思えば子規が発見した「写生」は西洋画がヒントになったというのが定説だが、この「見る」ということが「生きる」ことと同義になる子規の境涯が大きな動機となっていることは否定できない。生きることは見ること。見ることの中に自己の瞬時瞬時の生を実感することが「写生」であった。『日本の詩歌3・中公文庫』(1975)所載。(今井 聖) 柱状晶生長してゆく薄暑かな (季語/薄暑)
宮嵜 亀 須田知子
おにいちゃんおこられながらバラ見てた かはほりにPanasonicの大看板 (季語/かはほり)
山尾玉藻 田中貢太郎
石載せし小家小家や夏の海 風音を過客と聴けり山法師
鈴木鷹夫 津田ひびき けれど、掲句にそんな情趣は皆無。津田さんは香水にあやかってふしだらになってみたいと言ってのけた。この句の収められている『玩具箱』(2005年)には、「夜桜や嫁の仕事を打遣りて」「目刺焼く老いても子には従はず」といったあっぱれな句もあった。いずれにしてもこのあっけらかん振りに拍手。本心がそうでないからこその精神のジャンプなのだ。心温まる事実に執する人事句が物足らなく思えてきた。大いにふしだらになろう!(内田美紗) 青梅の土のつきしを遠投す (季語/青梅)
分藤春甫 夕顔のひらく印度へゆきし留守 辻桃子
椎本才麿
朝顔やすこしの間にて美しき くちなしや骨軟らかに捕へられ (季語/くちなし)
首藤基澄 コムビニの傘にしたたか虎が雨 板藤くぢら
有馬朗人
のみとりこ存在論を枕頭に 小倉喜郎
魚屋に脚立などあり夕薄暑 全力で立つ空びんに薔薇の花 (季語/薔薇の花)
五島高資 柳家小満ん
暫くは五月の風に甘えたし めんぼの増えてほんとの雨になる (季語/あめんぼ)
佐藤郁良 朝日彩湖 この句のある朝日さんの第一句集『いけず』(2007年)には、集名の‘いけず’をはじめ‘おばはん’‘おかん’‘あほ’‘ええ加減’など俗っぽい関西弁が散見されるが、それらはちょっとイチビッて(からかい半分にふざけて)みただけで、朝日さんの俳句のベースにあるのは、掲句をはじめ「啓蟄や嫌われるため外に出る」「土曜日のちょっといい酒青葉雨」などにうかがえる自嘲をこめた含羞のような気がする。もしかしたらこの句集そのものが自分に対する‘いけず’なのかもしれない。(内田美紗) 岡本 眸
刻いつもうしろに溜まる夏落葉 津川絵理子 津川さんは、第一句集『和音』(2006年)による第30回俳人協会新人賞につづき「春の猫50句」で第53回角川俳句賞受賞という実績の持ち主だが、そんな‘看板’など他人事のように淡々とされているところが素敵な、朴の花のような女性である。掲句は角川俳句賞受賞作の中の一句。ほかにも「旅に買ふ切手いちまい麦の秋」「亀ときに夏の落葉の音を曳き」「風鈴を鳴らさずに降る夏の雨」など、ことさらの手つきが見えない津川さんの句は好感度が高い。(内田美紗) 若葉風バターの溶けている時間 (季語/若葉風)
藤田亜未 能村登四郎
並木座を出てみる虹のうすれ際 小川みゆき
器ごと光つてをりぬさくらんぼ 家々に銃もつ国のさくらんぼ (季語/さくらんぼ)
工藤克己 浅草の暮れかかりたるビールかな (季語/ビール)
石田郷子 夏大根荒々卸す人の死へ (季語/夏大根)
槐 布由子 江國 滋
城址になんにもなくて風薫る 文焼くに煙少なし桐の花 (季語/桐の花)
神野紗希 山崎十生
どこまでが血縁椎の花ざかり 牡丹見てそれからゴリラ見て帰る (季語/牡丹)
鳴戸奈菜 はつなつのかう書いてみむ巴芹なら (季語/はつなつ)
中原道夫 中烏健二
今生のラジオの上のイボコロリ 鳥居真里子
肉の傷肌に消えゆくねむの花 腹筋を鍛へ女の夏来る (季語/夏来る)
岩津厚子 加藤楸邨
一つづつ花の夜明けの花みづき 皆吉 司 坪内稔典氏に「朝潮がどっと負けます曼珠沙華」という句がある。現役時代の朝潮は巨体ながら負けっぷりのよさに愛嬌がある人気力士だったけれど、やさしい人柄がにじみ出てふてぶてしさには遠かった。その元朝潮が朝青龍の師匠の高砂親方である。弟子を扱いかねているフシも取り沙汰されているが、この子弟関係を思うと、朝青龍のふてぶてしさに一段と迫力が加わる。「船団74号」所載。(内田美紗) 満開のつつじの横に粗品あり (季語/つつじ)
樋口由紀子 日本一遅い桜を見て睡る (季語/遅桜)
橋本喜夫 土木課は晩婚多し葱の花 (季語/葱の花)
渡部州麻子 立川志らく
真実の口に入れたし春の恋 ローマにある、あの「真実の口」である。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の柱廊にあって、今や観光スポットの一つ。一見無気味な海神トリトーネの顔が口をあけていて、そこへ手を突っこむ。「ウソつきは噛まれる」という愉快な言い伝えがある。私も旅行した際、右手を突っこんだが、幸い噛まれなかった。噛まれなかったことも含めて、その時の私の印象は「がっかり」の一言。ローマ時代の下水溝の蓋だったという説がある。ま、どうでもよろしい。掲出句は恋人同士で手を入れたわけではない。「入れたし」だからまだ入れていなくて、恋人の片方が相手の「真実」をはかりかねていて、試してみたいという気持ちなのだろう。女の子同士や夫婦の観光客が、陽気に手を入れたりしているようだが、そんなのはおもしろくもない。愛をまだはかりかねていて「入れたし」という、ういういしい恋人同士だからスリリングなのだ。しかも、ここは「春の恋」だから、あまりねっとりと重たくはない気持ちがうかがわれる。「真実の口」は言うまでもなく映画「ローマの休日」で有名になってしまった。志らくは映画監督と劇団員の合同句会を毎月開催していて、その宗匠。志らくの「シネマ落語」はよく知られているが、シネマ俳句も多い。「抹茶呑む姿はどこか小津気どり」「晩春や誰でもみんな原節子」などの句があり、曰く「小津は俳句になりやすいが、黒澤は俳句になりません」と。「真実の口」はミッキー・カーチスに似ている、とコメントしている。ハハハハ♪「キネマ旬報」(2008年2月上旬号)所載。(八木忠栄) 藤の昼雫抱くごと目覚めたる
鳥居真里子 さて、と注す目薬二滴昭和の日 (季語/昭和の日)
中原幸子 囀のたちまち風となる梢 福田甲子雄
安住 敦
春昼や魔法の利かぬ魔法瓶 藤の昼雫抱くごと目覚めたる
鳥居真里子 たんぽぽの皆上向きて正午なり 星野立子
今日の日経、年末読書特集の俳句の部(筆者は正木ゆう子)に面白い句が紹介してあったので記録しておく。山本紫黄「瓢箪池」より。
生別も死別もいづれ春の水 鳥交る日を燦燦と老ゆるかな (季語/交る)
岡本亜蘇 伊藤 径 無関係な二物を取り合わせて新しい世界を創出するのは俳句の技法の一つだが、多くの場合一方は季語であり、その選択が句を左右するのはだれもが経験すること。掲句では、怪しさを秘めた内容と花魁草の喚起するイメージがぶつかって幻想的に転化した。当節の若者ふうに言えば‘コワきれい’か。 踊子草、含羞草、浦島草、孔雀草・・・など実物も特徴的だが表現のモチーフとしても面白そうな花もいろいろ。 今日は多佳子忌であり晶子忌でもある。俳句と短歌を代表する二人の女性の忌日が同じことに感慨も。(内田美紗) 大木さつき
みちのくの蛍見し夜の深眠り 七月も終わりに近づき、蛍の季節には少し遅いかもしれないけれど。子供の頃に住んでいた官舎の前の小さな川は、今思えばそれほど清流であったとも思えないのだが、毎夏当然のように蛍が飛んでいた。仕事帰りのほろ酔いの父が、橋の上で捕まえてきた蛍の、ほの白い光が指の隙間から洩れるのを、じっと見ていた記憶がある。ゆっくり点滅していたのであれは源氏蛍だったのか、この作者がみちのくの旅で出会った蛍は、星がまたたくように光る平家蛍かもしれない。昼間は青田風の渡る水田に、頃合いを見計らって蛍を見に。蛍の闇につつまれて小一時間も過ごして宿に戻り、どっと疲れて眠ってしまう。蛍そのものを詠んでいるわけではないけれど、深眠り、という言葉の奥に、果てしなく明滅する蛍が見えて来て、読むものそれぞれの遠い夏を、夢のように思い出させる。〈啄木のふるさと過ぎぬ花煙草〉という句もあり、このみちのくは岩手なのかとも。『一握の砂』に〈蛍狩り川にゆかむといふ我を山路にさそふ人にてありき〉という歌があるといい、これもまた、蛍にまつわる淡い思い出。『遙かな日々』(2007)所収。(今井肖子) 金子兜太 船団71号の「兜太はどうだ!?」という特集の座談会の中で、二十歳代の俳人の中谷仁美はこの句の他に「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」「妻病めり腹立たしむなし春寒し」を挙げて彼のことを「おじいちゃん」と呼んだ。言われて「なるほど、確かにおじいちゃんだ」と私も思った。彼をおじいちゃんと呼ぶこの世代のパワーを感じている。『金子兜太集 第一巻』より。(小倉喜郎) |
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