ヘウイ レイ ラウォホ フラスタジオ (佐藤 脩子)
2007年のチャイコフスキー国際コンクールで、日本人バイオリニストとして2人目の優勝者となった神尾真由子。彼女が今、本拠地スイスで、世界的な指導者ザハール・ブロンから集中特訓を受け、深みと味わいが要求される、古今のバイオリン・ソロの名曲の数々に挑んでいる。神尾は、師と対峙(じ)する中から、自らの音楽にたどりつくことができるのか? “自分の音=私だけの響き”を求め続ける、神尾の音楽性に迫る。
ジルダのディアナ・ダムラウは、最近よく名前を目にしていましたが、声も姿も初めて始めた目の当たりにしました。コロラトゥーラ・ソプラノでも、声はそれほど細くなく、イタリア・オペラに向いているかもしれませんね。清楚なブロンド美人でジルダによく合っていました。演技も出来るようで、"Si' vendetta"で、復讐に燃える父を不安げに見る表情、マントヴァ公の「女心の唄」で戸惑う表情が可憐でした。
演出の話になりますが、クァルテットで、ジルダとマッダレーナがいつのまにかすり替わる趣向は面白かった。
リゴレットのジェリコ・ルチッチは、私は初めて聞く名前。二幕の"Cortigiani"などで、歌唱が単調になってしまう部分があるなど、ヌッチのリゴレットと比較してしまっては酷ですが、まあまあ健闘の歌唱だったと思います。劣等感にさいなまれ複雑で屈折して、それでいて父性に溢れたリゴレットという役を歌いこなすのは、大変なんだろうなあと、あらためて思いました
オープニングは、その『トーンシェルベン』。結論から言えば、これが今シーズン一番の問題作でしょう。最強にトガッた現代作品でした。
パンフの解説に「全体は9つの断章から出来ていますが、最初に第1章が演奏されたあとの第2章から8章までの演奏順は自由でよいとされています」とあることからもなんとなくわかりますが、この曲に展開だとか全体として何かを表現しているとかいう要素は一切ナシ。ただひたすら、15分間にわたって短く並んだ音(音の破片)がぶつかりあうのです。
しかもその音も、特殊楽器や特殊奏法ばかり。普通のオーケストラで聞かれるような音は全体の10%にも満たなかったのではないでしょうか。日本の鐘、拍子木、竹棒といった特殊楽器も独特。もう、心して準備したはずなのに、眼と耳が追いつかない。あ、今チェロの弓が側板を叩き始めた!あれ、このキュンキュンした音を出しているのは一体どこのパートだ?あ、ヴァイオリンがまた別の動きを始めた!...ほぼ異体験。
サスペンデッド・シンバル(おそらく)がppの音を出したところで、少々唐突に曲は終了。フィッシャーが退場した後に観客がザワツキ出したのが、個人的には面白かったです。「なんだこの曲は?」とザワザワザワ。でもこれは観客が熱心に聴いていたゆえのことでしょうか。堪能しました。
さらに会場は興奮の坩堝となり、スタンディングとなり、キーシンが見えなくなってしまって終わり。
とてもいいリサイタルだった。テレビの演奏会は録画してもあまり見ないのだが、これはもう三回も見てしまった。
なんといっても、綺麗な音で、華麗なテクニックで豪快に聴かせる演奏はとても楽しいものだ。
今年、キーシンは来日するらしいが、東京公演は抽選らしい。
先日、N響アワーの映像を整理していたら、岩城宏之指揮NHK交響楽団( ピアノ:本荘玲子)による武満徹「テクスチュアズ」の同じ映像が2つある、つまり2回放映されていることに気付いた。片や1996年3月に武満徹の追悼番組で放送されたもの(当時のN響アワーの司会は ピアニストの中村紘子)、もう一つは、一昨年 2006年夏の放送で、この年の6月に亡くなった岩城宏之の追悼番組で放送されたもの。岩城宏之が指揮をした武満徹作品の録音・録画は数多いと思うが、1987年3月に演奏された「テクスチュアズ」が、作曲者武満徹と指揮者岩城宏之2人の追悼番組で重ねて放送されていたというわけだ。それもそのはず、「テクスチュアズ」は、武満と岩城とN響、三者の 出会いとなった作品だったのだ。 トーン・クラスターの技法が用いられた「テクスチュアズ」は、武満が前衛的な作風を追い求めていた1964年の作品で、岩城宏之指揮NHK交響楽団の特別演奏会で初演されている。武満の年譜を調べてみると、N響が初演した作品としては、1958年の「ソリチュード・ソノール」(NHK委嘱、放送初演)が早いが、これは外山雄三の指揮で初演されている。 岩城宏之の追悼番組で放映された初演の際の 写真では、作曲者の指示によるのだろう、ピアノを舞台中央に置き、 オーケストラは舞台の周囲に、コントラバスなどは壁にへばりつくようにバラバラに陣取っている。87年の映像は、ピアノが中央に位置する点は変わらないが、周囲のオーケストラから孤立している状態ではない。 「テクスチュアズ」には、様々なクラスターが連続する中間部の直前と終結部に2回顔を出す ヴァイオリンの メロディーのほか、中間部の最初と最後が武満らしい響きを醸し出している。クラスターの冒頭、ピアノのソロよりも先にハープの響きが際立ってくるところや、同じ部分の最後でのヴィヴラフォンの響きなどに、不思議とそそられる佳作である。
この《トスカ》は、ローマのその時、その場所で《トスカ》を再現した前代未聞の画期的な企画でした。1992年7月11日午後から翌朝6時にかけて起きた悲劇を世界108カ国衛星同時生中継。残念なことに世界108カ国の中に日本は含まれていませんでした。後日、TBSが、メイキングと抜粋を放送しました。『皆さまの、私たちのNHK』がなぜ参加しなかったのか理由を聞いてみたいです。すべてにおいて素晴しい《トスカ》に仕上がっています。
演奏としては、4人のソロがそれぞれ存在感のある歌唱を披露してくれていましたし、オーケストラも健闘していたような気がします。 特にカルメンのモンティエルは思いがけずよかったです。代役だったので危惧してましたが、何の何のカルメンははまり役でした。 ただ、オペラ全体としては何か食い足りない、といった感が残りました。 これだけの毒のある作品なのに、なにかあっさりしているようです。強烈に引きつけるオーラが不足していました。 舞台装置も当たり障りがないようですし、なぜ、いま、カルメンを東京で上演するのか、といった視点が決定的に欠如しています。 ロマ、女性優位といったまさに現代に通じる先鋭的なものを含んでいるんですからね。 まあ、そこまで望むのは無理なんでしょうね。ビゼーの音楽を愉しんだだけで良しとしましょう。
【カルメン】マリア・ホセ・モンティエル* 【ドン・ホセ】ゾラン・トドロヴィッチ 【エスカミーリョ】アレキサンダー・ヴィノグラードフ 【ミカエラ】大村 博美 【スニガ】斉木 健詞 【モラレス】星野 淳 【ダンカイロ】今尾 滋 【レメンダード】倉石 真 【フラスキータ】平井 香織 【メルセデス】山下 牧子
【合唱指揮】三澤 洋史 【合 唱】新国立劇場合唱団 【児童合唱】杉並児童合唱団 【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
ある時、パリへ立ち寄られた武満さんとシャンゼリゼのピアノ・バー "ASCOTT"で朝の4時までお酒を飲んだことがありました。
「このカルバードスおいしいネ...ところで君に1曲何かプレゼントしようと思うが、何か希望はある?」とおっしゃったので、
「この店の閉店のテーマ曲は《ラストワルツ》なんですヨ、聴こえるでしょう...あの曲をギターで弾きたいナ」
「それじゃ明日、いえ今日の朝の11時にホテルへ取りに来なさい。書いておくから...。武満さんはホテルへ帰られ、この《ラスト・ワルツ》を
編曲されました。フロントに預けられた楽譜を手にしたのは約束通り朝の11時でした。
原作は、勤務怠慢で解雇された工場労働者が、復讐のために機械の中へボルト(ねじ)を落として壊してしまおうと計画。しかし、そそのかされ実行しようとした二人のうちの少年が自分の使命を思い出し、工場長に密告して陰謀を未然に阻止するというもの。あまりの内容ゆえ、ショスタコーヴィチ自身が上演を拒んだといわれます。しかし音楽は人を小馬鹿にしたような軽妙さに満ちた1920年代ならではの斬新さでショスタコの才気煥発。ラトマンスキーの振付も旧ソ連の行進や体操を茶化したり、とにかくヒリヒリするほど自国の暗黒時代をギャグ化、最高に面白い一時間半を過ごせます。(キングインターナショナル)
上部が波形になった巨大な屏風のような衝立の幕が開くと、舞台奥、幅いっぱいに公園の回廊や宿の廊下ともなる通路が吊り上げられていて、それが場面に応じて上下に移動し、立体的な構図を生み出す。全体がアール・デコ調の洒落た舞台だが、その上で、ダリオ・フォーが例によって歌手たちを息つく暇なく動かし、踊らせる。挙句に、決闘の場面では男声陣にジャグリングしながら歌わせさえする。というわけで、遊び心満載の愉快な舞台ではあるが、出演者たちは芸達者でなきゃ務まらない。みんなよくやっているなあ(笑)。ついでに、やたら女性の脚線美が強調される辺りにフォーの嗜好が見え隠れ。おかげで、女声陣にはとびきり素敵なスタイルまでが要求されている(・・・いや、マジでw)。
詳しい方には今更かもしれませんが、「エディプス王」は上演形態からして一風変わっています。ステージ上に管弦楽、合唱、またキャストが並ぶのは通常のコンサート形式と同じですが、その形の内容如何を問わず、舞台進行についてはストラヴィンスキー自身による細かい指定がついているわけです。つまりそれは劇の進行役を上演地の母国語の台詞、ようは日本語で話す『語り』がつとめ、その粗筋の紹介に続いて、各場面の音楽劇が進むという形でした。しかも劇は日本語はおろか、ストラヴィンスキーの母語であるロシア語でもなく、全てラテン語により歌われることが義務づけられています。率直なところ、「エディプス」という、ギリシャ悲劇の名作にあえて『語り役』を用いる設定と、母語とラテン語との交錯するスタイルにはやや違和感がありましたが、理解するという点において歌を大きく上回る『語り』の力を借りて、聴き手が劇中世界へスムーズに入るには不足のない舞台が作り上げられていたのは事実でした。母国語の『語り』でドラマの筋を頭で理解し、ラテン語とオーケストラという記号と音楽よって感覚的に受け止める二重の体験は、また通常のオペラ上演とは異なって新鮮だと言えるでしょう。ストラヴィンスキーの意図も大いに気になるところです。
「自分は歌が下手だ」このように思っている人は一体どれくらいいるのでしょうか?
人から音痴と言われた為に自信を失ってしまい、それ以来、歌を歌う事が嫌いに
なってしまった人もいるでしょう。でも自分は思います。
ハワイの日系1世、山波公作(笠智衆)と妻ミサ(加藤治子)の1910年から1983年までの戦争を挟んだ日系移民の苦悩をテーマにした、倉本聰 脚本、実相寺昭雄 演出(!)による2時間ドラマのサウンドトラック盤のCD化。岩城宏之:指揮、東京コンサーツによる15曲、33分の美しいメロディに溢れた「音楽」です。1曲目のタイトル曲からあまりの美しい主題に圧倒されます。15曲の内、6、7、11曲目は、戦争の悲劇を表すため、異なる印象を受けますが、4曲目の「ミサと美沙」に現れる(ミサのテーマ)とのふたつの主題とその変奏曲により構成され、各楽器が次々に主題を受け渡すのだが、それが全く違和感無く全曲聴き通してしまう。このCD、実は、テレビ用録音の別テイクを収録しており、実際の放送では、映像に合わせるため、テープ編集されたものが使用された。指揮者:岩城氏によると、録音時に泣いてしまったそうで、他の人の音楽では、まずなかった、と2004年小学館発行の「武満徹全集 第5巻」で述べています。その全集は、この録音全曲はもとより、他のテレビ・ラジオ作品等CD14枚と450ページの解説、特筆すべきは、2004年に発見された17才の時の処女作「二つのメロディ」やジム・ジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」のために録音したが、監督が音楽の強さ(美しさ)に画が負けるから、という理由でお蔵入りしたテープ録音全曲などを含んでおり、単売していない美しい武満音楽が堪能できます。このCD10枚分の価格ですが、ファンなら、お勧めです。なお、1996年に6曲の組曲版に編曲しており、シャンドスから尾高忠明・札幌交響楽団の録音が入手できます。
・・・いやもう、フィゲイレドですよ、フィゲイレド。
くいっ、くいっという微妙なテンポ揺らしの連続で、旋律がすべて動き、揺らめき、活き活きとしてくる。
音符の一つ一つがぞわーっと粒立ち、沸き上がるような感興が体感される。
ラテンなノリに自然と呑み込まれる。
すごい音楽家です。
いままでチェンバロという楽器にあまり興味のなかった私を、一気に虜にしてしまいました。
アンコールのソレールのファンダンゴなんかは、コレ1曲でお腹いっぱいごちそうさまでした!な演奏。これからフィゲイレドの演奏会は、「ファンダンゴを聴かずして家路に就けるか!」というような感じになるのではないかしら。それくらい手の内に入った、「これぞ十八番」な究極演奏。
ソレールの「ファンダンゴ」 ヽ(=^^=)ノ
CoCo: 弾き始めから10数分がアッという間に流れてしまって、心の中で「終わるな、終わるな」って呟いていましたニャー (=^^=ゞ
ところでこの時期、私の独断の持論でいうと西欧音楽は3つの分岐点を持っていたことになっている。1つは19世紀末にドビュッシーが開拓した近代和声という名の非機能和声。2つめは1910年代にストラヴィンスキーが偶然手にしたリズムの素材化。そして3つめが1920年代にシェーンベルクが開発した12音主義という名の調性の解体である。
そして、1つめはコード進行という発想に転化されてジャズ理論の基礎となり、2つめはビートが最優先になる現代のロックの始祖となり、3つめはいわゆる現代音楽や前衛音楽の元祖となったわけである。(しっかし、もの凄い独断の持論ですね....)
世の中の美味しいところだけを味わって生きるかのようなマントヴァ公爵、片や、全ての辛酸を舐め尽くし道化として生きるリゴレット。悲劇的な物語の行く末は、すでに重々しい序曲から暗示されています。ポーランド出身の俊英、ベッチャーラの輝くような高音、最近人気急上昇のソプラノ、モシュクの底力を秘めた清純さ、そして芸達者ヌッチのリゴレットがぴりりと全曲を締めています。幕ごとに変化する照明も見事。歌唱、音楽、視覚、全てが溶け合った興奮をお届けいたします。
なんといっても、この上演はリゴレットのレオ・ヌッチあってこそのもの。あのDVDで観ることの出来るパルマのテアトロ・レージョの歴史的名演から20年、ヌッチは変わらず現役最高のリゴレット歌いとして君臨し続けています。極論かもしれませんが、このチューリヒのプロダクションもヌッチを得た時に、成功が約束されたようなものだったのでしょう。リゴレットの屈折した愛情、復讐の念をこれほどまでに真実味を持って歌えるのは、ヌッチならでは。
これも実は会場にいたんですよ、この日サントリーホールに。 すっごく沸いたコンサートでしたよ。もうブラボーの嵐、大変なものでした。 この日のことは細かいことは忘れたのですが、帰りがけに一緒にいった仲間と渋谷で焼き鳥を食べながら、その日からもう3,4年前に聴いた小澤の「復活」の話で盛り上がったことだけは覚えています。 今日改めて聴いて、曲が終わったあと、みんなこんなに盛り上がっているのに、どうも私は醒めているのが悔しくて、みんなと一緒に盛り上がりたいですよ。
グレン・グールドはこの演奏を聴いて「最高にして最強の音楽伝道師」とリヒテルを称したことはあまりにも有名ですが、このコメントからも演奏の完成度の高さをうかがい知ることが出来ます。
リヒテルが語るソヴィエトの、そして音楽の真実。必見の映像ドキュメンタリー。
舞台一面に広がる無機質的な巨大な壁。その下部には壇状の通路が付いていて、そこを無数の人が動き回る。その手前の(舞台)床には粗末な一台のベッドが。つまり、ゲルマンは精神異常で病院に収容されている入院患者という設定です。だから着ているものは軍服などではなく、患者用の薄汚れた白い寝間着。その上に茶褐色のガウンを羽織っているという状態。物語はすべて気がふれたこの男が見た幻覚、ということなのでしょう。たしかに、こういう括り方をすると、この話、ぴったりと嵌ってしまいます。というか、こういう設定なら、何が起こっても不思議ではないところがミソ。こんなイカレた男がリーザみたいなお嬢さまと恋仲になっちゃってもまったくもって不思議じゃない、というわけ。典型的なレトリックです。でも怖いよねえ(笑)。
ショスタコーヴィチが残した音楽のうち、偉大な十五曲の交響曲については、あちこちに解説やら論評が出ていますのでとりあえずはいいとして、同じく十五曲ある弦楽四重奏曲に少し、脚光をあててみたいと思います。20世紀という時代に15曲も弦楽四重奏曲を書いた大作曲家は他にはいません。以前の作曲家でも、15曲前後あるいはそれ以上書いたのは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザークぐらいしかいないのではないでしょうか?まあでも、数でどうこういう気はありませんが、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は、内容が実に素晴らしいものなのです。
武満さんの音楽作品はたまたまのアウトプットが音楽なのであり、そこに至るプロセスの何かがちょっと違っていたら、美術作品になっていたかもしれない。あるいは詩だったかも、小説だったかもしれない。だから武満さんの音楽は、音楽であって同時に音楽以外のものでもある
<中略>
聴こえ、読め、見える…。
武満作品は、これからもさらにその世界を拡大しつづけるだろう。
そのありかた自体がほとんど他にはありえないものである不思議を、あらためて感じる今なのである。
(コンサートプログラムより引用)
なんとなく、こんな「劇的な音楽」ではなく、もっともっと「華麗で流麗な音楽」を期待していたのですが・・・。ベッリーニにしては、骨太な感じがします・・・それは、愛音の偏見かな(笑)。それにしても、ポリオーネって節操のない人だわねぇ・・・。こんないいかげんな男のために、ノルマの人生が狂ってしまったのかと思うと・・・(;_;)
1987年生まれの中国のピアニスト、ユジャ・ワンは北京でピアノを学んだ後、アメリカはフィラデルフィアにあるカーティス音楽院でゲイリー・グラフマンに学びました。2007年の3月、マルタ・アルゲリッチの代役としてシャルル・デュトワ指揮のボストン交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲を協演し好評を博しました。N響とのプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番もすばらしい演奏でしたが、YouTubeで聴けるモーツァルトのトルコ行進曲の変奏が面白いです。子供のころから何度となく聞いてきた曲が、とても新鮮に聞こえます。編曲はヴォロドスで、どことなくホロヴィッツの編曲ものに雰囲気が似ています。
スカラ座って厳しいですね。
圧巻のデヴィーアには万雷の拍手。
アントナッチには冷遇。
ストーリーも怖いけどスカラ座の客も怖いわ~
ドニゼッティの女王三部作のひとつ。ヘンリー八世の不幸な王妃の1人をヒロインにした歌劇「アンナ・ボレーナ」、エリザベス女王とエセックス卿との恋物語を描いている歌劇「ロベルト・デヴェリュウ」と、この作品をまとめて女王三部作と呼ばれているのですが・・・。
初演は 1957年6月20日に 上田仁指揮、東京交響楽団により行われた。当時の東響は、積極的に若手作曲家の作品の初演に取り組んでいた。当初はあまり芳しい評はなかったものの、来日中の ストラヴィンスキーがこの曲を耳にしたときに「絶賛した」ことから評価が一転し、武満徹の名は一躍世界に知られることになり、アメリカ楽壇との関わりがここから生まれることとなった。
メシアンの代表作、「みどり児イエスに注ぐ20のまなざし」 (Vingt Regards sur
L'Enfant Jésus)についての解説です。
当コンテンツは私が全曲演奏を行った際(1994年3月13日 ルーテル市ヶ谷)に配布したパンフレットに加筆修正したものです。
ジークムント:成田勝美
ジークリンデ:橋爪ゆか
フンディンク:長谷川顯
ヴォータン :小森輝彦
フリッカ :小山由美
ブリュンヒルデ:横山恵子
<我が身体は汝のために与えられ、我が血は汝のために流される>―「捧げもの」とは我々のために血を流したイエスの十字架であり、それを忘れて罪を犯してしまう我々の姿、そしてそれを忘れないための聖体の秘蹟が順に描かれる。
主よ 永遠の死から私をお救いください
恐るべきその日に
また、マドレーヌ寺院での初演では、寺院の司祭から斬新過ぎると叱責されたらしい。このほか、当時から「死の恐ろしさが表現されていない」「異教徒的」などとの批判が出された。フォーレのレクイエムは当時のカトリックの死者ミサでは必須であった「怒りの日」などを欠くなど、そのままではミサに用いることの出来ない形式をとっている。これに対してフォーレは1902年に次のような手紙を書いている。「私のレクイエム……は、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません。」
また、晩年の1921年に、ルネ・フォーショワ(歌劇『ペネロペ』の脚本を手がけた)への手紙に次のように書いている。「私が宗教的幻想として抱いたものは、すべてレクイエムの中に込めました。それに、このレクイエムですら、徹頭徹尾、人間的な感情によって支配されているのです。つまり、それは永遠的安らぎに対する信頼感です。」
このオペラは、あの有名な「カヴァレリア・ルスティカーナ」の次に作曲されたオペラのようです。
このオペラは全3幕物で恋愛コメディーで楽しい内容で、女性に全く興味が無い独身主義の主人公が最終的には女の子に恋していくというストーリーです。
この「友人フリッツ」はオペラ自体は日本で上演されているのは、あまり聞きませんが、このオペラの中のスゼールのアリア「僅かな花を」は声楽を勉強している人達の間では有名な曲です。
第1部:ピアノの低音域が一発入り、上昇して奏でている。高音域が奏でて歯切れが良くなった。ブリリアントに艶が出て、やがて、重圧感へと変わっていく。
第2部:ピアノが寂しげに奏でながら、徐々に弾んだ。オーケストラが行進曲調にホルンやフルートと掛け合う。ピアノがブリリアントにフルートと掛け合う。オーボエ・ソロからクラリネットとピアノが掛け合い、キレのあるヴァイオリンから第九に似たメロディーのオーケストラにブリリアントなピアノが掛け合う。キレのあるオーケストラとピアノ。
プロムス2008 ラスト・ナイト・コンサート
曇り空で寒い~!(笑)
出かける気も起きないので、BDレコーダーで録画しておいた「プロムス2008 ラスト・ナイト・コンサート」を観ました。いや~・・綺麗だな~!!(笑)
マンハッタン音楽院とジュリアード音楽院に在籍中にバロック音楽に強い関心を抱く。バロックと現代音楽に特化してアメリカ・ヨーロッパ・メキシコで公演、すぐに活動を開始した。この分野での実績は1990年代にDeutsche Grammophon/Archiv、ECM、Erato、Harmonia Mundiといったレーベルの注目すべきレコーディングに参加したことから立証される。オペラではRoyal Danish Opera、Edinburgh Festival、Brooklyn Academy of Musicを含む多くの公演で主役を務める。また、ソリストとしてNew World Symphony、St.Paul Chamber Orchestra、Mingus Big Band、Rufus Reid Quintet、Houston Symphony、American String quartet、New York Festival of Song等に出演、国内では伊藤多喜雄や森山良子らと共演する。
現在、洗足学園音楽大学教授。
調性をかなり逸脱しており全体的に 無調性の強い楽章が多いが、第5楽章( 嬰ハ長調)および第6楽章と第10楽章( 嬰ヘ長調)では完全に調性が明確となり、さらに第2楽章、第4楽章、第8楽章でも部分的に調性の和音が顔をのぞかせ、これらの和音は最終的に嬰ヘ長調に帰結する。つまり全曲において特に重要な役割を担う調性は嬰ヘ長調であるが、これは『幼子イエスにそそぐ20のまなざし』において「神の主題」とされた和音が嬰ヘ長調に基づくように、メシアンにおいて特に神性を孕んだ調性であると言える。
選ばれたのはブルガリア生まれのアルベーナ・ダナイローヴァ。すでにロンドン・フィルとミュンヘンのバイエルン国立歌劇場でコンマスを勤めた実績のある人ですから、その意味では不思議ではありません。ただ年齢がすごく若いのです。第1回仙台音楽コンクールのオーディション合格者の中に名がありますが、それによると当時25歳とありますから現在まだ20代のはずです。大先生ばかりの中でどうリードするのでしょうか。
2008年5月8日はウィーンフィルハーモニー管弦楽団史上歴史的な日だった。 今季で定年になるコンサートマスター・ヒンク氏の後任にブルガリア出身、33歳のアルベーナ・ダナイローヴァさんが決まった。
この曲はシカゴ響創立100周年記念作として委嘱され、1990年3月にバレンボイムの指揮で初演。翌4月のシカゴ響来日公演で採りあげられたのが日本初演となったとのこと。若杉盤の録音はその翌年、そしてさらに二年後のシカゴ再演時の放送録音がテルデックによりCD化された、という経緯です。日本人作曲家の作品をシカゴ響が本邦初演したという例は他にないでしょう。ちなみに『カシオペア』という作品も、ラヴィニア音楽祭の委嘱作品として1971年にシカゴ響が初演(指揮は小澤征爾、打楽器独奏はツトム・ヤマシタ)。また1995年のレヴァインとウィーン・フィルの来日公演では武満徹の新作が初演される予定だったものの病のため作曲が間に合わなかったそうで、実際に演奏された曲はこの『ヴィジョンズ』でした。
ネトレプコ&ビリャソン/プッチーニ:歌劇《ボエーム》全曲
作曲家メシアンはこの音楽を、「肉体的方法で表現される」(淫らな)アーメンと言い切っている。
e.ドーリア事件
1908年10月から1909年7月までの間、ドーリア事件がプッチーニの身に降りかかって来る。丁度、作曲案を練っていた「 西部の女」の作曲を本格的に取りかかろうとした時で、やむなく作曲は中断されることになった。それはプッチーニ家小間使いドーリア・マンフレーディの自殺事件に始まった。
●なおかつ、フラッカーロは演技力もないようでした。3つ目の謎を出されたカラフは、 ・答えが分からなくて焦る ・突然、答えがひらめく ・勝利を確信して自信に満ちる という3段階の演技をするわけですが(音楽がそうなっている)、フラッカーロは何もしていませんでした。NHKで放送されるみたいですから、その演技力のなさをご確認ください。
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埼玉県出身
東京芸術大学音楽学部声楽科卒業
同大学院博士(後期)課程において
グリーグの歌曲を研究中
ドイツ歌曲を中心に、オペラ、宗教曲を歌う
好きな作曲家:グリーグ、モーツァルト、
シューベルト、ベルリオーズ
名前:谷原 めぐみ
誕生日:11月29日(いい肉の日)
血液型:O型(大型)
職業:アーティスト(オペラ歌手)
一言:体は大きいけれど心は繊細です。 顔は濃いけれど生粋の讃岐っ娘です。 薔薇のようですが実は百合の花です。 明るく元気なイメージですが時々殻に閉じこもってしまうときもあります。 ボーッとしているときもありますが情熱的な一面も持ち合わせています。 こんな私ですがどうぞよろしくお願いします♪『いつでも心に祈りと讃美を!!』
要するに死の床にある病人が、激しい闘病の末に最後を迎えて天国へ行く、といったストレートな内容になっています。つまりマーラーに比べるとはるかに直接的で、具体的に人の死というものを表現しているのです。
念願の初体験ショスタコ9番。この曲がこんな曲だったとは…。つまり、CDで聞く限り軽快洒脱な軽い曲だと思ってたけど、2楽章以降はなかなか重い音楽ですね。1楽章はともかく、2楽章の悲しげクラリネットソロは交響曲第8番や10番なんかの厳しい緊張感を醸し出してたし、4楽章の突如な感じのファゴットの長大なモノローグも意味深。ラストの血しぶきのようなクライマックスでは、コウトはまったく棒を動かさず思慮深い感じ。思えば政治と歴史に翻弄された経歴をもつコウト、何か思うところがあったんすかね。いずれにせよショスタコ9番、最高の初体験でした!
グラスハープを知っていますか?
グラスハーモニカとも呼ばれています。ブランデーグラスの縁を濡れた指でぐるぐると撫ぜてやると「フィーン」といった感じの何ともいえない音がします。グラスをたくさん並べ、水を少し入れて調律すると出来上がり。特徴はなんといっても素晴らしい音色。欠点ははやいパッセージの演奏が困難なことと、音が小さいことです。
本来、この曲はご存知の通り『グラスハーモニカのためのアダージョとロンド』ですから、畢生の名人ブルーノ・ホフマンの「これ、どうやって弾いてるの?!」という奇跡のグラスハーモニカ演奏(4種類の盤はあるはずです)を聴くべきなのでしょうが、私はピアニストのリリ-・クラウスがチェレスタを弾いたこの演奏を好みます。グラスハーモニカの音は幻想的で、理屈抜きに癒されるのでとても素敵なのですが、楽器としての宿命なのでしょうか・・・どうしても間延びした印象を受けてしまいます。とくに唯一CD化された、最晩年の1977年のPHILIPS録音は辛い演奏です。
ミヒャエル・ラドゥレスク ウィーン国立音楽大学オルガン科教授。同大学でオルガン、指揮を学ぶ。 デビュー以来、世界各国に招かれ、オルガンリサイタルを行う他、リヒテンシュタイン、インスブルック等、多くのマスタークラスの講師を務める。 1990年より、スイス・ポラントリュイにおいて国際バッハ・アカデミーの講師を務め、オルガンの指導の他、指揮者としてバッハのオラトリオ全曲、ロ短調ミサ、カンタータやモテットの演奏会を企画し、 2001年に「フーガの技法」と「音楽の捧げもの」で完結した。 また、作曲者として、ヒンデミット、ウェーベルン、カール・オルフ、リゲティ、メシアンからの影響を強く受け、オルガンや声楽、室内楽、オーケストラ作品などを作曲。 研究者としては、バッハのオルガン作品ならびに合唱作品などの解釈などで注目され、バッハの未完カンタータ作品の復元を行った。 バッハ研究のみならず、中世の作品、パウル・ホーフハイマー、ニコラウス・ブルーンス、ゲオルク・ムファットのオルガン作品の校訂を手がけ、ドブリンガー社より出版されている。 現代を代表するオルガン界の巨匠。
パリに生まれ、ソプラノ歌手である母にトレーニングを受けた。1983年パリ・オペラ座音楽学校に入学、ハンス・ホッターにドイツ・リートを学んだほか、ピアノ、ファゴット、室内楽の学位を首席で取得。早くから頭角を現し、歌曲、宗教曲、とりわけバロック・オペラの分野で注目を集める。シャンゼリゼ劇場、カーネギーホール、ウィーン楽友協会、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ミラノ・スカラ座、ベルリン・フィルハーモニーなど、世界の檜舞台で、一流オーケストラ、指揮者とのコンサート、オペラ、リサイタルに活躍。録音も『シューマン:歌曲集』や小澤征爾指揮による『マーラー:交響曲第2番』、『シューベルト:冬の旅』をはじめ50点以上をリリースし、数々の賞を受賞している。1996年フランス共和国芸術文化勲章受章。
「冬の旅」をはじめて聴いたときの感動は忘れられません。1983年のことです。当時私はピアノ科の学生で、「冬の旅」の演奏会で譜めくりをすることになりました。ピアニストの隣で聴いると、どこまでも豊かな情感が伝わってくる。これにはほんとうに衝撃を受けました。それからすぐに楽譜を買って、毎日のようにピアノでさらっていましたね。いつの日か「冬の旅」を歌おうと決めたのはその頃です。でも自分がまだ若すぎることは分かっていました。技術的にも芸術的にも成熟しないと、「冬の旅」は歌えない。18歳の私には不可能でした。だから機が熟すその日まで、じっくりと待つことにしたんです。
「音楽を通して、キリストと心を交わせたい」キリスト教音楽の公演活動を続けている延原武春さん(65歳)は、大阪に拠点を置く音楽団体・日本テレマン協会の代表。指揮者でオーボエ奏者でもある。1970年に始めた教会での演奏活動から、「音楽のために」とキリスト教の勉強に取りかかり、やがてキリストの境遇と、自分の境遇に通じる「何か」を感じ「今は心まで奪われてしまった」と語る。
延原さんの母は朝鮮・李王朝につながりのある人といわれ、そのことで露骨な差別に遭ったこともある。1人で生きられる道を探した結果、選んだのが音楽だった。高校でオーボエを始めた時、最初に与えられたのが作曲家・テレマンの作品だった
おそらく 前衛的な作風によって著名であるが、いくつかの作品は、 モダニズムや 新古典主義音楽の流れを汲んでいると見なし得る。伝統的な 調性や 旋法も用いながらも、劇的な響きと情緒的な響きの テクスチュアを繊細に織り成し、独自の作風を築き上げている。シルヴェストルフが示唆する特色は、たいがいの現代音楽においては犠牲にされてきたものである。「私が作曲しているのは、新音楽ではないのです。私の音楽は、既存の音楽への反応であり、反響なのです」とシルヴェストロフは語っている
砂山の砂に
砂に腹這い
初恋のいたみを
遠くおもい出ずる日
初恋のいたみを
遠く遠く
ああ ああ
おもい出ずる日
私は、学生時代に、ボニージャックスが歌っているレコードで、すっかり気に入ってしまいまし
た。ボニーの歌は癖がなくて好きなのですが、現在発売されているCDでは、この曲は入っていな
いようです。
ところで、先程の戦争中の話に戻りますが、越谷先生の話によると、先生は戦争中もずっと三浦環の伴奏をして、日本中を回っていたそうです。かつて私が小学生の時、岩手で聞いた三浦環の伴奏をしていたのが恩師の越谷先生だったと知り改めて、人間の出会いの不思議さに驚いております。
「砂山の砂に腹這い、初恋のいたみを遠く思い出ずる日…」こんな詩だった。作曲した越谷達之助は、この「初恋」だけが有名であり、啄木の詩に作曲された古今の作品の中では群を抜いて人気があり、演奏される機会も多い作品といえる。
一流の音楽家が本気になってコラボレーションすると、こんなにもすごい事になるんだと実感したコンサートでした。アンコールも5曲もあり、演奏する側もノリノリ、聞いているほうも、どんどん興奮して時間を忘れてしまいそうでした。 今日は、いつも聞いている福井さんの音楽がまるで違っていたのです。最初は軽くイタリア歌曲から始まり、お互い軽いジョブを交わしあう感じでした。なんだか、いつもより違う感じだなと思いながら聞いていて、だんだん、「そう来るなら、こう行くぞ。こう来たのなら、これでどうだ!」というようなピアノと歌のコラボレーションが始まっていったのです。
石川啄木の作詩による「初恋」 越谷達之助/作曲
こんな詩です↓
砂山の砂に 砂に腹這い 初恋の痛身を 遠く思い 出る日
いい歌ですが、とってもせつない気分になります。
導入部
愛の歌1
トゥーランガリラ1
愛の歌2
星の血の歓喜
愛の眠りの園
トゥーランガリラ2
愛の展開
トゥーランガリラ3
終曲
ブリッジウオーターは僕が学生時代(1970年代前半)はやったサッド・ジョーンズ&メル・ルイスのビッグ・バンドで歌っていた。頭を丸坊主にしたチャーミングだがパワフルな歌手だった。当時20代前半だったので、今は50台半ばだろうか。コルトレーンの曲をアルバム・タイトルにしたソロ・アルバム『アフロ・ブルー』も買って聴いていた。その後パリに行ったり、ブロードウエーのミュージカルで活躍していた。日本のテレビで『スイングしなければ意味がない』というジャズの名曲をタイトルにした作品に出ていたのを見た記憶がある。最近は亡くなったスッキャットの名手エラ・フィッッジェラルドの愛唱曲をレコーディングしてグラミー賞を受賞している。
天使のミロンガ / ロドルフォ・メデーロス:バンドネオン
スピーク・ロウ
/ ディ・ディ・ブリッジウォーター
:ヴォーカル(ジャズ)
星へのきざはし
/ ディ・ディ・ブリッジウォーター:ヴォーカル(ジャズ)
最初に登場した若杉弘は、まず岩城の冥福を祈るように指揮台の横で黙祷を捧げてから「弦楽のためのレクイエム」を始めた。静寂な出だしは死者を慰めるようにどこまでも柔らかい。若杉らしい息の長い、たっぷりとしたレクイエムが始まった。マロさんや店村さんのソロもしっとりと滑らかに歌いかける。会場は静かな空気で満たされた。
弦楽のためのレクイエム(げんがくのためのレクイエム、 仏: Requiem pour orchestre à cordes )は、日本の作曲家 武満徹が 東京交響楽団の委嘱により 1957年に作曲した 弦楽合奏のための作品である。武満徹が「世界のタケミツ」として世に知られる直接のきっかけになった出世作として知られており、初期の代表作である。
弦楽のためのレクイエムは「音楽以前」などと酷評にさらされた。ベートーヴェンやブラームスを奉る音楽界は、この不思議な倍音を重ねて得られる厳しさが理解できなかったのだ。 しかし、その深さ、厳しさを20世紀の大作曲家ストラヴィンスキーは聞き逃さなかった。1959年に来日したストラヴィンスキーは、NHKのアーカイブで日本の作曲家たちの作品を聞き、この当時全く相手にもされていなかった作品を聞いて「厳しい、実に厳しい。このような曲をあんな小柄な男が書くとは!」と絶賛した。この話が世界に伝わって、武満は世界中に名前が知れ渡ったのだった。
シューベルトのピアノソナタ第19番は最晩年のピアノソナタ3部作の一つであり、いづれもベートーベンを意識しながら、和声進行に作曲者固有の豊かさを持っているといわれるが、彼の健康上この先がないと言う危機感をも感じさせる作品である。
1982年大阪に生まれ、3歳よりピアノを始める。大阪音楽大学付属音楽学園、帝塚山学院小学部から高等部を経て桐朋学園大学に入学。同大学を中退後、パリ国立高等音楽院に留学。2007年、同音楽院を1等賞にて卒業。2008年、同音楽院室内楽科を1等賞にて卒業。
4歳より、大阪音楽大学付属音楽学園に在籍し、15歳にて高校生全課程を修了。同大学同窓会幸楽主催によるコンクールにて、第1位入賞他、同大学付属音楽学園選抜学生によるの、「若い光コンサート」に連続出演。幼少の頃より、第52回全日本学生音楽コンクール大阪大会、高校の部第1位の他、数々のコンクールで優秀な成績を修める。97年神戸市長賞受賞。99年第4回浜松国際ピアノアカデミー受講。
特に「カリヨン」はこのリサイタル中の白眉だった。初めて聴くのにどこか懐かしさを感じる作品で、一見クラシック作品風のタイトルだけど実は洋楽ポップスのヒット曲か何かだろうか? と思わせるものがあった。調べてみるとこの勘は半分当たっていて、ドンギアさんはイタリアのポピュラー音楽の作曲家で、オーストリアの音楽祭での幸田さんの歌唱に感銘を受けてこの作品をプレゼントしたとのことだった。さ
「ドンギアさんは幾つものヒット曲を生み出しているイタリア人の
ポップス作曲家です。 “カリヨン” は、オーストリアの音楽祭
で歌っていた私の声にインスパイアされて書いてくださった曲
で、とても大切な曲です」
とのこと。
5分くらいの、ハ長調を基調としたゆったりと、でも、気取らず、
くつろいだ穏やかな曲想だけれど、聴いていて、ジワーっ、と、
胸が熱くなってくる曲。
1曲目のバラームスのヴァイオリン協奏曲は,オケの美くしい音に誘われて,ラクリンのグァルネリがたいへん優美な音を響かせました.オケに負けることはなかったのです.
前に2008日本音楽コンクールで,4人が課題曲としてブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いていたことを書きましたが,今日は段違いの名演でした.
第1楽章でかなり激しいボーイングをやるところでも決しておとが濁らず,綺麗に弾いていましたし,カデンツァはまことに見事な演奏でした.
第2楽章は別名「オーボエ・コンチェルト」といわれるほど,前半でオーボエがソロを聴かせるのですが,これがまた素晴らしい名手で,ほれぼれと聴いていました.そしてヴァイオリンがそれを上回る美しさでヴァイオリンによるコロラトゥーラ・アリアと呼ばれる緩徐楽章を演奏してくれました.
第3楽章は,まことに快活,明朗,華麗な楽章ですが,ソロとオケが一体となって優美に締めくくられました.
フルートの1番ソロを吹く黒髪の美人は、ウェールズ出身の英国人の首席奏者 エミリー・バイノン女史(Emily Beynon)。 名手 ジャック・ズーンがボストン響へ移籍した後はズーンに代わってこの人が活躍している。26歳で首席奏者として入団した凄腕のプレイヤーであるが、ズーンのやわらかい音色に比べれば、線のはっきりした太い音で切れがある。 
2部とアンコールでは、いくつか日本語の曲も披露されました。イタリア人が日本語の曲?と最初は意外でしたが、これがまた良いのです。福井さんは日本語の曲には特に思いいれが強いのか、時々演歌のようだと思うときがありますが、今日は全く違います。いつもは湿度80%の演歌なのに、今日は湿度10%。乾いています。湿気がありません。きれいな水彩画のような日本歌曲でした。
「初恋」 越谷達之助・作曲 石川啄木・詩 (テノール)福井 敬 (ピアノ)ヴィンチェンツォ・スカレーラ
今日の布陣は、ソプラノ:澤畑恵美、大倉由紀枝、半田美和子、メゾソプラノ:竹本節子、手嶋眞佐子、テノール:福井敬、バリトン:河野克典、バス:成田眞、合唱:晋友会合唱団、合唱指揮:清水敬一、児童合唱:NHK東京児童合唱団、合唱指揮:加藤洋朗。ソプラノだけで3人もいるのですから恐れ入ります。オーケストラを含めると、出演者は全部で500人くらいでしょうか。
ご推察通り全3曲の演奏時間は30分を優に超える遅さです。第1曲『雲』は『海』の演奏から想像した通りの、感興豊かな大変に美しい演奏でした。
第2曲『祭』の冒頭が、当たり前の早めのテンポで開始された事に逆に吃驚!しかし中間部の2/4拍子から様相は一転、突然にテンポを落としたこの部分は、『ローマの松』の第4曲『アッピア街道の松』かと思わず耳を疑ってしまいました。
第3曲『シレーヌ』冒頭の女声コーラスの生々しさに仰天…。もしチェリビダッケの演奏と知らずにこの部分を聴いていたら、単なる際物と決め付けて直ぐにディスクを取り出していたでしょう。しかし、曲が進むにつれて訪れる静謐さはより感動的に……。すっかり魅せられてしまいました!その一方で、「指揮者の演出過剰ではないか」との疑念を抱いたことも事実です。
とは言いつつも、正統な演奏であるか否か、今後愛聴盤と成り得るか否かは別として、ここまで惹き込まれる演奏家を私は殆ど知りません。ライヴということで音質を心配したのですが、幸い聴いたディスクの範囲では何ら不満は感じませんでした。ドイツ音楽やロシア音楽のディスクも発売されているようですので、これから少しづつでも聴いていきたいと考えています。
夜想曲という題は,ここではより一般的な,とりわけより装飾的な意味にとってほしい。したがって,夜想曲の慣行の形態ではなしに,特殊な印象と光とをめぐってこの言葉の包含するすべてが,問題になる。
NHK広島放送局では開局80年を記念して「歌謡チャリティーコンサート」を実施します。
「歌謡チャリティーコンサート」は、歌謡界のトップ歌手が、オーケストラの演奏により名曲の数々を熱唱する番組です。NHKとNHK厚生文化事業団では、長年にわたり障害者の療育や自立と社会参加の問題に取り組み、過去37回にわたり、全国各地で「歌謡チャリティーコンサート」を開催してまいりました。今回は、その収益により、NHK厚生文化事業団を通じて、障害者スポーツ団体に「障害者スポーツ用具」を贈呈します。
たとえいつの日か、人生がわたしからあなたを引き離そうと、
あなたが死んで、遠いところへ行ってしまおうとも、
私を愛してくださるなら、たいしたことではない
なぜなら私もまた死ぬのだから
わたしたちは永遠を手に入れるでしょう
はてしない青さのなかで
もう何の問題もない空のなかで
神は愛する二人を結び合わせる
1970年生まれというから、今年で38歳になるはず。それだけ若いというのに、すでに大成した芸術家の風格を漂わせるレイフ・オヴェ・アンスネス。右から左へ、音楽が洪水のように消費される現代社会にあって、自分の血肉と化したレパートリーしか取り上げない、というのは、よほどの意志の力がなければできないことに違いない。急峻な岩山を、一歩一歩足場を確保しながら登っていくような演奏。その演奏が登り詰めた山の頂からは、きっと誰も見たことのないような絶景が広がっていることだろう。
2曲目。実はお目当てはこの曲だった。というのも、前回公演でもらった10月プログラムのなかに、この曲がレスピーギの華麗な音楽の原点であり、第1ホルンと第3ホルンが重要だと書いてあったからである。
曲は魅惑的な弦の音色で始まり、そのあとに第3ホルン(今井仁志)が主題の旋律を奏で、第1ホルン(松崎裕)がそれをエコーで補う。2人の音色が絶妙のハーモニーを轟かせる。そのあとにチェロ(藤森亮一)の主題が重ねられていくのだが、オケ全体には若々しい色彩感豊かなレスピーギの世界が繰り広げられる。それは純粋な乙女心をもったようなオーケストレーションで、この曲がまぎれもなく後の名作となったローマ三部作の原点であるということが解る。たった6分の曲なのだが、すぐにもう一度聴いてみたいと思うぐらい、素晴らしい隠れた名曲だと思わざるをえなかった。
1曲目。第1楽章冒頭、弦がお腹の底まで伝わりそうな重低音を響かせる。そして、ピアノのソロに入っていくのだが、レイフ・オヴェ・アンスネスの弾き方は非常にあっさりしている。無味乾燥とした音色なのである。少し語弊があるかもしれないが、まるで機械がピアノを弾いているように聴こえるのである。それは当たり前のことながら、目を閉じて聴こうが、目を見開いて聴いても全然変わらない。
アンスネスのピアノは、強く叩きませんが、しっかりと音を鳴らした演奏でした。
個人的には、もう少しこってりと癖のある演奏が良いな。
《ドヴォルジャーク》
序曲『謝肉祭』 op.92
スラヴ舞曲 第1集op.46より第1番ハ長調、第8番ト短調 第2集op.72より第2番ホ短調
チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
1961年ウルム生れ。6歳の時からチェロに親しむ。1978年、リューベック音楽院で、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの名ソロ・チェリスト、アルトゥール・トレスターに教えを請う。85年、同学院をディプロマを得て卒業。その後、ザラ・ネルソヴァ、モーリス・ジャンドロン、ボリス・ペルガメンシコフ、ヴォルフガンク・ベッチャー、ジークフリート・パルムにも師事。
90年ミュンヘン国際ARDコンクール入賞、“ロベルト・カルアーナ”国際チェロコンクール優勝。91年、ベルリン・フィルに入団。93年より第1ソロ・チェリストを勤める。96年にはクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルと、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番でソリスト・デビューを果たす。2007年1月のベルリン・フィル定期演奏会では、クリストフ・エッシェンバッハの指揮の下、アンリ・デュティユーのチェロ協奏曲を演奏し、絶賛を博した。
これは、パリ・オペラ座とロンドン・コヴェントガーデン歌劇場で上演されたときの映像が(残念ながら第二幕だけだが)残されている。美貌の歌姫トスカ(マリア・カラス)を籠絡するため、彼女の恋人を拷問にかけながら、ときにサディスティックに脅迫し、ときに猫なで声で優しく迫る、そのゴッビの姿と歌声は、権力を有する極悪人の脂ぎった迫力と「悪の魅力」を存分に表現し、思わず背筋が冷たくなるほどだ。しかも、その凄味は、CDの声だけでも存分に味わえるのだ。
なお、翌65年7月も、カラスはコヴェントガーデンでトスカを1回だけ歌った。それがカラスの最後のオペラ舞台になったのだが、その際のトラブルのことが、当時コヴェントガーデン音楽監督だった ショルティの自伝に記載されている。
カラスは、1953年頃に1年半ほどの期間に40kgのダイエットに成功。
その方法とは蛔虫ダイエットである。蛔虫の卵を飲み、腹の中で育てて、自身は痩せるという手法。
食事をしても、その栄養がカラダに回らないように、蛔虫に食わせ、自身は太らず、蛔虫が肥え太っていくという仕組みのダイエット方法だ。そして、痩せたら一気に、虫下しを飲んで、蛔虫を腹から排除するのである。
「体重が増えて一時期108キロはあると言われていたが、サナダ虫を体の中で飼ってダイエットしておおよそ1年で50キロ近く体重を落とした」、など興味深い話をまくしたてるように話して、トークショーの約1時間、まさに黒柳の独壇場だった。
加えて過酷なダイエットが、声に悪影響を与えたという説もある。ともかくも 1960年前後から、カラスの不調は彼女の優れた表現力をもってしても隠せなくなっていく。ソプラノの聴かせどころである高音域が徐々に不安定になり、楽譜通りに音域をカバーできない事態が増えた。公演のキャンセルも相次ぎ、舞台に立つ事も少なくなっていった。
■新音楽監督の指揮者ジャナンドレア・ノセダの略歴: 1964年、ミラノで生まれる。同地でピアノ、作曲、指揮法を学び、1994年に指揮者としてデビュー。ゲルギエフの信頼厚く、1997年マリンスキー歌劇場客演首席に抜擢される。1998年、スペインのカダケス管の首席指揮者、1999〜2003年ロッテルダム・フィルの首席客演指揮者を務め、2002年9月には、マンチェスターを本拠とするBCCフィルハーモニック管弦楽団の首席指揮者に、2003〜2006年RAIの首席客演指揮者、2007年9月トリノ歌劇場首席指揮者に就任する。日本でも、定期的に東京交響楽団、NHK交響楽団を指揮しており、度々来日している。
ゲーテの『西東詩集(West-östlicher Divan)』は、東洋と西洋の交流を通じてお互いに豊かな実りがもたらされることを象徴する作品である。ベルリン州立歌劇場の音楽総監督ダニエル・バレンボイムは、パレスチナの人文学者エドワード・サイードと共同でこの『西東詩集』というタイトルを選び、ある類いまれなプロジェクトの名称とした。
ソリストのサラ・チャンの演目はブルッフですが、相変わらすの美音で、楽器の歌わせ方が抜群で、艶っぽくて破綻のないすばらしい演奏でした。 少女から美しい女性になって緑色のドレスも美しかった・・・(^^
それに比べひどかったのがN響でやる気のないお役所仕事のようなつまらない演奏です。第1曲の「亡き女王のためのバヴァーヌ」はぽつぽつ、ブツブツでさすがに拍手もまばらです。案の定、「展覧会の絵」もでだしてトランペットがソロで音をはずしたりと惨憺たるものでした。指揮のノセダのがんばりでフィナーレでようやく調子が出てきましたが、あとの祭り。中学生のブラスバンドじゃないんだから、思いっきり吹いたら気持ちよかった、なんてありえないでしょう。プロなんだからもう少しまじめにやったらどうでしょう。それとも私の席が3階だったから?他にN響より下手でも熱心に演奏するオケはたくさんありますよ。客をなめてんのか!NHK丸抱えでオケに定年制があったりとまじめに精進する環境になく、指揮者もなめてるようなところがありますね。NHKの理事が不祥事で辞任してN饗に天下りしたりと、運営にも問題があるのでしょう。この演奏を黒田恭一さんは番組でなんというんでしょうか。辛口のようでも、NHKの番組でN饗をこき下ろすにもいかないでしょうが、番組の放映が楽しみです。アンケートに「N饗はいまいちのりが悪いのでは?」と書いておきました。帰ってきてからだんだん腹が立ってきた
・ライナーノートにも書かれていますが、第1楽章の途中、カラヤンがキーシンに「もっとソフトに」と指示を出し、キーシンが即時に対応すると、「それでいい」とうなずくシーンがはっきり見て取れ、驚きました。
・やはり第1楽章の途中でピアノソロの部分がありますが、ベルリンフィルのメンバーも、映像の端に映っているカラヤンも、ただ「待っている」というのではなく、キーシンの演奏に「聴き入る」という面持ちであったことは、キーシンのレベルの高さの証明なのかなあ。
具体的に演奏の中で印象的に感じたのは「アウフタクト」の扱いである。
冒頭の有名なイントロの後ピアノが4分音符を強奏で打ち込む中、オーケストラが堂々たる第1主題を奏でるのだが、この後ソロ・ピアノがこれを受け継いで奏でる箇所が初めて聴いたときから耳にこびりついてしまった。ここでは主題に多少の装飾が加えられているのだが、その装飾を加えていない小節を弾くときにキーシンはアウフタクトから次小節に入る瞬間にほんの一瞬の間を保って次に進むのである。旋律に見事に加えられた”見栄”の様な弾き方がどうにも気に入ってしまった。これは全体の要所でキーシンが注意して弾いている点である。
また、アッチェランド(加速しろ)の指示を常に節度を持って行っている点も印象的。何せこの曲ではこのアッチェランドで興奮を呼び起こそうとするパターンが常道なのだが、キーシンは絶対にやり過ぎを踏まない。これによって曲のフォームが揺らぐことがなく、曲の輪郭が聴き手にも常に見えるようなある種の余裕を与えてくれるのである。こんな演奏をわずか17才のピアニストが弾いているのだから驚くばかりなのである。
このライブが終わった後
カラヤンは、キーシンと、キーシンの母親に向かって、こういったそうだ。
「天才だ」と。
その言葉を、母親の横で聞いた、キーシンは、どんな気持ちだったのだろう。
どれだけ、自分のいままでの時間、存在、これからの未来が輝いたのだろう。
カラヤンに対して、どんな感情を抱いたのだろう。
しかし……、この僅か半年後に、カラヤンはこの世を去ってしまう。
そう、これはカラヤンの、最後の映像作品でもあるのだ。
あまりにも、ドラマティックではないか。

具体的に演奏の中で印象的に感じたのは「アウフタクト」の扱いである。
冒頭の有名なイントロの後ピアノが4分音符を強奏で打ち込む中、オーケストラが堂々たる第1主題を奏でるのだが、この後ソロ・ピアノがこれを受け継いで奏でる箇所が初めて聴いたときから耳にこびりついてしまった。ここでは主題に多少の装飾が加えられているのだが、その装飾を加えていない小節を弾くときにキーシンはアウフタクトから次小節に入る瞬間にほんの一瞬の間を保って次に進むのである。旋律に見事に加えられた”見栄”の様な弾き方がどうにも気に入ってしまった。これは全体の要所でキーシンが注意して弾いている点である。
また、アッチェランド(加速しろ)の指示を常に節度を持って行っている点も印象的。何せこの曲ではこのアッチェランドで興奮を呼び起こそうとするパターンが常道なのだが、キーシンは絶対にやり過ぎを踏まない。これによって曲のフォームが揺らぐことがなく、曲の輪郭が聴き手にも常に見えるようなある種の余裕を与えてくれるのである。こんな演奏をわずか17才のピアニストが弾いているのだから驚くばかりなのである。 |
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このときキーシンは17歳、カラヤンは晩年80歳であった。そのカラヤンはこの曲に関して調べたことから、通常速く演奏されすぎでありもっとゆっくり演奏すべきであると話したそうだ。キーシンはそれに賛同したが周りから注意しないとカラヤンも歳だからどんどん遅くなってしまうと言われ注意したそうである。確かにテンポを遅くとると、だれないようにするにはかなりの緊張とエネルギーを要するだろうから、高年齢の場合むしろつらいはずであり、ピアノ演奏などに顕著だが年寄り特有の癇癪が出たりする場合も多い。
この時の演奏はDVDでも出ているが(SONY)、BS生中継録画のビデオを持っているから久しぶりに見てみた。インタビューを読んで感じるというのも恥ずかしいのだが、以前見たときには若いながらカラヤンと共演しても堂々としていてなかなかいい演奏くらいの印象だったのが、改めて聴くとこれはただものではない。ゆっくりしたテンポ、堂々とした演奏だが、そのゆっくりした中できわめてテンション高くまた密度が持続し終わりまで耳が離れない。キーシンといえどもこのレベルの演奏には若さがプラスに効いたのではないだろうか。
番組の解説文「超スローテンポな演奏などで知られる”漂泊のピアニスト”ワレリー・アファナシエフの芸術に迫る。鬼才と呼ばれる彼の美学の原点には、日本の「もののあはれ」との出合いがあった。国が芸術家を支配することに絶望し、アファナシエフは母国・旧ソ連から西側に亡命した。その際、彼の脳裏には「自分は敗者である」という観念が浮上していた。そこで共感を寄せたのが敗者を慈しみ、時の移ろいをめでる「もののあはれ」の美学だった。「徒然草」や「源氏物語」を読みふけり、能の世界に入る中から、アファナシエフは極端に遅いテンポを通して、曲に潜むドラマをあぶり出す独自のスタイルを確立した。現在、フランス・ベルサイユで古書とワインに囲まれて暮らすアファナシエフの創作の秘密を、モスクワ、京都などに探る。秋の古寺で行った特別演奏も送る。」
日本を代表する女流ピアニスト、仲道郁代がショパンの時代の楽器の音を聴いたり、ショパンの音楽を育んだポーランドやフランスの空気に触れ、その名曲の秘密に迫ります。 仲道郁代,クリストファ・N・野澤,ゾフィア・ヘフリンスカ,東貴良,ジャン・イブ・パット,イブ・アンリ,【語り】渡邊あゆみ 「ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11 第1楽章から」(ピアノ)仲道郁代,(弦楽合奏)コモド弦楽四重奏団,「子犬のワルツ」(ピアノ)仲道郁代,「前奏曲 第4番 ホ短調 作品28-4」(ピアノ)イブ・アンリ,「ノクターン 嬰ハ短調 遺作」(ピアノ)仲道郁代ほか ショパン作曲
シューベルトの書いた最後の3つのピアノ・ソナタが収録してある。
最後にシューベルトが到達した境地。それをアファナシェフは冥府の音で表現している。
この曲のキモは、第2楽章だ。ここで終わらせて、もうひとつの《未完成》でも良かった?
いつも第2楽章を聴いた後は、続きを聴く気持ちが薄くなるんだ。無くても満足してしまう自分がいる。
今年になってから シューベルトの ピアノソナタ第 21番のマイブームが続いており、中古店で未聴の録音を見つけるのがささやかな楽しみである。昨日は アファナシエフのライブ録音(1985年)をいきつけの店で発見。 アファナシエフは、この曲を Denon レーベルでも録音している。
「シューベルトのピアノ作品の中で王冠の煌めいているのは何よりも変ロ長調ソナタであり、ベートーベン以後に書かれた最も美しいソナタである」という言葉は、決して誉めすぎではないのです。
ところが『ピアノ協奏曲〈ファイア〉』(08年初演)になると、
どうも勝手が違う。
火(ファイア)=動、水=静という抽象的な二元論が災いしたか、
攻撃的なアレグロと「癒やし系」の瞑想が交代を繰り返すばかり。
小菅優の献身的な打鍵にもかかわらず、
ピアノの超絶技巧も細部が掻き消されがちで、
ここはバルトーク風、ここはラフマニノフ風といった印象ばかりが残っては、
うかばれまい。
3楽章制協奏曲の伝統を力強く肯定するのは、
前衛をただ気取るよりよほどいい。
だが、「型」は独創の刺激剤となってこそ意味がある。
4楽章制交響曲が透けて見える『マルコ・ポーロ』の成功例があるのだから、
できるはずだ。
9月24日(水)タン・ドゥン指揮 NHK交響楽団
《9月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.バルトーク/舞踊組曲BB86a(Sz.77)
2.タン・ドゥン/マルコ・ポーロの4つのシークレットロード
-オーケストラと12のチェロのための(2007年版)[日本初演] 
3.タン・ドゥン/ピアノ協奏曲「ファイア」(2008)[日本初演]  
Pf:小菅 優
概要
- 第1楽章 Molto moderato
4分の4拍子、ソナタ形式。跳躍は少ないが、シューベルトらしい歌謡的な第1主題に始まる。瞑想するような低音のトリルの後、突如変ト長調によって主題の旋律が歌われ、曲はゆっくりと進行していく。第2主題はゆっくり行進するような嬰ヘ短調の二重奏によって開始され、イ長調、ロ短調、ニ短調を経て、変ロ長調に回帰し、やがてヘ長調の深く考え込むようなコデッタに至る。再び低音のトリルによって提示部が反復された後、展開部が嬰ハ短調で開始されるが様々な転調を繰り返し、トリルが連続する瞑想的な部分に至る。敢えてここに激しい昂揚をさせない点にベートーベニアーナに終わらないシューベルトらしさがある。再現部は一切省略なく形式通り。長大な楽章で、ピアニスティックでなく交響的な部分が多いため、ピアノ独奏には負担が大きい。
アファナシエフはピアノの巨匠であり、かつ作家、詩人、戯曲家等、その芸術の領域は計り知れない。ソビエト体制下の60年代、徒然草の翻訳を読んで「もののあはれ」を知ったという。芸術が国家に支配されるソ連を地獄と感じ、西側に亡命したのだが、西側の芸術派商業主義に支配されており天国ではなかった。現代は天才的芸術家を必要としておらず、ほんの少し注目を集めるスターが入ればいい。現代社会は芸術を生み出す力を失っていると語っていた。そしてアファナシエフは時代の流れから一歩身を引き、自分の芸術に生涯を捧げる覚悟を決めたという。「音楽は静寂から生み出される」という言葉が印象的だった。
亡命先のフランスで隠遁者のように暮らすロシア生まれのピアノの鬼才・アファナシエフ。深遠な演奏と、日本の「もののあはれ」の美学との関係に迫るドキュメント。
ところで、ビロード革命10周年記念コンサートの演奏曲目は、バッハ:トッカータとフーガニ短調BWV565、モテット「恐れるな」BWV228、無伴奏バイオリン・パルティタ第2番ニ短調BWV1004「シャコンヌ」、メンデルスゾーン:オラトリオ「エリア」作品70から「聞け、イスラエルよ」「恐れるな」、ベートーベン:交響曲第5番ハ短調「運命」作品67、バッハ:ミサ曲ロ短調BWVから“われにやすらぎを与えたまえ”の7曲でした。このときの衛星生放送はたまたま日曜日の午前2時55分から5時15分までだったので私は徹夜で食い入るようにテレビ鑑賞しました。教区監督エッケハルト・フォルバッハの挨拶とともにそのときのバッハの音楽は私の心の奥に深い感動を与えてくれました。クラシック音楽のもつ偉大さ、人の心や魂をゆさぶり、平和に生きることの大切さを無言のうちに伝えるその圧倒的な迫力には平伏せざるをえません。
今回は、モネ劇場管弦楽団・合唱団に加え、ネーデルランドオペラ合唱団が加わり、
さらに舞台上では「グレの歌」の物語(デンマークの詩人ヤコブセンによる物語。
中世デンマーク・グレ城を舞台とし、王・王妃・若い娘をめぐる嫉妬・毒殺・救済が描かれる。)
を象徴的に視覚化した映像がスクリーンに投影され、ダイナミックな舞台が展開された。
「グレの歌」 ( シェーンベルク )
| 前半 | : | 23時35分00秒 ~ 翌00時39分50秒 |
| 後半 | : | 00時40分50秒 ~ 01時35分30秒 |
| ワルデマール王 | : | スティーブン・グールド |
| トーヴェ | : |
アンネ・シュヴァンネヴィルムス |
| 山鳩 | : | アンナ・ラーション |
| 農夫 | : | ゲルト・グロホウスキ |
| 道化師クラウス | : |
エーベルハルト・フランチェスコ・ロレンツ |
| | |
| 語り手 | : | ブリギッテ・ファスベンダー |
| 合 唱 | : | 王立モネ劇場合唱団 |
| 〃 | : | ネーデルランド・オペラ合唱団 |
| 管弦楽 | : | 王立モネ劇場管弦楽団 |
| 指 揮 | : | マーク・ウィグルスワース |
しかししかし、この桁外れの傑作はその登場があまりにも遅すぎました。完成年は1911年ですから、完成直後に初演されたマーラーの交響曲第8番といい勝負です。しかし事前に十分名声を持っていたマーラーとは異なり、当時の青年シェーンベルクはまだまだ若く、そしてあまりにも無名でした。それに十分な実績と人気を誇るマーラーやリヒャルト・シュトラウスが存命中ということもあり、人々の注目は完全にこれらの巨匠たちへと集中してしまい、若きシェーンベルクの可能性に期待する人は少なかったのです。
しかも時代は大戦前夜。世の中があらぬ方向へ向けて大きく変化しつつある時代にあって、もはや完全に爛熟しきっていた後期ロマン派芸術の最後の楽園には、若きシェーンベルクが育てあげたこの美しい鉢植えひとつを植える隙間もないほど飽和状態に達していたといえます。
そして自らの居場所が無いことを悟ったシェーンベルクは、その後ロマン派的な調性音楽への未練をきっぱりと捨て去り、それまでの誰もが通ろうとすることのなかった、新しい試練の道を自らの手で開拓していことになるのです。
ヴァルデマール王は、侍従の娘トーヴェを愛し、グレ城に住まわせていました。やがてソのことは王
妃ヘルヴィッヒの知るところとなり、王妃は嫉妬に狂ってトーヴェを毒殺します。悲歎にくれるあまり
ヴァルデマールはは神を呪いますが、そのために天罰を受けて死後悪霊となり、国中をさまよいます。
しかし、肉体を失ってもなおヴァルデマールを愛し続けるトーヴェの魂によって救済されます。
とまぁ、ありがちなお話なのですが、いかにも後期ロマン派という感じです。なんとなく(はっきり
と)ワグナーの影が見えますね。
その後、ベートーベンの第7交響曲の演奏が続いたのですが、レーピンの後では全く話しになりません。「ただ生きのイイだけの若造の演奏」でしかありませんでした。ひどい話しですよ。同じ日の同じ会場の同じ演奏家達による音楽がコウなのですから....。
22. ニューイヤー・イヴ・コンサート1985 ウェーバー:歌劇《魔弾の射手》序曲 レオンカヴァルロ:歌劇《道化師》間奏曲 プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》間奏曲 リスト:ハンガリー狂詩曲 第5番ホ短調 ラヴェル:ボレロ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1985.12.31, 於 ベルリン ライヴ録音)
なんとなく見るものがないなぁ~と色々チャンネルを変えていたら、間違って?普段押すことのないボタンを押してしまいました。すると、カラヤン生誕100年記念番組のよう。 ベルリンフィルのコンサートらしい。えっと、チャンネルは東京MXテレビでした。
なんだか面白うそう♪と思って聴いていたら・・・う~ん、すばらしかった!
①ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
②レオンカヴァルロ:歌劇「道化師」間奏曲
③プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」間奏曲
④リスト:ハンガリー狂詩曲第5番 ホ短調 S.359-5
⑤ラヴェル:ボレロ
ボレロの生演奏は盛り上がります。感動的です。カメラワークも良く。一つの旋律をさまざまな管弦が順番に奏でていき、それまで小さな動きだったカラヤンが大きなく腕を振ると大音響になる様を良くとらえています。
この年の数年年に映画「愛と哀しみのボレロ」が公開されましたが、この映画の中の指揮者はカラヤンがモデルだそうです。そういえば映画を見たことがない・・・と思ったら、もう絶版??オークションだと3万円超えのお値段。あら~。
マスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスティカーナ』 1890年初演
2003年テアトロ・コムナーレ“ウンベルト・ジョルダーノ”(フォッジャ)/伊語/作曲:ピエトロ・マスカーニ/指揮:エリザベッタ・マスキオ/演出:ジョヴァンナ・ノチェッティ/演奏:カピタナータ管弦楽団及びウンベルト・ジョルダーノ合唱団/出演:マッダリン・モンティ、アントーニオ・デ・パルマ、マウロ・ブーダ、アンジェラ・ボンフィット、アンブラ・ヴェスパシアーニ ほか/振付:ルチーア・フィオーレ
マスカーニが、1888年、楽譜出版社ソンツォーニョ社が主催した一幕ものオペラ懸賞に、応募作として書いたのがこのオペラ。当時熱情の塊のようだった若きマスカーニがその思いを注ぎ込んだ渾身の作品は、見事に優勝して、マスカーニ初の劇場上演作として、1890年にローマで初演された。公演当日は新人の処女作ということで、評論家、音楽学者、劇場支配人、芸術監督といったプロばかり、あとはファナティックなオペラ・ファンだけで、客席の半分は空いていた。しかし演奏が終わるや熱狂的な拍手の渦が巻き起こり、翌日の各紙は絶賛、一夜にしてマスカーニは有名人になった。復活祭にちなんで、今月は復活祭にシチリアで起こった事件を内容とした、劇的なオペラをお届けする。
PMFオーケストラとルイジは、優れた集中力と明晰な把握によって、それぞれの変奏の特徴がよく表現された。冒頭からいい演奏になる、という実感があった。それから、チェリストのフォーグラーが美しく艶やかな音色で聴きほれてしまったほど、実に素晴らしい音楽を奏でた。
フランス二十世紀の作曲家メシアンもまた、宗教的恍惚と官能の愛を見事にドッキングさせた作曲家である。我がピアノの師ピエール・バルビゼは、「彼は十字をきりながらマスターベーションしているようだ」と評したが、言い得て妙というべきだろう。
イタリア・ヴィアレッジョ生まれ。隣町で、プッチーニの生地でもあるルッカのボッケリーニ音楽院で作曲、ピアノ、トランペット、声楽を専攻。その後、指揮法を学び、1989年からミラノ・スカラ座の指揮スタッフとなる。2002年に《オベルト》を指揮してスカラ座にデビューした後、欧米の主要歌劇場で活躍。日本でも04〜06年にかけてサントリーホールの“プッチーニ・シリーズ”を一人で指揮し、05年には、愛・地球博で《蝶々夫人》も指揮した。昨年12月にはベルリン・フィルの定期演奏会にもデビュー、コンサート指揮者としても注目を浴びている。09年にはサンフランシスコ・オペラの音楽監督に就任することが決まっている。
指揮者で選んだからです。
「ニコラ・ルイゾッティ」という、イタリア人指揮者です。
こう話すと、「まあ、マニアックね」なんて、言われますが、
一度、ルイゾッティの指揮を見てください。指揮者で選ぶわけが
納得します。
なんて、偉そうに書いていますが、実はこの日が初めてでした。
TVで見て、この指揮者いいかもと思ったときに、ホールオペラのチラシが
手元にありました。早速、チケットを購入、この日を待ち望んでいたのです。
9月の定期公演で演奏されるふたつの日本初演作品を紹介します。
ペーテル・エトヴェシュ作曲「セブン~コロンビア宇宙飛行士への追悼」、
そしてタン・ドゥンの作品。2曲とも作曲家本人が指揮します。
エトヴェシュは、1944年ハンガリーに生まれ、映画音楽の作曲家として国内で活躍後、
1979年に、ピエール・ブーレーズの後継者として
アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督となりました。
以後作曲家、指揮者として世界的に活躍しています。
「セブン」は、スペースシャトルコロンビア号空中分解事故の悲劇を取り上げた作品で、
2006年にN響がルツェルン音楽祭と共同委嘱した作品です。
タン・ドゥンは、1957年中国湖南省に生まれ、1985年ニューヨークへ移住した作曲家。
中国の民族音楽、西洋のクラシック音楽、ジョン・ケージや武満徹の影響など
多様な要素が融合した独自の作品を発表しています。
グレン・グールド賞、グラミー賞などを受賞し、
エトヴェシュ同様、世界中の歌劇場やオーケストラから新作を委嘱される人気の作曲家で、
近年は指揮者としても目ざましく活躍しています。
お二人へのインタビューを交えて、ふたつの日本初演作品をおおくりします。
ドニゼッティのオペラのうち「ルチア」、「愛の妙薬」それに「ドン・パスクワーレ」はイタリアの主用劇場のレパートリーから落ちることはありませんでした。パリでは「連隊の娘」や「ファヴォリート」はそこそこ生き残っていたようです。しかしこれら以外は全く忘れ去られたか、上演があっても極めて散発的なだけでした。
ドニゼッティのオペラの復活が始まるのは今世紀後半になってからです。そしてその際忘れては行けない名前が、マリア・カラスです。
カラスはまずそれまで軽量級コロラトゥーラ・ソプラノの牙城となっていた「ルチア」を、彼女のドラマティックな声と表現力そして類稀な技巧で生まれ変わらせ、世間をアッと言わせます。次いで彼女は1957年、伝説的なスカラ座での「アンナ・ボレーナ」でドニゼッティのプリマドンナオペラの素晴らしさを世間に知らしめます(スカラ座でこの作品が取り上げられた背景にはベルガモでのドニゼッティフェスティヴァルの成果があります)。
その後は多くのプリマドンナたちが競ってドニゼッティのヒロインを演じたため、70年代までにはかなりの数のプリマドンナ・オペラの作品が蘇演されました。特にライラ・ゲンジェルとモンセラート・カバリエはこのムーヴメントのリーダーだったといえるでしょう。
メトロポリタン歌劇場
ドニゼッティ「連隊の娘」
指揮:マルコ・アルミリアート
演出:ローラン・ペリー
美術:シャルタン・トマ
マリー:ナタリー・デセイ
トニオ:フアン・ディエゴ・フローレス
ベルケンフィールド侯爵夫人:フェリシティ・パーマー
シュルピス軍曹:アレッサンドロ・コルベルリ
クラッケントルプ公爵夫人:マリアン・セルデス
オルテンシウス:ドナルド・マクスウェル
スイスの村の小高い丘の上に遠くから聞こえてくる大砲の音。村人たちは、味方の勝利を祈りながら戦況を見つめている。やがて、勝利の報告が届き、旅の途上、戦争のために足止めをくっていたベルケンフィールド侯爵夫人と、付き人のホルテンシウスが山小屋に戻って来る。
そこへ、フランスのシュルピス軍曹がやって来て、マリーと一緒に歌う。マリーは、戦場で拾われ、シュルピスの連隊で育てられた孤児で、現在は連隊の酒保で働いていた。
スイスの若者トニオは、かつてマリーが崖から落ちたところを救って以来、彼女が忘れられない。一方のマリーも、トニオを愛していた。マリーの姿を求めて連隊の周囲をうろついていたトニオが、スパイ容疑で連れられてくる。マリーは、彼こそ命の恩人だと言い、トニオはマリーに愛を打ち明ける。ところが、ベルケンフィールド侯爵夫人がシュルピス軍曹と話すうち、マリーが行方不明になっていたベルケンフィールド侯爵夫人の姪であることが判明する。マリーはベルケンフィールド侯爵夫人に引き取られてパリに住むことになり、軍隊に入ったトニオと離ればなれになってしまう。
言語に対する関心が高く、リサイタルでもレコーディングでも、多言語の曲を同時に取り上げて、いずれも見事に歌いこなすことで知られる。特にフランス語に関しては、自国語の発音に厳しいフランス人の間でも評価が高い。もっとも、チェコ出身の人にとってフランス語は難しいようで、著名な指揮者であり後に度々共演するようになるマルク・ミンコフスキの前で初めてグルックのオペラを歌った際には、「素晴らしい歌だ。だが、何を言ってるのかサッパリ分からない」と言われてしまったという。
今回はメリザンドが、今をときめくマグダレーナ・コジェナーで、普通この役は「薄命で薄明の中でつぶやくようにフランス語を語るような歌うような」つまり、はっきりとしない感じでやられるのだが、コジェナーははっきりとめりはりが強く、フランス語はあまりらしくなく、となかなかユニークに演じていた。
昨日、NHKのFMで、ハイティンク指揮のフランス国立管弦楽団による、ドビュッシーのペレアスとメリザンドのライヴを放送しました。この、ペレメリ、私はオペラの中でもCDを最も多く持っている作品で、クリュイタンスやアンゲルブレシュトのCDは素晴らしいものです。
今回のハイティンク、同じオケとのライヴCDが先に出ていて、今回は、メリザンドにコジェナーを迎えている以外は初耳の名前の歌手たちで、ペレアスがバリトンであり、ゴローと区別の付きにくいのが難点です。往年のジャンセンのような、いくつもこの役をやった人ではなく、やや歌手には不満もありました。しかし、ハイティンクの指揮は、このオペラ、演奏会形式で壮大な規模に仕上げていて、まるで3時間の大交響詩のような雰囲気でした。オーケストラの雰囲気は、往年のフランス系のものには及ばないものの、デリケートな雰囲気を大切にしており、ハイティンク、オペラも多く振っていて、ベテランの味わいを見せてくれました。ぜひとも、映像で観たいものです。
このペレメリ、昨年、ヴェルザー=メストのチューリヒでの映像がDVDになりました。今話題のばらの騎士と同じコンビでのDVDで、素晴らしかったです。ペレメリはブーレーズのLDも持っていますが、映像的にはヴェルザー=メストの方がはるかに素晴らしかったです。一頃、新録音CDの出なかったこの作品、最近はまたよく取り上げられます。国際化の今、往年の名演のような雰囲気は求められないにせよ、新鮮な音楽の登場に期待したいです。
この<ペレアス>は全く雰囲気の違った作品で、道ならぬ恋というオペラではよく取り上げられるテーマを扱っていますが、筋立てとしてはリヒャルト・ワグナーの<トリスタンとイゾルデ>と似ています。楽想の持つ雰囲気も茫洋としている所等は似ていなくも無いのですが、より耽美的で優雅な雰囲気を持っております。この作品を<トリスタンとイゾルデ>に喧嘩を売っているような作品、とか軟派な<トリスタン>と評する人もいます
男寡でもう若くないアルモンド王国の王太子ゴローは、日の暮れた森の中で道に迷ううちに、長い髪の若く美しい女性が泣いているのを見つける。素性を尋ねるがメリザンドという名前、遠くから来たこと、冠をつけていてそれを水の中に落としたこと以外ははっきりしたことは判らずただ泣くのみである。ゴローはメリザンドを連れ帰る。数日後ゴローはメリザンドを妻にし、許しを得られたら塔の光で知らせるよう、もし願いが適わなければメリザンドを連れて王国を去ることを祖父の老王アルケルに手紙で告げ、目の衰えたアルケルに代わって娘ジュヌヴィエーヴが代読する。やがて王国の城に来たメリザンドはジュヌヴィエーヴに連れられて暗い城の中を案内され、ゴローの弟で若き王子ペレアスと知り合う。城の塔の外から不吉な水兵の歌が聞こえる。
幼少よりピアノによる即興によって、作曲を始める。桐朋学園大学で作曲、ピアノ、室内楽、指揮を学び、'93年同研究科過程を修了。作曲を川井学、三善晃、ブライアン・ファーニホウに、ピアノを間宮芳生、室内楽をジョルジ・クルターク氏に師事した。これまでに、第62回日本音楽コンクール第1位、安田賞、E・ナカミチ賞、山口県知事賞、芥川作曲賞(2001)、中島健蔵賞(04)などを受賞。また欧米豪州を中心にした活動は、国際交流基金、野村国際文化財団、朝日新聞文化財団、日加基金、外務省、ダルムシュタット(IMD)、ロワイヨモン財団(仏)、バルトークセミナー、OTHER MIND(米)他、多数の助成によって支えられている。'02年には、ロックフェラー財団(ACC)により、ニューヨークに滞在した。作品は、国内外の主要な音楽祭やセミナーの他、欧米豪州の現代音楽アンサンブル(イクトゥス、シャンダクシオン、エリジオン、ニューアンサンブル、フォルミンクス、アンサンブル・モデルン、リブラ、リミックス他)の委嘱を受け、また国際的に活躍する演奏家の指名による委嘱も多い(山根孝司、田崎悦子、宮田まゆみ、鈴木俊哉、吉村七重、シュテファン・フッソング、カリン・レヴァイン、マイケル・スヴォボダ、ヨーヨー・マ 他)。'03年、作品'第3の聴こえない耳'が、国際ヤコビ・コンクール(独)の課題曲に選ばれた。また異分野との仕事は近年特に活発で、いけばな、ダンス、演劇(宮城聰、鈴木忠志演出)の他、吉田喜重監督の映画<鏡の女たち>の作曲を担当し、特別招待作品となった、第55回カンヌ国際映画祭('02)に出席した。'89年から10年間、アンサンブル・マニュファクチュアを主宰、渋谷ジアンジアンでの定期コンサートでは、世界の最先端の作品を日本初演した。'98年アンサンブル・ノマド設立に参画。'99年からは第一線で活躍する演奏家と共に、舞台芸術としての音楽の在り方を新しく提案する<サウンド・ギア>プロジェクトに関わり、従来の演奏会のスタイルを超えた試みを、舞台芸術家と共に追求。その他、作曲フォーラム('99-'04)企画主催、アンサンブル・モデルン・アカデミー(IEMA)の日本での参画など、現代音楽の教育の可能性も探っている。'93年より桐朋学園大学に勤務、静岡音楽館講師。'05年より、トーキョーワンダーサイト(東京都)の音楽アドヴァイザーとして、若手音楽家の支援企画や、コンサートの企画を推進。自作品集CDは、近年連続して2枚がリリースされている(ベルギーCYPRES社とフォンテック社より)他、楽譜がEDITION WUNN(独)、全音出版社より出版されている。
ベートーヴェンのピアノ作品中はもちろん、古今のピアノ作品中未曾有の規模を持つ傑作。ピアノ独奏曲・ソナタとして歴史の一角を為すに相応しい高度で膨大な内容を有し、ピアノの持つ表現能力の可能性を極限まで追求している。その技術的要求があまりに高すぎたため、当時のピアノ及びピアニストには演奏不可能だったと言われる。しかし、ベートーヴェン自身は「50年経てば人も弾く!」と一切の妥協をせず、作品の音楽的価値(芸術性)のために考えうるすべてを駆使した。作曲に対する彼の後期様式を強く示す1曲でもある。ピアノソナタながら4楽章を有し、交響曲にも匹敵するほどの高度な内容と演奏時間(約40分を超える)をもつ。
両親が子どもを捨てるのではなく、ちゃんとお手伝いをしなかった子どもたちに怒りを爆発させて、大事なミルクの壷を割ってしまった母親が、逆上して、危険な夕方、森に野いちごつみに行かせてしまう。子どもたちは迷子になり魔女の家を見つける。子どもたちは魔女をオーブンで焼き殺し、お菓子にされていた大勢の子どもたちが生き返る。子どもたちを捜して両親がやってくるという穏健なお話に変更されています。
今回のプログラムでまず驚かされるのは、モーツァルトの傑作「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K.424」をリフシッツ自身がピアノに編曲したもの。これについてリフシッツ本人からコメントが届いているのでご紹介したい。
「この〈K.424〉は衝撃的な作品です。冒頭のたった10小節しかないアダージョの序奏を聴いただけで、この曲に込められた英知と別れの言葉を、そしてさらには終楽章の変奏を思い描くことができるのです。そして同時に封じ込められた悲しい意味に私が初めて気が付いたのは、ハンス・ハインツ・シュネーベルガーの卓越した演奏を聴いているときのことでした。これがまさに、私がこの曲をピアノで演奏しようと決心した瞬間だったのです。モーツァルトの音楽は、バッハの音楽と同じように楽器、オーケストラ、声楽という演奏手段の境界を超越しています。ですから私は、楽器をピアノに替えて演奏することに何の抵抗も感じませんし、日本の音楽ファンたちが、私の演奏を聴いて、多少なりとも、私と同じように感じてくだされば嬉しいと思います」
このオペラは、激しいラブシーンがあることで有名ですね。キスをしながらデュエットがよくできるものですね。印象的な場面は、初夜のベッドが空中に浮く、イリュージョンのようなシーンです。まるでベッドが宇宙遊泳しているようでした。そのベッドで二人が激しく抱擁するので、ハラハラもしました。

個人的には、ドミンゴの指揮振りを始めて見ました。指揮する映像も多かったので、ファンは喜んだでしょうね。希望としては、料金が3,500円と高いので、せめて2,500円にしてもらえば、もっと多く見れるのにと思いました。
両親をなくしたロジーナは、後見人バルトロの家に監禁状態になっている。バルトロは、ロジーナの遺産を狙い、娘ほど歳の離れたロジーナとの結婚を狙っている。
ふとしたことでロジーナをみそめたアルマヴィーヴァ伯爵は、「町の何でも屋」を自称するフィガロを使い、恋の成就のために、あの手この手の作戦を練る。
こっそり恋文を渡したり、ロジーナの音楽教師の弟子に化け、レッスンのふりをしながら駆け落ちの相談をしたり・・・。アルマヴィーヴァ伯爵の狙いに気づいたバルトロも、負けずに応戦。陰口を広めたりとドタバタ。
結局、アルマヴィーヴァ伯爵が、貴族の威厳を見せてロジーナを勝ち取り、バルトロには、ロジーナの遺産をやることで一件落着する。
このストーリーで結婚した、アルマヴィーヴァ伯爵とロジーナの後日談が、モーツアルト作曲「フィガロの結婚」となっている。
ロジーナ 深窓の令嬢、後に伯爵の恋人
アルマヴィーバ伯爵 ロジーナを見初める青年貴族
フィガロ 理髪師兼街の何でも屋、伯爵の協力者
ドン・バルトロ ロジーナの後見人、彼女との結婚を目論む
ドン・バジリオ ロジーナの音楽教師、お金に弱い
フィオレルロ アルマヴィーバ伯爵の従者
ベルタ バルトロ家の女中
小澤征爾と中国の若きピアニスト、ユンディ・リがベルリンで難曲プロコフィエフの協奏曲に挑むリハーサルのドキュメント。そしてユンディの生い立ち、プレッシャーを描く。 小澤征爾と中国の若きピアニスト、ユンディ・リが、ベルリンで難曲プロコフィエフの協奏曲に挑む。ユンディは史上最年少でショパン・コンクール優勝、かつて東洋からヨーロッパに乗り込んで指揮者コンクールで優勝した小澤を思い出させる。同じ中国生まれでもある。プロコフィエフが21歳で作曲した高い技巧を要する曲をすごい速さで弾こうとするユンディに、小澤も「若返るぞ」と意気込む。そして、ユンディにプレッシャーが…。
ユンディ・リの演奏の特徴は、きわめて明快でケレン味のないスマートな表現、若々しくフレッシュな
感覚、そして、ピアノから非常に美しい響きを出すための、音色に対する研ぎ澄まされた感覚などだと思います。
その優れた演奏技巧を駆使して、爽快に弾き飛ばすリストのラ・カンパネラやショパンの木枯らしのエチュードを
聴いて、ピアノというのは芸術というよりスポーツだと感じさせてしまうのは、彼の若さのなせる業と言えると
思います。
ジュリアーノの経歴は、ユニークである。
モダンとバロック両方のヴァイオリン演奏法を修得し、バロック、ロマン派、古典派、さらには20世紀の作品までカバーする広いレパートリーで高く評価されている。
今朝のラッシュアワー・ミュージックはクラウディオ・アバドが創設した
若き音楽家たちで組織された「オーケストラ・モーツァルト」の演奏で
J・S・バッハ作曲 ブランデンブルク協奏曲全6曲
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トランペット:ラインホルト・フリードリヒ、リコーダー:ミカラ・ペトリ
フルート:ジャック・ズーンたちの名手を加えたオーケストラ・モーツァルト
を指揮したアバドの演奏、まさにバッハのスコアに身も心も捧げた演奏。
意外や これが新鮮な響きの忘れられない演奏なのです。
過日の(2008.3.8 BSハイビジョン)からのデジタル音声録音。
~2007.4 イタリア・レッジョエミリア市立劇場~
大変頭の回転が速く、博学である。 イェール大学では 人類学を専攻していた。 クラリネットに関する話をしているときはいつも楽しそうな顔をしているが、本番のときに緊張していてもあまり周囲には気づかれず、むしろ楽しんでいるように見える。
「いずみシンフォニエッタ」のような小編成オーケストラの名人芸へ関心を移している。本人の弁では『細い筆で書きたい(各楽器声部を独立させ際立たせたい)』とのことだが、実際には各声部を16分音符単位でコミカルに動かすなど、速い旋律的動句を線的に用いることを追求している。この作風傾向は北爪道夫にも線的書法への傾斜という点で、類似がある。技法も円熟してこの時期からヘテロフォニカルな語法は作品背景の一部にしか現れない。汎アジア性の追求が空疎なエキゾチズム趣味に流れていない西村の優れた学究態度が作品にこめられている。
管楽合奏のための秘儀I、ピアノのためのスケルツォなどの近作は断章のモザイク化も顕著であり、ユニークな形式感覚への嗜好も目立っている。音色的にも軽く、聞きやすいオスティナートの率直な使用法に対し、「モーリス・ラヴェル的で聞きやすい」という形容も間違いとは言い切れない。2008年には「幻影とマントラ(2007)」が第56回尾高賞を受賞した
ジョン・アダムスはアメリカの作曲家。この曲は解説を見たらシェーンベルクの音楽とドタバタアニメから発想を得たとかいうようなことが書いてあるのですが、シェーンベルクを知らないのでよくわかりません。
メルクルのもと、N響はこの曲を、何とさり気なく美しく、いとも易々と演奏して見せたことであろう。オーケストラはいささかの破綻もなく、ほとんど完璧ともいえるほどのバランスを保っていた。さすがN響、ひとたび本気になれば難曲すらかくの如し、といった立派な演奏であったが、その代わり、この曲について回るスリリングな興奮もあまり感じさせない演奏で、「星の血の喜び」での絶叫の中の法悦も、続く「愛の眠りの園」での危うい陶酔も、ともに思いがけずあっさりと通り過ぎてしまった。第10楽章の大詰めでも同様、坩堝の深淵に投げ込まれるような興奮とはだいぶ距離があったようである(ただ、これがNHKホールでなかったとしたら、もう少し異なった印象を得たかもしれない)。 なお、ピアノはピエール=ロラン・エマール、オンド・マルトノは原田節。
N響定期、準・メルクルの指揮で、メシアン生誕100年企画、メシアンのトゥランガリラ交響曲が放映されました。準・メルクル、ドイツ系の指揮者ですが、このメシアン、今年はN響、チョン・ミョンフンともメシアンをやっており、このトゥランガリラ、N響の演奏するのは9年ぶりです。メルクルも楽譜を見ての指揮で、手馴れない部分もありましたが、ピアノにエマール、エンド・マルトノに原田節を迎えて、実演では実績ある名手と、このトゥランガリラ、古典となったことを示す好演でした。全体的にやや一本やりで、この曲、昨年放映されたチョン・ミョンフンの映像の方が上と思いますが、これもなかなかでした。このトゥランガリラ交響曲、調べたらドイツ初演はヴァントが指揮していると知り驚きました。肝心の世界初演者、バーンスタインの録音は残っていないものの、珍しい指揮者が振っている曲であり、そんな発見もありました。
参考までにN響による『トゥランガリラ交響曲』は今まで以下のような公演があります。(間違っていたらごめんなさい)
1962.07.04 - 小澤征爾、イヴォンヌ・ロリオ、本荘玲子(日本初演)
1985.03.27 - 外山雄三、高橋アキ、原田節
1985.03.28 - 外山雄三、高橋アキ、原田節
1988.09.08 - エサ=ペッカ・サロネン、ポール・クロスリー、原田節
1988.09.09 - エサ=ペッカ・サロネン、ポール・クロスリー、原田節
1998.04.08 - シャルル・デュトワ、ピエール=ロラン・エマール、原田節
1998.04.09 - シャルル・デュトワ、ピエール=ロラン・エマール、原田節
今夜の演奏、気合いもう一つ(^^;。
気合いというか、終始安全運転を心がけたような演奏でした。もう少し爆発しても
いいのでは?と思いましたが..。
ジャズバイオリンの世界ではステファン・グラッペリ、レイ・ナンスなど、スウィンギー、かつ グリッサンドを生かした演奏が多い中で、寺井は バップの基本スタイルを徹底的にマスターしたと思われる アドリブを展開しジャズ・バイオリン奏法に新しい解釈を与えた。
クレメラータ・バルティカは1997年、ギドン・クレーメル(バルト三国のラトヴィア生まれ)によって結成され、今では最も卓越したヨーロッパの室内管弦楽団のひとつとなっている。彼は、このオーケストラとの仕事を通じ、自らの幅広い音楽経験をバルト三国の若手の演奏家たちに伝え、それと同時にバルト諸国で新たに復興した独自の音楽の息吹をさらに促進し、鼓舞していくよう、努力を続けている。世界的に有名なソリストや評判の高い指揮者たちと共演するチャンスは、これらの若手演奏家たちにとっては素晴らしい刺激であると同時に、挑戦でもある。クレメラータ・バルティカが年間60回程度行うコンサートの中で、その多くが芸術監督であるギドン・クレーメルとの共演であるが、クレーメル以外の一流アーティストとの共演やツアーにも力を入れている。その中にはウラディーミル・アシュケナージ、ミカラ・ペトリ、ザビーネ・マイヤー、エフゲニー・キーシン、ミハイル・プレトニョフ、マリオ・ブルネロなどがいる。
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曲目は
「交響曲 第10番から アダージョ」 マーラー作曲
「バイオリン・ソナタ 作品134」 ショスタコーヴィチ作曲
「リトル・ダネリアーダ」 カンチェリ作曲
「ブエノスアイレスの四季」
アンコールは
「フーガ・イ・ミステリ」 ピアソラ作曲
(バイオリン)ギドン・クレメル
(管弦楽)クレメラータ・バルティカ室内管弦楽団
~2007年6月16日 横浜市・神奈川県立音楽堂で録画~
このコンサートは関西では確か無かったんですよね、でも生で聴きたかった!
いきなりマーラー#10のアダージョ 
全員(チェロ以外)は椅子なしの迫力、弦の美しさを極めた演奏でした。
マーラー#5のアダージョなんかも聴いてみたいけど、きっと当たり前過ぎるからしないのかな。。。
クレーメルは弾き振りで、一糸乱れぬ統率力でしたがまだまだ序の口、ショスタコあたりから徐々に鬼才ぶりがムクムク・・・・カンチェリ・ピアソラ・・・普通は避けて通りそうな選曲です。
ピアソラはバンドネオンの一人者ですが、ピアソラをちゃんと聴いたことないです、アコーディオンのCobaさんの曲ならエレクトーンで弾いたことありますが。
でもバンドネオンを感じさせない仕上がりです。
『ブエノスアイレスの四季』こんなに哀愁のある曲だったのですね。
アンコールはパーカッションのアンドレイ・プシカレフのマリンバ(?)とクレーメルのかけあいが素晴らしかった。
― 慶應ではワグネル・ソサィエティー・オーケストラには入られていなかったのですか。
猿谷 ワグネルのオーケストラには入っていなかったですね、慶應ライト(Keio Light Music Society)には一時期入っていましたけれども。ここは基本的にはビッグバンドのクラブなのですが、そこでギターを弾いていたのです。ロックやジャズなどをずっとやっていました。自分のグループは結構いろいろな所で活動をしていたのですよ、東京の老舗ライブスポットみたいな場所でね。ちょうどそのビッグバンドのギタリストが4年生でもうすぐ卒業を控えていたので「君は1年からレギュラーだ、君の未来はここにある!」などとおだてられてホイホイと入ったのです。ところがそこではアンプ運びばかりやらされて、もう冗談じゃないよと思って(笑)、すぐ辞めてしまいました。
過去には女性誌に歌手でタレントの やしきたかじんと結婚以上の仲であると報道されたことがある。結婚などの事実はないが、実際、たかじんの大ファンであり、舞台でもよくたかじんの歌を歌う。特番等でたかじんとの共演も多く、プライベートでも12時間以上の長電話をするなど、現在でもふたりの相性が抜群によいことが伺われる。
~グールドの強い個性が発揮された演奏だが違和感が強い。オケも粗い。よほどのグールドファンでない限り、お薦めできない。 アンチェルは知名度があるが、ゴルシュマンはあまり知られていないと思う。バレエなど舞踊音楽の伴奏指揮者としての幾つかの名演が忘れがたい人ではあるが、ここではグールドのペースに合わせるのみで、例えばチャイコフスキーの「白~~鳥の湖」で見せたような美点は霞んでしまっている。~
メンデルスゾーンは第3楽章で「あヽあのメロディ」といいたくなる懐かしいメロディが出てくるのですが,序奏はメンデルスゾーンが1827年の精霊降臨日に書いた歌曲「そは真実か?」から引用されており,それが全曲のモットーになって最終楽章にも登場するものです.
まことによく4つの 楽器のバランスが取れた優美な音を響かせた名演でした.
ロマンチストの豚 木下 牧子 曲 やなせ たかし 詩
本島洋子 ソプラノ 福山 孝 ピアノ 2008年5月9日 すみだトリフォニー小ホール
女声・同声合唱による10のメルヘン 愛する歌 (音楽之友社)より
ロマンチストの豚がいた
こころはやさしくおしりはまるく
ほそいひとみをまばたいて
いつもはなをならしていた
ロマンチストの豚 ロマンチストの豚
夢みる夜のあこがれに
みもだえしながらせつなくねむる
ロマンチストの豚がいた
暮らしはひどくて希望もないが
しかしほほえみわすれずに
いつも歌をうたっていた
ロマンチストの豚 ロマンチストの豚
夢みる夜のあこがれに
みもだえしながらせつなくねむる
ロマンチストロマンチストの豚がいた
ある晩背中に翼がはえた
白い翼をはばたいて
豚は空へとんでいった
ロマンチストの豚からは
それっきりなんのたよりもない
エリザベッタ:大村 博美
蝶々夫人もよかったけど、ドレスも似合うし、王妃さまに見えました。多少ぎこちない動きもあったけど、全体的に美しいシルエットが魅力的でした。最後のアリア、とても感動的でした。すらりと背が高く、しっかりとした体格なのが、他の歌手と対になったときも美しく、見ていて気持ちがいいです。
1867年3月11日のオペラ「ドン・カルロス」(フランス語版)パリのオペラ座初演は、ナポレオン3世夫妻とマチルデ王女、各閣僚や各国の使臣たちの華やかな姿で満ちあふれた。歌手も当時フランス一流の歌手がそろえられ、指揮はベルリンが担当した。しかし、これとは対照的に結果は惨めなものであった。ヴェルディ自身も不成功と大幅な改訂の必要を認めた。失敗の原因は上演時間が長過ぎたこと、低声が中心で地味な感じがしたことなどがあげられる。もう一つの失敗の理由としてナポレオン3世皇帝の皇后ウージェニーが、このオペラの内容に激しい反感を示したとされている。それは皇后はスペインのモンティホ伯爵の次女で、熱心なカトリック信徒であったため、このオペラの中での国王フェリペ2世と大異端審問官(高位聖職者)との確執に激しい反感を示して荒々しく席を立ったといわれている。
軽井沢を愛したフランスの作曲家-オリヴィエ・メシアン生誕 100 年記公演
堀米ゆず子(ヴァイオリン) 野平一郎(ピアノ)
チャールズ・ナイディック( クラリネット ) 工藤すみれ( チェロ )
【曲目】メシアン「時の終わりのための四重奏曲」

堀米ゆず子
(ヴァイオリン)
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野平一郎(ピアノ)
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チャールズ・
ナイディック
( クラリネット ) |

工藤すみれ( チェロ ) |
持続する極限的な緊張感と、シャープで冷たいしかし甘やかな響き。一つ一つは普通の楽器で演奏されているにもかかわらず、組み合わせが奇妙で、斬新な音色も出現して。第二次世界大戦中に捕虜になったメシアンが、捕虜収容所で作曲した音楽だということも、その時に番組の解説で知りました。 演奏はたぶんコンタルスキーやサシュコ・ガブリロフらによるものだったんだろうと思います。
1941年1月15日、8A収容所にて、ジャン・ル・ブーレール(ヴァイオリン)、アンリ・アコカ(クラリネット)、エティエンヌ・パスキエ(チェロ)、オリヴィエ・メシアン(ピアノ)による。メシアンは後にこのときのことを「私の作品がこれほどの集中と理解をもって聞かれたことはなかった」と語っている。 [1] 2008年は生誕100年にあたり、このドイツのゲルリッツの収容所でこの曲の再演が行われた。今年ここで開かれる「メシアン音楽祭」の前哨戦となっている。
で、私たちは何を見たか? まず、普通よりかなり低い椅子にかけて、せむしか何かのように背をまるめ、頚を短くして演奏する姿である。その結果、鍵盤が肘よりやや高目になるので、打鍵には肩や上膊の力がほとんど生かされず、前膊と手首からさき、特に目だって平べったくのばされた指の動きに重点がくる。[…]
ところが、ベートーヴェンの『皇帝協奏曲』のような長大な曲の場合となると、進むにつれて彼がしだいに周囲から切り離され、ある世界に深く進入してゆくさまが手にとるようにわかってくる。右手だけを使っている時の彼は、まるで右手の演奏を指揮するかのように、あるいはそこから生まれてくる音をある想像上の空港に着陸させようと誘導したり、あるいはその余韻を掌の中に包みこんでから、改めて解放し大気の中に飛び立たせてやろうとでもするみたいに、右手に沿って左手もいっしょに、さかんにあげたりさげたりする。そのうえ、同じ曲の第二楽章のように荘重な歩みで冥想的な旋律をひく時には、彼は上半身を右から左に輪のようにさかんにゆさぶりながらひくのだが、そうした時に限らず、早い楽句を奏する場合も、たえず、口をくちびるをパッパと動かして、リズムにのってうたっているのが見える。[…]
1959年のアンチェル&チェコ・フィル来日公演の評判を聞かされていた評者にとって、70年代初めNHKが放映したグレン・グールドとアンチェル&トロント響の「皇帝」共演は何とも居心地の悪いものだった。アンチェルの四角四面の指揮ぶりと、グールドの軟体動物めいたピアノがまるで噛み合わず、オケの技術も見るからにお粗末。観ていて辛くなる映像だった。アンチェル急死のニュースを聞いたのはそれから間もなくだった。
グレン・グールドの弾く、ベートーヴェンの皇帝を見ながら、彼のタッチの繊細さを目の当たりにしてちょっと感動! ドイツのオケをアンチェルが指揮しているのもなかなかで、カラー!よくこんな映像があったものである。 指の先のどこで弾くか、硬い音、柔らかい音、深い響きから浅い響きまでを使い分け、極めて明晰なピアノを聞かせる。第1、第2楽章は聞き逃し、第3楽章だけしか見ていないけれど、充分に感動!
ベートーベンの皇帝です。こちらはグレン・グールドのフル・バージョンです。
ピアノ演奏:グレン・グールド
松田奈緒美は日本人離れした歌唱力と頭声を持ち合わせたソプラノ歌手であり、世界的歌手であるエリザベート・シュワルツコップ、ウーヴェ・ハイルマンの愛弟子として研鑽を積み、今後日本を代表する大型新人として嘱望されている。
1980年沖縄県生まれ。沖縄県立芸術大学卒業。同大学にて声楽を中村智子、ウーヴェ・ハイルマンの各氏に師事。これまでに、第11回日本クラシック音楽コンクール第2位(一位なし)、第2回長久手オペラ声楽コンクール第一位、第9回おきでんシュガーホール新人演奏会オーディション・グランプリ等を受賞。03年11月には、NHKFM「名曲リサイタル」ソロ出演。04年~06年の3年間に亘り、チョン・ミョンフン指揮によるNHKニューイヤー・オペラ・コンサートに出演し、その類まれな歌唱力と表現力は非常に高い評価を得ている。
僧侶でまたチェリストとして、広島を本拠にコンサートやセミナーの主宰を多く手がけ、共演者に景山誠治、加藤知子、伊藤恵氏ら日本を代表する演奏家を招き、秋津智承セロ独り語り、秋津智承とゆかいな仲間たち・すばらしい仲間たち、チャペルコンサート等のシリーズで定期的にソロ、室内楽のコンサートを開く。また広島のお寺(自宅)でも大晦日にゆく年くる年コンサートを開催するなど、積極的にコンサートを開いている。8歳の時チェロを桐朋学園「子供のための音楽教室」広島教室にて故斎藤秀雄氏より手ほどきを受け、以来桐朋学園大学、ボストン・ニューイングランド音楽院卒。第46回日本音楽コンクール第2位、第8回チャイコフスキー国際コンクール第7位入賞。これまでに仙台フィルハーモニー、広島交響楽団の客演首席、桐朋学園大学・広島大学で講師を務める。現在、大阪フィルハーモニー交響楽団首席チェロ奏者、大阪相愛大学、広島音楽高校、桐朋学園「子供のための音楽教室」広島教室講師。また広島市安佐北区可部のお寺・願船坊副住職。2003年4月に初CD「バッハ無伴奏チェロ組曲全曲」をリリース。
私はこのサイトのトップページで、オペラは歌舞伎に似た所があると述べました。歌舞伎の有名な作品のひとつに「仮名手本忠臣蔵」がありますが、これは赤穂藩の浪士が主君の仇討の為に吉良上野介を殺害すると言うもので、これを題材に歌舞伎作家が芝居を書こうとしたところ早速検閲が入った為に、結局時代を室町時代に移し登場人物も大星由良之助などとそれと分る名前に変えて上演にこぎつけたものです。これとよく似た例がヴェルディの<仮面舞踏会>ですが、このページで御紹介するドニゼッティの<マリア・ストゥアルダ>も16世紀の中頃の英国での王位継承をめぐる悲劇を題材にした為か、作曲者本人に充分な説明もないままに国王の命により初演直前に上演禁止となり、彼は内容を大幅に書き換え舞台もフィレンツェに移して<ブオンデルモンテ>という作品として上演されました。こんな事もあって、ドニゼッティは友人に宛てた手紙の中で「こんなごたごたはもう懲り懲りです!」とぼやいていました。色々な困難の末に1835年にはようやく初演にこぎつけたのですが、その後もある場面での台詞が不穏当であるとの理由で検閲が入り再度上演禁止になってしまうと言う、難産の末現在の姿に至ったものです。
ドニゼッティの女王三部作のひとつ。ヘンリー八世の不幸な王妃の1人をヒロインにした歌劇「アンナ・ボレーナ」、エリザベス女王とエセックス卿との恋物語を描いている歌劇「ロベルト・デヴェリュウ」と、この作品をまとめて女王三部作と呼ばれているのですが・・・。
マリア・ストゥアルダというのは、いわずと知れた、スコットランドのメアリーのこと。生まれて数日で父スコットランド王を失ったメアリーは、まさにゆりかごの中の女王。このオペラでは、スコットランドとイングランドの統合をもくろむヘンリー八世の魔手を逃れて、母の実家があるフランスへ渡り、パリの宮廷で育ち、フランス王太子妃として華やかな日々を送っていたメアリーが、恋の鞘当も絡んで、イングランド女王に幽閉され、やがて処刑されるまでが描かれています。
アメリカ・ミズーリ州セント・ルイス生まれ(1937年~)。ボストン大学で声楽を学んだ後、カリフォルニア州サンタ・バーバラにてロッテ・リーマン女史のもと研鑽を積む。これによりの後の彼女の歌手活動に大変重要な影響を与えることとなった。17歳でローカルのラジオ局主催の声楽コンクールでグランプリを獲得。
その後、パリに渡り、アメリカ大使夫人ジャクリーヌ・ケネディの紹介でパリ・オペラ座のオーディションを受け、その稀有な才能が認められすぐさまオペラ座で「アイーダ」のアムネリス役に抜擢され、若干23歳でデビューを飾り、驚異的成功を収めた。
その名はたちまち世界に拡がり、主要オペラハウスから出演依頼が舞い込み次々とデビューを果たすが、特に、61年バイロイト音楽祭でカラヤン指揮「タンホイザー」のヴェヌスを歌い一世を風靡した。
ドイツ・オペラ、ベルカント・オペラ、フランス・オペラなど幅広いレパートリーで活躍を続ける一方、ロッテ・レーマン女史の教えのもとに培った 解釈力で歌曲の分野でも活躍している。
日本には過去2回のオペラ公演で来日しているが、今回は70歳記念の世界ツアーとして待望の再来日。
既にロンドン・パリ・ハンブルクで行った感動的公演のプログラムによる本邦初リサイタルとなる。
アグネス・パルツァのカルメンが「気のいいおばさん」っぽいのに対して、グレース・バンブリーのカルメンは「ご近所のいけないお姉さん」という雰囲気でしょうか。ただ、見かけが異色なわりには、このカルメンも意外にクセがないような気がします。過度に演技しているふうではなく、自然に見えるといいますか。この人の場合もやはり貫禄? 
彼らのテーマ曲とも言うべきモーツァルトの嬉遊曲(ディヴェルティメント)は、斎藤秀雄が死の間際に、医師の制止を振り切って合宿に参加し、弟子たちに命懸けの指導をした思い出の曲だという。彼らの演奏会では毎年、この嬉遊曲を演奏する。そして、必ずだれかが泣き出すと、小澤征爾は語っている。あの日の師匠がまぶたに浮かんでくるのだという。それは小澤自身の思いでもあろう。
パンドルフィ、ビーバー。マンゼの真骨頂はこのあたりにあるような気がする。それらは絵で例えれば具象画でなく、渦を巻いたようなモチーフがあちこちに見える抽象的な絵にみえた。ビーバーに至っては、マンゼは好き放題にその像を描いているように思った。最後の曲、8つのヴァイオリン・ソナタ第3番、縦横にヴァイオリンを操って突然の終止。聞いていたみんなは拍手も忘れて唖然とその終止を見ていた。 これまでその良さが分からずあまり熱心に聞いたことがないのだけれど、マンゼの演奏によってビーバーの魅力を新たに見せつけられた思いだった。
くらがりを誰か小走り風の盆 (季語/風の盆)
小池万里子
不思議な祭である。数年前に八尾の町を訪れたが、その踊り、三味線と胡弓、そして唄、どれをとっても惚れ惚れする。特に年配の男性が唄う越中おわら節には特に聞き惚れた。踊りと演奏と唄とがゆっくりと通りを進んで行く。いわゆる流しである。着物姿の唄い手は手を腰に当て歩きながらゆっくり唄いだす。高音部に達すると今にも途切れてしまいそうな、それでいてしっかりとした、糸を引くような声で歌い切る。それが今でも頭の中に残っている。
我々のような観光客やカメラマンが多く、神秘的な祭がやや俗っぽく見えてしまうのが少し残念であった。それでも少し通りを外れれば、この句のような雰囲気が漂っている。それにしても魅力的な踊りであり、唄である。『鰯雲』(2006年 ビ
レッジプレス)所収。(小倉喜郎)
近藤 譲氏は、東京芸術大学音楽学部作曲家を卒業。日本の現代音楽の作曲家です。
処女作「モノローグと五つの断片」で、コンクールに於いて入賞しています。
そして、大阪万博での「ブリーズ」の初演で注目を浴びました。
アメリカ、カナダ、イギリスの大学や音楽祭からの招聘も多くなりました。
主要作品には、「視覚リズム法」や、声楽・雅楽のための「壌歌」などがあります。
著書には、「音楽の種子」 「耳の思考」 「線の音楽」などがあります。
殊に最後に歌った《明日の朝》は筆者の最も好きな歌の一つでもあり、掛け合いをするソロ・ヴァイオリンとの呼吸もピッタリで、至福のひとときを味わうことが出来た.
会心の作品であり、しばしば引用されるところによると、「ありがたいことに、想像力は昔よりもそんなに衰えてはいないよ」と友人に語ったという。《 弦楽四重奏曲第13番》と《 第15番》とともに、ベートーヴェンの創作活動の頂点を極めた作品である。 シューベルトはこの作品を聴いて、「この後でわれわれに何が書けるというのだ?」と述べたと伝えられている。
大野和士指揮、名演出家ロベール・ルパージュの斬新な演出による ストラヴィンスキーの歌劇「道楽者のなりゆき」。
「道楽者のなりゆき」は 1951年に初演されたストラヴィンスキーのオペラで、 悪魔シャドウが嘘の遺産話で青年トムと恋人アンの仲を裂きトムの身を持ち崩し、 怪しいトルコ女バーバをトムに娶らせるというおとぎ話で、 物語の最後は 「放蕩は愛では救えない」 「若者は野心を持っても放蕩者になるな」 「アダムとイブの太古から悪魔は働き場があった」 というモットーで締めくくられる。
ストラヴィンスキーのバロック音楽を思わせる新古典的な音楽で、物語は軽快に展開していく。
(全3幕プロローグとエピローグ付・上演時間:約2時間20分)
最終更新日:2001年1月30日
愛音が聴いたオペラの中では、もっとも新しい時代に属しますね。。。現代ものは、オペラに限らず、本でもお花でも、なんでも苦手なほうなのですが・・・まあ、たまには、ね(笑)
作 曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー
原 作: ホガースの8枚の銅版画
台 本: W・H・オーデン、チェスター・コールマン(英語)
初 演: 1951年・ヴェネツィア・フェニーチェ劇場
登場人物: トム・レイクウェル(T)/アン・トゥルーラヴ(S)/トゥルーラヴ(Bs)/ニック・シャドウ(Br)/ババ(Ms)/セレム(T)
▼最後に紹介するのは昨年オーストリア、世界遺産ノイジ-ドラ-湖で行われるメルビッシュ音楽祭で上演された ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「ウィーン気質」。先日NHKでも放送されたのでご覧になったかたも多いと思うが演出を手がけたのは映画「ニュルンベルグ裁判」で アカデミー主演男優賞を受賞したオーストリアの盟友 マクシミリアン・シェルだ。オペレッタというと“おもしろおかしく”ということを優先させるのが常だが彼はしっかり舞台となったナポレオン戦争終結におけるウィーン会議が舞台となったことを明確にヴィジュアル化して一石を投じた。
Maximilian Schell

「ウィーン気質」はご存じのように、カール劇場のヤウナー氏が、多忙なシュトラウスに、過去の楽曲を集めてオペレッタを作って欲しいと依頼し、制作がはじまったものです。途中で、シュトラウスが亡くなってしまったため、アドルフ・ミューラーが仕事を受け継ぎ、完成させたものです。
1777年1月、演奏旅行中にフランスの女流ピアニスト・ジュノム嬢がザルツブルクを訪れたという。そして、ザルツブルクを離れられず悶々としていたモーツァルトの霊感を刺激し、大胆な独創性をもつフランス風のこの協奏曲が生まれたということから、
従来この曲は「ジュノム」と呼ばれていた。しかし、それは後世の作り話であり、レオポルトもモーツァルト自身も「ジュノム嬢」について何も書き残していないし、それほど才能があり有名な女流ピアニストなら、世の中でかなり話題になっていたはずなのに、どこにもそんな記事がなかった。
実際、モーツァルトは「ジュノメ夫人(Madame Jenome)またはジュノミ夫人(Madame Jenomy)のために作曲」と書いている。ただし、その人物を特定できる資料が分からないまま、いつしか「ジュノム嬢」は定説となっていた。
1978年、マルタ島生まれのテノール歌手。少年時代に『歌劇王カルーソー』の映画を見て影響を受けたというから、奇しくも名テノールのホセ・カレーラスと同じだった。ポール・シアークに師事してオペラ歌手の道を目指し、97年、ゴゾのオペラ・ハウスで『マクベス』のマクダフを歌って、本格的なオペラ・デビューを果たす。同年ウィーンのベルヴェデーレ・コンクールで優勝し、一躍脚光を浴びる。2003年以降、ベルリン・ドイツ・オペラ、ウィーン国立歌劇場、コヴェント・ガーデン王立歌劇場など主要な歌劇場に出演し、『リゴレット』のマントヴァ公、『夢遊病の女』のエルヴィーノなどを歌い、高く評価された。3大テノールの1人、パヴァロッティの後継者と目され、リリコ・レッジェーロの輝きのある高音を有する新進気鋭のテノール歌手として、将来を嘱望されている。
フィンランド放送交響楽団
指揮:サカリ・オラモ
ピアノ:小菅優
ソプラノ:ファニータ・ラスカッロ
シベリウス:交響詩「フィンランディア」
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
マーラー:交響曲第4番
昔カラヤンの悪口の中に、「演出過剰な表現」とともに「ワルツや商品ならいいけど」というものがありました。 悪口ではなく、カラヤンは最高のウィンナワルツを奏でられた指揮者だった事がこの映像で分かります。 ウィンナワルツはボスコフスキーという固定観念をさらりと洗い流す華麗なワルツとポルカを存分に楽しめます。 カラヤンの映像作品で、彼自身が演出したものはクローズアップを多用しすぎて見づらいのですが、これは オーストリア放送協会と共同制作のためか、さほど違和感無く黄金のホールでの演奏会を楽しめます。
なお『家具の音楽』というのは彼が自分の作品全体の傾向を称してもそう呼んだとされ、主として酒場で演奏活動をしていた彼にとって客の邪魔にならない演奏、家具のように存在している音楽というのは重要な要素であった。そのことから彼は現在の イージーリスニングのルーツのような存在であるともいえる。
8歳から ヴァイオリンを始める。14歳のとき、ヴィオラに転向する。転向した理由は、音楽学校の先輩に「ヴィオラはヴァイオリンに比べて練習時間がずっと少なくてすむから」と言われ、当時熱中していた ギターを弾く時間が増やせると思ったからだという。
最近の調査研究によって、今日あるほとんどのバロック期の室内楽曲は、多くの奏者が一緒に演奏することを想定してはいなかったことが明らかになってきています。十数人のイタリアならびにドイツのバロック期の作曲家たちによる数百ものコンチェルトは、少ない人数で、特に「ひとつのパートはひとりの奏者で」演奏されたものと考えられます。とりわけ、あの『四季』を含む、ほとんどのヴィヴァルディのコンチェルトではそのように考えられるのです。実際これらの楽曲ならびにそのような傾向の多くの作品において、作曲家は、低音部を補強するための「ヴィオローネ」ではなく、「ヴィオロンチェロ」を求めたのです。このことは、これらの作品においてはどのパートにも二人の奏者はいないことをほのめかしています。
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやでお母ちゃん 家を出ていかはった
客席に向かって自ら「紅白出場」を口にした岡林。茶目っ気たっぷりのリップサービスだが、長尾氏は「政治が乱れ、人の気持ちが壊れている今、昔のフォークが受け入れられている。(紅白に)出る価値のある人、出て欲しい人です」。果たして、神様の紅白初出場なるか。
岡林と同棲生活を送った 吉田日出子は、表現されているものと実生活に著しい乖離があり、偽善者と酷評。その後、岡林信康とは訣別している。また、日雇労働者の悲哀を歌った『山谷ブルース』は、岡林が 山谷に長期滞在して作ったといわれるが、実際には一週間程度しか滞在していなかった。
20世紀のイタリアが生んだ名テノール、ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti、1935年~ 2007年)はモデナ出身、父はパン職人でしたがアマチュアのテノール歌手でもありました。後にカラヤンの「ラ・ボエーム」等で共演するソプラノのミルレラ・フレーニ(Mirella Freni、1935年~ )とは同郷の幼馴染だそうです。
かつて、モンセラ・カバリエが「フレーニがあんなに痩せているのは、パヴァロッティがミルクをほとんど飲んでしまったからよ」と語ったのを読んだことがありますが、二人は同じ乳母によって育てられ、同じ幼稚園を卒園しました。
『カルーソ/CARUSO』作詞、作曲ルチオ・ダッラ(LUCIO DALLA)
美しい海が星々を招き
強い風が吹いている
ソレント湾に向いた
とある古びたバルコニー
そこで一人の男が娘を抱きしめている
彼はさめざめと泣いたあと
咳払いで声をととのえ
再び歌を歌い始めた・・
僕はあなたが大好きだ
そう、とても、とても好きだ
あなたはその熱い血潮で
こうして鎖を解き放ってくれる・・・・
「カルーソー」(ルチオ・ダルラ)
美しい海が 星たちを招き
強い風が吹いている
とある古いバルコニー
それはソレント湾に向いている
そこで 一人の男が娘を抱きしめている
彼は さめざめと泣いた後
せきばらいで声を整え
再び歌を歌い始めた
御歳90歳を越えた朝比奈隆の渾身のブルックナー!であるのだが、私自身は本演奏にはそれほど感銘は受けなかった。と言うのも、音楽に方向性が無く非常にのっぺりした印象で、しかも精細を欠く印象であるからだ。緻密ではない朝比奈の指揮にN響も頑張ったと言えばそうなのだが、朝比奈ファンのためのディスクであり、一般にはあまりお勧め出来ない。(Y)
Chorus & Orchestra of La Scala Soloists: Luciano Pavarotti, tenor (1935-2007. R.I.P Mr Pavarotti. We will never forget your wonderful voice) Leontyne Price, soprano Nicolai Ghiaurov, bas Fiorenza Cossotto, mezzo-soprano
I cannot do anything about the lip sync problem.
1984年ウィーンフィルハーモニーとの録音です。このあと、1989年3月にベルリンフィルと最後の演奏会を行いますが、その演奏は『レクイエム』としても最後の演奏になります。彼の演奏は一貫して「構築美」があります。ドイツ、オーストリアに身をおく人間が、これだけヴェルディの音楽を演奏したのも興味深いです。この演奏でもアンネ・トモワ・シントウがソプラノを演じています。晩年のカラヤンとのコンビは彼女がつとめています。
カラヤンが寵愛したトモワ=シントウ、バルツァ、カレーラス、ヴァン・ダムらの名歌手たちとともにヴェルディの「レクイエム」を壮大に歌い上げる。ウィーン・フィルも凄絶な演奏を展開。 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,ウィーン国立歌劇場合唱団,ソフィア国立歌劇場合唱団 アンナ・トモワ=シントウ(S)アグネス・バルツァ(Ms)ホセ・カレーラス(T)ホセ・ヴァン・ダム(Br)合唱指揮:ワルター・ハーゲン=グロル ●ヴェルディ:レクイエム |
そのマンゾーニの死(1873年5月22日)はヴェルディに深い悲しみをもたらした。ヴェルディはその個人的なショックが深かったことと、自らが参列することで厳粛な空気が乱されることを恐れて葬儀には列席しなかったが、同年6月3日個人的にマンゾーニの墓地を訪れて追悼を行った。そしてこの時点までに彼は新たな「マンゾーニ追悼のレクイエム」の構想を固めたらしい。ヴェルディは楽譜出版社リコルディ社の総帥、ジューリオ・リコルディを通じてミラノ市長にレクイエムの提案を行っている。ヴェルディからの条件は、初演の演奏に要する費用を市側が負担してくれれば、楽譜印刷の費用はヴェルディが支出しよう、というものであり、市長もそれを了承した。前回の「ロッシーニ」に懲りてか、ヴェルディはすべて単独で作業を進める心積もりだったようだ。
ヴェルディは1873年の夏、妻ジュゼッピーナと過ごしたパリで殆どの作曲を行い、翌年4月頃までには完成したと考えられている。なお同中「ラクリモーサ(涙の日)」は『ドン・カルロ』のパリ初演(1867年)時に演奏時間の都合でカットされた部分の転用、「リベラ・メ(我を救い給え)」は上記「ロッシーニ・レクイエム」の彼の作曲部分の転用である。
今日も ピアノコンツェルト。ですが、こないだが中村さんでベテランの傍若無人とも言うべき(・・・)堂々たる恰幅のいい演奏だったので、今日の ヘルムヒェンくんが大層かわいらしく好ましく思えました。(・・・)
今夜は、ヘルムヒェンが圧巻。Helm(兜)という勇ましい名前に似合わず、24歳の美青年で、繊細でフレッシュな感性と正確無比な技巧。弱音の美しさ、どこまでも粒の揃ったタッチ、決して混濁しない絶妙のペダリング。速めのテンポで爽快に進みながら、どこを切り取っても瑞々しい美しさで満たされている。ザネッティは、控えめな音量、切れのいいリズムで、ヘルムヒェンの紡ぎだす美しいテクスチュアを一層引き立たせる。
ミニマル・ミュージック( Minimal Music)は、音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる 音楽。 1960年代から盛んになった。単にミニマルと呼ばれることもある。
同世代のなかで最も注目に値する指揮者のひとりであるイオン・マリンは、1986年母国ルーマニアから亡命し、オーストリア国籍を取得。現在スイス、ルガーノに居住している。
ルーマニア、ブカレストの名門ジョルジュ・エネスコ音楽院にて、作曲、指揮、ピアノを学んだ後、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院およびシエナのキジアーナ音楽院で学ぶ。
イオン・マリンの最初の主要な地位は、1986~1991年、クラウディオ・アバドの音楽監督時代、ウィーン国立歌劇場の常任指揮者に就任したことである。その間、モーツァルトからベルクまで幅広いレパートリーを指揮した。
アバドがウィーンシュターツオーパーの音楽監督時代に常任指揮者を務めていたというイオン・マリン、去年はベルリンフィルにデビューするなど活躍目覚しい。今夜はN響との初共演。マリンは「とても気合いが入っている」と「ぶらあぼ5月号」のインタヴューで語っていた。
カリヨン (carillon) とは、フランス語または英語でメロディーを奏でるための複数の鐘を持った「組鐘」を意味する言葉である。その起源は14世紀頃(13世紀という説もある)にヨーロッパ地方のベルギーおよびオランダで使われた、時計の鐘が始まりとされる。英語ではチャイムとも言うが敢えてカリヨンと呼ぶ場合は以下に示すような演奏を前提としコンソールが標準化された楽器としての体裁を持つものを指す。
時代とともに鐘の数が増えて複雑なメロディーを自動演奏する技術が進んでいった。現在ではコンピューター制御のカリヨンも存在する。日本における学校のチャイムのメロディーで馴染みのある「ウェストミンスターチャイム」(通称ビッグ・ベン)はロンドンの時計塔の鐘のであるが、これもカリヨンの一種といえる。
アコスタは本当にはまり役。
頭でごちゃどちゃ悩む役どころよりも、魂の底から自由を求める衝動を表現するスパルタクスにぴったり。
頭使うのが似合わないとは言ってないが(汗)、ボディで思考するタイプ。
彼は誰よりも強く、まとまりのない人間の集団を率いていくカリスマ性もなければならない。柔らかい筋肉で高く跳び、優雅に着地する彼の動きがいちいち決まる。
彼が舞台にいると、他のものを見る余裕が全然なくなる
バルトークの弦楽四重奏曲第4番(げんがくしじゅうそうきょくだい4ばん)Sz.91は、1928年に作曲された弦楽四重奏曲である。第3番の翌年の作品である。前作が単一楽章で、A-B-A'-(B')という形のゆるやかな統合であったのに対し、本作は5つの楽章をもち、第1楽章と第5楽章、第2楽章と第4楽章とが速度・拍子・形式の上で類似しており、さらに中間の第3楽章は三部形式でその第1部と第3部がそれぞれ第1楽章・第5楽章と動機上の関連を持つ、いわゆるアーチ構造のシンメトリカルな構成となっている。また、打楽器的奏法や和声法では前作で示された方法論が一層徹底的に追求され、荒々しいリズムと不協和な和声とをより先鋭化する特殊奏法が第3番以上に多用されており、演奏技巧上、弦楽四重奏曲中屈指の難曲とされている。
バルトークはこの先、前衛性を矯める方向へ進むため、本作をバルトークの弦楽四重奏曲中の最高傑作に挙げる愛好家も少なくない
大大名曲、「新しい色の祝祭にて カリヨン」歌いました!素晴らしい。素晴らしい。今日聴いたのが三編曲目で、二番目に聴いた斉藤ネコさんの編曲版は少しだめでしたが、今日の山田武彦編曲版は、最初に聴いたピアノソロ伴奏版ぐらいに素晴らしい演奏でした。導入部を聴いただけで琴線に触れるような出来。前にも言いましたが、僕がここ五年ぐらいの内に聴いた中で一番の名曲。
幸田さんが、あるインタビューで、こう語っている。
「ドンギアさんは幾つものヒット曲を生み出しているイタリア人の
ポップス作曲家です。 “カリヨン” は、オーストリアの音楽祭
で歌っていた私の声にインスパイアされて書いてくださった曲
で、とても大切な曲です」
とのこと。
5分くらいの、ハ長調を基調としたゆったりと、でも、気取らず、
くつろいだ穏やかな曲想だけれど、聴いていて、ジワーっ、と、
胸が熱くなってくる曲。
満員の聴衆の拍手に応えてアンコールに
①ペッペ・ドンギア:新しい色の祝祭にて~カリヨン~ 山田武彦:編曲
②モーツアルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス(K618)
が歌われました。
エルガーといえば、まさしくイギリスの代名詞ともいえる作曲家。彼の作品を聴かずしてイギリス音楽は語れない。それほどまでにエルガーの作品はイギリス国民の間に浸透している。日本では、マスコミがイギリスの映像を放送するときに「威風堂々」第1番や交響曲第1番の第1楽章をよく流したりするので、エルガーの名前を知らなくとも彼の作品を必ずどこかで聴いているはずである。
ノビルメンテの言葉通りの高貴な序奏がモットー主題となって、全曲を通して登場する。ニ短調の主題が登場するアレグロ以降は、様々な要素が凝ったオーケストレーションで組み合わされて進む(全音階的な順次下降で長いフレーズを持つモットー主題と、それと対照をなす半音階的な上昇音型でリズミックな第1主題から、このあと多様なテーマが生み出されていく ※注)。
初演は1908年12月3日に、 イギリスの都市 マンチェスターにあるフリートレードホールで行われた。指揮はハンス・リヒター、演奏は ハレ管弦楽団によるものであった。リヒターはこの作品を「当代最高の 交響曲」と評したが、一部では構成に否定的だったり、主題の繰り返しがしつこいと指摘する向きもあった。いずれにせよ、初演は大変な反響を呼び、初演から1年で百回あまりも再演された。こんにちでも、イギリスや アメリカでは頻繁に演奏される。
あとは尾高が唖然とするほど見事な腕で調理してくれる。そうだ、尾高にまかせておけばいいのだ。
その第3楽章アダージョで、自席2階やや左前方から指揮者越しにコントラバスを観ることになるのだが、そのコントラバス、自分たちの番がないフレーズに、まるでオペラのストップモーションのように誰も動かない。なにか感動の空気が彼らに乗り移っているような見事な瞬間であった。
その空気は後半にも持続し、更に充実。シュトラウスの歌曲の陰影に富んだ世界をしっとりとした質感で描いていた。マロさんの甘いヴァイオリンとのデュオで歌った「あした!」の瑞々しくかつとろけるような魅力、そして「アモール」でのオペラチックで雄弁な歌唱は最後のアリアドネのアリアへの期待を膨らませる。
大阪府豊中市の生まれ。生まれたときの泣き声からしてソプラノだったという逸話を持つ。音楽への理解と造詣の深かった両親の元、愛情豊かに育ち、やがてその天賦の才が花開いていく。
1997年、東京芸術大学声楽科を首席で卒業。同大学院修了。後にオペラ研修所の第11期を修了する。さらに、文化庁派遣芸術家在外研修員の資格を得てイタリア・ボローニャで2年間研修留学を果たす。現在は、オーストリアのウィーンに引き続いてイタリアに在住。二期会会員。
近時、TBSの土曜夜、「ブロードキャスター」に稀にゲスト出演することがある。これ以外にもテレビ、ラジオ等メディアへの登場回数が増えるにつれ、全国的な知名度が上がっている。その美貌に加えて、潤いのある語り口に男性ファンが多い。
バルトークの 弦楽四重奏曲第2番 (げんがくしじゅうそうきょくだい2ばん)作品17、Sz.67は、 第一次世界大戦のさなかの 1915年から 1917年にかけて作曲された 弦楽四重奏曲である。 弦楽四重奏曲第1番からこの第2番までの間にバルトークは、バレエ音楽『かかし王子』やオペラ『 青ひげ公の城』といった舞台音楽の大作を書き上げ、民俗音楽のピアノ編曲を数多く行っている。こうした活動の影響か、この弦楽四重奏曲第2番は、第1番と比べ、音響上の効果や民謡風の旋律の断片がより効果的に用いられている。その一方で シェーンベルクの 無調音楽の影響も見ることができ、バルトークの作風の転換を示す過渡的な作品でもある。
この作品の第1楽章は葬送の音楽であるとバルトークはゲイエルへの手紙に書いている。しかも、その主題は彼自身が『シュテフィのライトモティーフ』と呼び、彼女に贈った協奏曲の主要主題のモチーフの変形から成っていて、2本のヴァイオリンが短いカノン風に呼び交わす構成になっている。この頃、二人の間で自殺論議の手紙がやりとりされている事実や、その後の二人の交際のなりゆきなどを含め、多くの研究者が注目するところである(バルトークの遺されている書簡では、シュテフィとの別れを迎えた当時の彼は、かなり落ち込んでいたらしい)。また、シェーンベルクが12音技法を確立する以前の作品であるが、冒頭3小節の間に12の音がすべて使われていることも、よく知られている。
第2楽章では、全音音階やオスティナート音型の使用が顕著で、特に後者は調性の軛から放たれた音楽をまとめ上げ安定させる装置として同時代の新ウィーン楽派やストラヴィンスキーが多用した音型として影響関係が認められる箇所である。
第3楽章は、ソナタ形式風の変奏曲。バルトークはその変奏技法を、民謡採取のフィールドワークから学んだとされている。すなわち、村から村へ音楽を採集し、あるいは同じ村の古老と若者から同じ歌を聴き、それらが変形してゆく過程に興味を持ち自らの変奏技法として取り込んだと言われる。この楽章ではその変奏技法と民謡がもっていたリズムの活力、シンコペーションの力強さ、変拍子の妙が十全に発揮されている楽章である。
音楽研究家セルジュ・モルーは、その著作『バルトーク』の中で、この作品とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番作品131との類似を指摘している。
ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタを演奏するときのチャレンジと言えば、感覚や精神のコラボレーションです。ドビュッシー以前の時代に書かれたソナタや同時期でも彼以外の作曲家の手によるソナタとは異なり、彼のソナタは、本質的に2つの楽器がお互いを伴奏しサポートしあうことは殆どありません。また一方が問いかけ、他方が答えるという関係でもなく、むしろお互いの意見を出しあっている感じがあります。ある物に向かって両者が独自の印象や感覚を表現しあい、徐々にその全体像が浮かび上がり、聴いている者にも一つのものとしてとらえられていくようなところが、従来のソナタとは違った響きや雰囲気を生み出しています。
この作品108は、他の2曲のヴァイオリン・ソナタと較べて、より外向的でヴィルトゥオーソ的な性質を持ち合わせている点が特徴的です。室内楽という言葉通りサロンタイプの部屋で演奏されるよりも、むしろ、もっと多くの聴衆が入るコンサート・ホールのような場所で演奏されることを念頭に作曲された感じがします。特に、最終楽章では、交響曲的な特徴のあるスケールの大きいセクションがあり、確かに音がよく響く広々としたスペースで演奏される方が効果的です。
ニネッタ役のチンツィア・フォルテ、第1幕歌い出しで、流石に違うなと感じずにいられません。正直言って、私が好きなのは、昨日の高橋薫子のような清澄感のある声。フォルテのは確かにいい声だし、声量もある。ただ、清澄感と言う意味ではちょっと違うんですね。でも、それを補って余りある良さもあるし(よく言えば深みがある)、これはこれで聞いていて楽しめる。で、何度も言うようだけど、やはり声量があるので、各所の表現に余裕が出ます。まぁ流石にワールドクラス、と言うべきか。このオペラでのニネッタの役としては、言わば高橋薫子とは違うタイプに見えて来る訳で、これはこれで確かにこの「重い」オペラには合います。
とはいえ、やはり今日の1番はシラグーザでしょう。大体がウィーンやミュンヘンの常連になってるバリバリの第一線ですからね。新国立劇場にも出てるけど、それにしてもよく呼んだもんです、藤原も。一頭抜きん出るとはこのこと。もう、聞いていて明らかに声が違う。声量も、昨日の五郎部俊朗とは違うけど、それ以上に声の質が。線が太いのに繊細感があって、適度に甘い。なんのかんの言っても私はやはりこの人好きです。あっちこっちで歌いまくってるので聞く機会も少なくなくて、だからなんとなく有り難みが薄いのだけど、実は勿体無い話でして。それと、やはり経験も豊富なだけに、舞台での所作が上手いのですね。単に自然というのでなく、どうやれば不自然でなくそれでいてはっきり観客に伝わるか、意識されている。本当にいい歌手だと思います。
他のキャストも、特に声量を含め安定感では昨日を上回る出来映え。安心して聞いていられるという奴ですね。
第1幕 ファブリッツィオ家の中庭
ファブリッツィオ家の広い中庭では、家族が兵役を終えて帰ってくる息子のジャネットを待ちわぴている。
召使いのピッポは、木の枝で、ピッポピッポと鳴くかささぎが気になっている。
ジャネットが戻り、家族や恋人のニネッタらと久しぶりの再会を喜び合っているところに、ニネッタの父フェルナンドがやって来る。彼は長い間、兵役を務めていたが、娘に会うための帰還許可の件で隊長と争い、軍法会議で死刑を宣告されて脱走してきたのだった。
フェルナンドは娘に銀の食器を託すと、それを売ってお金に替えて栗の木の下まで持って来てくれるように頼む。
そこへ行政官が現れ、ニネッタに脱走した死刑囚の手配書を見せる。そして、自分は眼鏡を忘れたので犯人がどんな人相なのか読み上げてくれと頼む。ニネッタは、父と反対のいい加減な人相を読み上げる。
行政官はニネッタに言い寄り始める。ニネッタが怒り、隠れていた父フェルナンドも出てきて邪魔するので、行政官は不満げに立ち去る。
ニネッタは通りがかった古道具屋に銀食器を売る。そこへ、ジャネットの母ルチアと父ファブリッツィオがやって来て、今日もまた銀食器がなくなったと騒ぎたてる。これを耳にした行政官はニネッタを問い詰める。つい、本名を口にしてしまったニネッタは脱獄囚の娘であることを知られ、父の逃亡資金のために盗みを働いたと見なされる。銀食器を売った金も見つかり、言い訳できないニネッタは皆から疑われてしまう。
恋人ジャネットが古道具屋に証言を求めると、確かにニネッタから銀食器を買ったがすでに売り払ってしまったと答える。しかも、食器についていたイニシャルはファブリッツィオ家のものと同じであった。
だが1965年、右手の2本の指が突然動かなくなってしまう。様々な治療法を試すも、一時的にしか回復せず、若干37歳にして引退をよぎなくされる。このことは彼のキャリアにおいて決定的な瞬間であったが、最近の治療により、彼を人生の半分以上において蝕んだ局所的筋失調として知られる神経性疾患を取り除いたのである。この数年、(頻繁にではないが)再び両手で演奏を行っており、40年ぶりに両手での演奏による「Two Hands」という音楽自伝的レコーディングを作成した。バッハ、スカルラッティ、ショパン、ドビュッシーの他、シューベルトの最後のピアノ・ソナタが収録されており、その後「Journey」が続いてリリースされた。(発売:ヴァンガード・クラシック)。
ピアニストとしてのキャリアを突然閉ざされてから40年間、フライシャーは指揮者と指導者という2つの平行したキャリアを歩み、同時に左手ピアノのための広範囲な、しかし限られたレパートリーを学んだ。1967年に指揮を始めたが、両手で再び演奏することを決してあきらめなかった。
指揮者との息をはかりながら
丁寧に弾いていきます。
とても印象的だったのは、
2楽章。
こんな通俗的な愛称がつけられなければ
よかったのにと思うアダージョ。
最弱音指定なのでしょうか
彼のピアノに
みんなが集中しています。
ここでは、目がうるうるしてしまいました。
そして
2楽章と3楽章をつなげる予告編のような
余韻。
サン・ボニファーチェ伯爵オベルトは、ローマのエッツェリーノ公の援助を受けたサリングェルラ家と戦って敗れマントヴァまで逃げたが、一人娘レオノーラはヴェロナの叔母のもとに預けられていた。ところがレオノーラはある日サリングェルラ伯爵リッカルドに見染められて愛を誓うが、リッカルドが勢力を広げると共に彼の心は次第に離れ、弄ばれた末に棄てられ、リッカルドはエッツェリーノ公の妹クニーザと結婚することになる。
2001年のカザルスホールでのライヴだけに、こまかい点をつつけば完璧とは言い難い箇所も拾えようが、そうしたところを超えて、シューベルトの「白鳥」に肉薄し得た彼の歌唱と、もうひとつ、野平一郎の、これもすばらしいの一言だけでは書ききれないほどの、名ピアノの充実さを書き落としてはなるまい。各曲の持つそれぞれの楽型の意味、その構成、その詩が必要とする音色、すべてに心の通ったシューベルトのナイーヴさが映されているのがなんとも嬉しい。
あと望むとすれば、日本人にとっての、難題とも言える”長大な呼吸による一フレーズの完結性”であろう。一息でほしいところが、やむなく息継ぎせねばならないのは、なんとも惜しい。ここまで到達できた河野なら、次回の「白鳥」はここをのり越えられるはずだ。(畑中)
山口県出身。東京芸術大学大学院終了。ドイツ政府給費留学生(DAAD)としてミュンヘン国立音楽大学に学び、その後ウィーン国立歌劇場研究員として研鑽を積む。第43回ジュネーヴ国際音楽コンクール声楽部門第2位(1位なし)、第37回ヘルトゲンボシュ国際声楽コンクール歌曲部門第1位、ザルツブルク市賞など数々の賞に輝く。ライン音楽祭、ザルツブルク音楽祭、アムステルダム・コンセルトヘボウ、その他ヨーロッパ各地でのリサイタルをはじめ、オペラ、オーケストラ、宗教曲の公演に数多く出演。日本国内ではソニー音楽芸術振興会主催「Performance Today」でデビュー。若杉弘指揮のNHK交響楽団定期演奏会において、マーラーの《さすらう若人の歌》を歌い、その瑞々しい歌唱力が絶賛された。日本の主要なオーケストラとの共演も多く、小澤征爾、ケント・ナガノ、クルト・マズア、ゲルト・アルブレヒト、ガリー・ベルティーニ、ユベール・スダーンといった内外の数多くの指揮者と共演している。彼のドイツ歌曲の演奏については、フィッシャー=ディースカウが「素晴らしい解釈と驚くべき集中力でリートを演奏する」(音楽雑誌『Schott』)と賞賛している。
そして、ガヴリリュク、すごかった~~~~。ピアノと一体化してるよ、彼。時には、ピアノにはり付くように鍵盤に接近し、表情も豊かに、腕から肩から、そして身体全体を美しく使って、音楽を奏でてゆきます。
ラフマニノフの練習曲集「音の絵」 op.39では、全9曲の曲間までもが、無い筈の音楽が聴こえてくるような美しい間がとられ、モシュコフスキーの熟達の練習曲 op.72-11変イ長調では、テクニックを要する曲と軽やかに戯れてみせる。
そして、「イスラメイ」。ミスタッチが随所にみられたものの、ご愛嬌。超絶技巧を披露したうえに、様々な豊かな音色を次々に繰り広げてくれます。大満足。
ベルリン・フィルのソロ・トロンボーン奏者オラフ・オットが率いるこの四重奏団は、1982年にドイツ伝統の教会トロンボーン四重奏として結成されました。その当時はメンバー全員がまだ10代でした! その後、四半世紀に及ぶ活動は、「天使のハーモニー」と称されるクリアな響きと、比類ない一体的なアンサンブルを実現してきました。
第7回東京国際コンクールで特別賞「ベスト・トロンボーンクァルテット」を受賞してから14年、満を持して、初の日本里帰りツアーを行います。
モーツァルトの「イドメネオ」に出てくる、いつも怒っている「エレクトラ」は、この劇の後年のエレクトラの姿。 ここでは、ミケーネ王である父アガメムノンを、その妻クリテムネストラと不倫を結んだエギストらに殺された、長女エレクトラが父の敵を討つという復讐劇となっている。 気が弱く女性的な妹クリソテミスと、復讐の実行犯である姿を変えつつ帰還した弟オレスト、エキセントリックで夢見心地のエレクトラ3姉弟の対比も鮮やか。
すべては トロイア戦争から始まる。この戦争の後に広がるなんと多くの物語が展開されるだろうか。 ギリシャ神話は ローマ神話へと繋がって行くのである。それはローマ帝国の神話となっていく。それぞれの皇帝の偉大さをプロパガンダする必要もあったのかもしれない。ともあれその思いは広大で人間的である。歴史と神話の世界が交差するのである。
イドメネオはクレタの王であった。イドメネオの祖父はミノスといった。ミノア文明という名称はこのミノスに由来している。さてイドメネオはトロイア戦争の時ギリシャ側につき、80の船の艦隊で参戦した。その理由はかってイドメネオも世紀の美女ヘレネの求婚者の一人だった。トロイアで多くの武勲をあげるが、アエネアスだけは歯が立たなかった。木馬の中にも入った勇者である。
勝利を得て帰国途上航海で激しい嵐に遭い、クレタに着いて最初に会った人間をポセイドン神に犠牲に捧げるとポセイドンに誓った。なんとそれは我が息子だった。心を鬼にして約束を果たした。
陥落したトロイア最後の王 プリアモスはヘクトル、パリス、カッサンドラ、そして イリアの父親であった。愛妾も多くて100人の子を得たとい。パリスがヘレネを伴い帰還した時にはこれを受け入れたのであった。
エレクトラはギリシの アガメムノンとクリュタイムネストラの娘で、弟オレステスと共謀して父の復讐のため母を殺害した。
マグダレナ・コジェナーは1973年チェコのモラヴィア地方で生まれた。父は数学者、母は生物学者という家であったが、彼女自身は幼いころからピアノと声楽に夢中で、その才能は幼少期からすでに他を凌駕していたという。オペラの子役に始まり、やがて歌劇場で活躍するようになった。
オペラ全体を振り返って、これまで見たイドメネオの中では、最高の感動をもたらす映像であったと思われる。その最大の要因は終始一貫してキビキビと流れたノリントンの手慣れたカメラータとの音楽造りにある。序曲に始まって随処に現れる行進曲や合唱の躍動感や活きの良さには素晴らしいものがあり、歌手を伸び伸びと歌わせるテンポの良さが際立っていたし、何回もある嵐の場面、海神の声の場面などは迫力ある圧倒的な響きを聞かせていた。
また、ヘルマン夫妻の舞台の広がりを生かした簡素な造りも説得力があり、白と黒を基調とした舞台にさり気なく置かれた単純な小道具、コーナーに置かれたポール(槍)、丸い石、椅子、傘や仮面などが重要な役割を果たしていた。また舞台上に不気味な姿だけを演じさせた海神の登場は、初めての試みであろうが、舞台上に絶えず緊迫感を与えるのに役立っていたように見えたが、異論もあると思われる。2000年に一度演出されたものの劇場を変えた改作のようであったが、現代的な感覚の中での物語に忠実な説得力ある美しい舞台造りには「コシ」同様に深い感銘を受けた。
歌手陣もタイトル・ロールを演ずるヴァルガスの声量もさることながら、クローズアップ時で見せた王であり父である避けることが出来ない苦しみの表情などは、見逃せない好演であった。コジェナーの演ずるイダマンテも女性の演ずる男役としてはこれ以上望めないものを感じさせた。シウリーナの演ずるイリアも透明感のある声を活用した純粋な愛を歌うことに好感が得られていた。人間的な感情をむき出しに演じたハルテロスのエレットラも見事な存在感を見せ、終幕の激しいアリアは、ともすれば場違いになるものを、あの場面に相応しいものにしていた。タイトル・ロールとこの三人の女性役が揃っていたこともこのオペラの成功の要因であったと思われる。また、舞台映像の美しさや優れたクローズアップ画面が目立ち、5.1CHのヘッドフォンで聴くと素晴らしく臨場感ある音楽の響きが得られ、現代のDVDの威力をまざまざと見せつけられた。
恐らくこの音楽祭のM22の中でベスト5以内に入りそうな素晴らしいDVDであったとご報告しておきたい。 このサイトを見ながらビデオを観るのがよい。
イドメネオ
エレットラは赤いドレスで強烈な性格を衣装でも現していたが、なんと言っても幕切れのアリア「オレストのように」はハルテロスの絶唱!アリアの後舞台の奥に客席に背を向け身じろぎもしないというのは、心憎い演出であった。遂にイドメネオが決心し、海神から与えられた斧でイダマンテを殺す瞬間イリアが身代わりにと飛び込んでくるわけだが、緊張感に満ちここでこのドラマの頂点が築かれた。天の声が鳴り響きイドメネオが王位を降り、イダマンテが王位につくという神託に群集が喜びに溢れ、新しい王の誕生とクレタの危機の回避を喜ぶ合唱は、奥舞台でイダマンテを囲みぐるぐると歓喜を表す渦巻きで歌われ、緊張に満ちた劇のカタルシスとなった。ところが結ばれる喜びに溢れるイダマンテとイリアが踊りながら前面に出てくると、そこには生贄にするための斧。はっと二人が退き、ややあって再び二人が相寄る。最後の最後まで細やかな計算がなされていた。それが生きていた。 指揮のノリントンも良く、ザルツブルク・バッハ合唱団、カメラータ・ザルツブルクとザルツブルク・バッハ合唱団も好演。感動的1夜となった。
2006年9月、ドイツのベルリン・ドイツ・オペラがその年の11月に予定していたモーツァルトの歌劇「イドメネオ」の上演を中止することを決定して、大問題になったことがあった。この上演では最終場でブッダ、キリスト、ムハンマドの切られた「首」を並べるという演出があり、2003年に同劇場で初上演した時は芸術的な評価においては賛否両論だった。
全三幕からなるこのオペラの舞台は古代のクレタ。トロイア戦争終結後、クレタの王イドメネオ(テノール)が帰還途中で嵐に遭い、海神ネプチューンに誓約をすることでこの危難から救われます。その誓約とは、クレタ上陸後に最初に出会った人物を生贄に捧げるというものでしたが、上陸後のイドメネオが最初に見た人物とは息子のイダマンテ(ソプラノ/カストラート)だったのです。ドラマの中心はイドメネオにおける父親としての愛情と神への責務がせめぎ合う悲劇と言えるでしょう。
一方イダマンテは、囚われの身であるトロイアの王女イリア(ソプラノ)とひそかに愛し合うようになっていました。ところが、アルゴスの王女エレットラ(ソプラノ)もイダマンテを愛しているため、彼女はイリアに対し激しい嫉妬心を抱いています。この三者が織りなす愛憎劇もドラマの重要な要素なのです。
イドメネオの苦悩は第2幕以降で展開されていきます。父親の愛情が勝る彼は側近のアルバーチェ(テノール)の提案に従って、イダマンテをエレットラとともにアルゴスに避難させようとします。しかし、嵐と怪物の出現によって二人の出帆は不可能となりますが、これは誓約を実行に移さないイドメネオに対するネプチューンの怒りの表明だったのです。民衆たちは突然の遭難に疑念を抱き始めます。ところが、イドメネオは生贄を拒否することを神に宣言してしまうのです。
そして、第3幕でドラマはいよいよ核心に迫ります。イドメネオは大祭司に生贄の実行を迫られ、とうとう生贄がイダマンテであることを告白してしまいます。怪物の退治から戻ってきたイダマンテは父王の苦悩を悟り、自ら生贄になろうとするのです。しかし、生贄を実行しようとしたとき、イリアが身代わりを申し出、その瞬間、イドメネオ退位の代わりにイダマンテが新王に就き、イリアを王妃とすべしというネプチューンの神託が聞こえてきます。これによりクレタに平和が戻り、ハッピーエンドとなるのです。(ただ一人、エレットラだけが不幸ですが
カラヤンの音楽的特徴は、 レガートの徹底した使用により流麗さを醸し出し、 高弦を鋭くさせることによって輝かしさを実現し、( 1960年代後半から)コンサート・マスターを2人おき、 コントラバスを10人ないし12人と大型演奏にすることにより、オーケストラの音響的ダイナミズムと、室内楽的精緻さという相反する要素の両立を実現したことにある。レガートの徹底した使用は弦楽器の弦と弓を可能な限り放さない ボウイングや、弦楽器奏者の他のオーケストラとは異なる右肘の高さ等からも垣間見られる。つまり、どんなに 金管が鳴っていても、内声や 弦パートがしっかり鳴っていなければならないことや、低音パートがいくらか先に音を出すことなどを要求した。これにより色彩感溢れるとともに重量感のある演奏が実現され、 ピラミッド型のどっしりとした造形が描かれることとなった。ライナー・ツェッペリッツ(ベルリン・フィルの首席コントラバス奏者)は当時「(オーケストラが)これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは今だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」との自信あふれる発言を残している。
けれどもそんな何もかもを補ってあまりあるのが、第3楽章アダージョ。ここではカラヤンの奏法と音楽との間にいささかの違和感もなく、ウィーン・フィルの魅力が最大限に活かされています。
ブルックナーのアダージョはいつも苦悩の底での深い祈りと、そこに注ぐひとすじの光に到達する階梯ともいうべきものですが、この8番も例外ではありません。殊にカラヤンはブルックナーの書いた音符を最も大事にしたハース版を使用しているので、救いに至る祈りをたっぷりと聴かせます。決して浮き足立つことのない安定したテンポ(カラヤンの長所のひとつは安定したテンポ感覚にあります。)、張り詰めた緊張感を保ちつつも神経質にはならず、オケを存分に鳴らして豊かな音を響かせる。
この楽章で大好きなのがあの優しい第2主題です。カラヤンのオーラのもと、ウィーンの弦が紡ぎ出す旋律の何と美しく暖かく肌触りの良いこと!そうしてじっくりと祈りの階梯を昇りつめてようやく到達するコーダの浄福。ワグナー・チューバの四重奏の柔らかい響きはまさに「オルガン・トーン」、その上に乗るクラリネットの優しい下降音型とも絶妙に響きあう。――本当にいつまででも浸っていたいと思わせるほど。
実は私が中学生の頃、FMでランドフスカの演奏する「神秘的なバリケード」(SPレコードでした)を聴いて、「昔の音楽なのに、今の音楽みたいに聴こえる!」体験をしてしまったんですね。
なんでそういうふうに聴こえたのか。きっと全篇シンコペーションで作られているからでしょう。当時はYMOの音楽みたいに聴こえました。
このヴェイロン=ラクロワの演奏を後に中古で買って聴いてみたら、ランドフスカのような衝撃が無かった。それは演奏の違いだったのか自分の耳が馴れたせいかわかりませんが。
フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集より
ロジヴィエール(第5組曲-1)
信心女たち(第19組曲-2)
葦(第13組曲-2)
プラチナ色の髪のミューズ(第19組曲-6)
神秘的なバリケード(第6組曲-5)
奇術(第22組曲-7)
双生児(第12組曲-1)
パッサカリア(第8組曲-8)
さまよう亡霊たち(第25組曲-5)
「凱旋」より 戦いの響き (第10組曲-1-i)
シテール島の鐘 (第14組曲-7)
ティク-トク-ショック、またはオリーヴしぼり機 (第18組曲-6)
クープランのクラヴサン曲の多くは、情景をありありと呼び覚ますような題名をもち、調の選択と冒険的な和声法や不協和音によって雰囲気を表現している。こうした特色がリヒャルト・シュトラウスを惹きつけて、いくつかの作品にオーケストレーションを施す気にさせた。また、鍵盤楽曲の小品に(しばしば幻想的な)副題を添える仕来たりは、クープランにまでさかのぼることができる。
フーガの技法の初版はオープンスコアで書かれているものの、バッハの時代に一般的に使用された鍵盤楽器の音域内に収まるように書かれており、また単独の奏者により演奏可能なのにもかかわらず、楽器指定がなされていない。これは当時の対位法的鍵盤作品にしばしば見られる形態であり、鍵盤以外の楽器で演奏されても良い旨を明言している作曲家もいた。また逆に協奏曲などを鍵盤用に編曲して演奏することもしばしばあった。こうしたことからバッハは、鍵盤独奏で演奏可能なフーガの技法について、いくつかの楽器の組み合わせによる演奏を容認していた可能性がある。現代では チェンバロ、 ピアノ、 オルガン、そして 弦楽四重奏や オーケストラなど、様々な楽器の組み合わせで録音されたり、演奏されている。例えばWolfgang GraeserやHermann Scherchenはカノン以外の全てのフーガをオーケストラ用に編曲している。また2004年にはKenneth Amisがフーガとカノンを木管合奏用にアレンジしている。
アーティストをある固定的なイメージで語る誘惑に、人は弱いものだ-ピエール=ロラン・エマールのユニークな経歴の、目を見張らんばかりの象徴的な出来事を見ると、そのような誘惑にまず囚われそうになる。1973年のメシアン・コンクール優勝-それからというものこの作曲家の作品といえば彼の名前が登場する。弱冠19歳の若さでピエール・ブーレーズによりアンサンブル・アンテルコンタンポランのソロピアニストに抜擢。また1980年代中頃から始まったジェルジ・リゲティとの極めて密接なコラボレーション。彼はこの偉大な作曲家に選ばれ全楽曲の録音を行なっており、またこの巨匠が作曲した数曲のエチュードは彼に捧げられている。ピエール=ロラン・エマールが新時代の音楽界における重要人物であることは疑う余地もない。
プログラムとしては、技術派としてきわめてまっとうな選択であるような気がする。以下、簡単に各曲の印象を述べる。
シューマン。上野真はこの難曲をいともたやすく弾いてしまう。ピアノの鍵盤を手の中におさめて弾いている、という印象である。テクニックは申し分なく、演奏は安定感して揺らぎもしない。トッカータというより練習曲のような雰囲気が漂っていたが、「えっ、こんな音が入ってたの?」と驚かされることが何度かあって、そういう意味においては新鮮な印象であった。
リスト。私は個人的にこの曲が大嫌いではあるが、ここまで文句のつけようのない演奏を聞かされると、参りました、というほかはない。甘すぎない硬派な歌いまわしが、ダレがちなこの曲に出口への方向性を与えている。装飾過多なこの曲、ヘタなピアニストの手にかかると、装飾部分を省略して弾いてくれればいいのに、などと思うのだが(失礼)、上野真の手にかかると、装飾に費やされたテクニックこそが味わうべき対象、というリストの時代の方法で楽しめるものになる。
バラキレフ。硬質なタッチは上野真の大きな特徴であり、それにバネをつけて跳ね回らせると上野真流イスラメイになる。一音たりとも弾きのがさない。重ねられた和音を超えて浮かび上がってくる旋律線。こんなに完璧に弾いてしまうピアニストがいるとは、バラキレフだって想像しなかったろう。
演奏は、繊細そのもので音色、音量に精緻な変化をこらした、それは素晴らしいものでした。こんなに溌剌とした、敬虔な、粗野な、夢幻的な、そして絶望的な音が出るんだ、とため息の連続です。響きも、もやもやとした霧のようなものから清冽そのものなものまで、また、旋律は時に流麗に歌い、時には意図的に断ち切られ。そして、何と言っても、ピアニシモの静かで深い美しさには、語る言葉を失います。そして、これらの諸様相が瞬時にして変化を見せることもあれば、アハムービーのようにグラデーションしていくこともあって、その移行そのものも聴いていて快感だったりします。
第1章を抜粋。朗読に先立って、カナダのラジオ聴取者のために 『草枕』とは何か、次のように解説した──
「『草枕』が書かれたのは日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います」
グールドが朗読番組で読んだ箇所 ──
忽(たちま)ち 足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下ろしたが、どこで鳴いているか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞こえる。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されて居たたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気がすまんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るかも知れない。
尾高のルトスワフスキは、うまかった。氏がUKで活躍していた1980年代後半は、
ちょうど作曲者自身がロンドンに度々客演していた頃と一致します。自分は、
Royal Albert Hallで"Chain 2" を作曲者指揮、初演者ムッターの独奏で聴く
機会に恵まれましたが、この時期から尾高氏は、ルトスワフスキに傾倒しています。
- 「N響アワー」(NHK教育TV)にて、パヌフニクの「カティンの墓碑銘」、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」を、尾高忠明さんの指揮で聴く。
- パヌフニク「カティンの墓碑銘」は初めて聴く曲だったけれど(パヌフニクの作品自体、聴くのが初めて)、技法こそ現代的なれど“音楽”として耳に(頭に)入って来易い曲で、しかも題材の内容もあり、悲痛・悔恨・哀悼といった情感もストレートに心に来る曲であった。音盤にて、いずれ再遭遇を望みたい曲。
- ルトスワフスキ「管弦楽のための協奏曲」は、音盤は2種持っていて(作曲者指揮のポーランド国立放送響盤と、バレンボイム指揮シカゴ響盤)、かなり前から聴き知っている曲だったのだが、しかし実は聴き通しても一度もピンと来たことが無い、いわば“難攻不落の城”のような曲だった。これが、記念すべきことに、今日のこの番組での演奏で、初めて“飲み込めた”感じを味わうことが出来た。初めて聴き馴染めて、こういう曲だったのか!イイじゃないか!と膝を打つに至れた次第。尾高さんは、邦人指揮者の中で、個人的に最も信頼を置いて聴かせてもらうことが出来る人です。
【どんな練習法ですか】つねにバッハを弾くだけです。それが稽古です。 【どうやって暗譜するのですか】扇風機や電気掃除機のようなノイズをそばに発生させることです。
【演奏中に何を考えているのですか】楽譜と自分に質問していることでしょう。それ以外に、みんなは何をしているのですか。 【好きなものは何ですか】録音室、軍艦色とミッドナイトブルー、囚人、地理的ギャップ。
【嫌いなものは何ですか】「大衆」という言葉、競争すること、芸術家の自慢、世代的ギャップ。
【あなたにとって対位法とは何ですか】和音すら分散して弾こうとすることです。 【好きな指揮者は】アイドルがアルトゥール・シュナーベルで、尊敬に値するのがウィルヘルム・フルトヴェングラー(第918夜)でしょうか。
【なぜあんなに文章を書いたのですか】ラジオとテレビをつけていると、文章を書かないではいられませんからね。みんなは何もしないで音楽やラジオを聴き、テレビを見ているのですか。
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| 千 夜 千 冊 BACK NUMBER |
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1144
| 『海上の道』柳田国男 |
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1143
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『異装のセクシャリティ』石井達朗 |
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1142
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『日本人の自画像』加藤典洋 |
1141
| 『稲と鳥と太陽の道』萩原秀三郎 |
1140
| 『猿と女とサイボーグ』ダナ・ハラウェイ |
1139
| 『カムイ伝』白土三平 |
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1138
| 『江戸の枕絵師』林美一 |
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1137
| 『ゲイ文化の主役たち』ポール・ラッセル |
1136
| 『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド |
1135
| 『非常民の性民俗』赤松啓介 |
1134
| 『日本創業者列伝』加来耕三 |
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1133
| 『市場の書』ゲルト・ハルダッハ&ユルゲン・シリング |
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1132
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『女帝の手記』里中満智子 |
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1131
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『日本/権力構造の謎』上・下 カレル・ヴァン・ウォルフレン |
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1130
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『多文明共存時代の農業』高谷好一 |
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1129
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『木村蒹葭堂のサロン』中村真一郎 |
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1128
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『江戸商売図絵』三谷一馬 |
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1127
| 『性的差異のエチカ』リュス・イリガライ |
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1126
| 『インターネット資本論』スタン・デイビス&クリストファー・マイヤー |
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1125
| 『ボランティア』金子郁容 |
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1124
| 『アヴァン・ポップ』ラリイ・マキャフリイ |
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1123
| 『笑いの経済学』木村政雄 |
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1122
| 『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル |
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1121
| 『百物語』杉浦日向子 |
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1120
| 『女性の深層』エーリッヒ・ノイマン |
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1119
| 『北条政子』永井路子 |
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1118
| 『ネット・ポリティックス』土屋大洋 |
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1117
| 『T.A.Z.』ハキム・ベイ |
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1116
| 『江戸の身体を開く』タイモン・スクリーチ |
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1115
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『資本主義のハビトゥス』ピエール・ブルデュー |
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1114
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『猫と小石とディアギレフ』福原義春 |
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1113
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『江戸の市場経済』岡崎哲二 |
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1112
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『田中清玄自伝』田中清玄・大須賀瑞夫 |
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1111
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『黒い花びら』村松友視 |
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1110
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『昭和という時代』鈴木治雄対談集 |
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1109
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『澄み透った闇』十文字美信 |
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1108
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『市場対国家』ダニエル・ヤーギン&ジョゼフ・スタニスロー |
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1107
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『負ける建築』隈研吾 |
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1106
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『未来派』キャロライン・ティズダル&アンジェロ・ボッツォーラ |
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1105
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『写真ノ話』荒木経惟 |
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1104
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『建築的思考のゆくえ』内藤廣 |
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1103
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『バイ・バイ・キップリング』ナム・ジュン・パイク |
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1102
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『コンセプチュアル・アート』トニー・ゴドフリー |
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1101
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『モダンデザイン批判』柏木博 |
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電子の自由が選んだ一冊を、あなたに。 |
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最晩年、グールドがとりくんだのは、なんと、すでに世界的名盤とされていた「ゴールドベルク変奏曲」の再録音だった。グールドは、自ら「(かつての演奏には)苦しみに耐える尊厳がなかった」と語り、新たなゴールドベルクの創造に情熱を傾ける。録音の様子は、映像でも同時収録された。そして、アルバム発表の翌年。グールドは脳卒中で、突然の死を迎える。「崇高な、個人を超越した演奏」ともいわれる、二度目の「ゴールドベルク」が語りかけるものとは?そして、グールドが現代にのこした遺産とはなにか?グールドが、生涯をかけて、めざそうとしたものに迫る。
ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」は、聴けば聴くほど、魅力のます音楽だ。
第一楽章の終結部分に、楽器ひとつひとつの響きを大切あつかった牧歌的部分があるが、僕はそこが大好きだ。まるで戦争で破壊され荒れ果ててしまった場所にも、何処からか種子が飛んできて、根付いて、名もない草花が芽生えてゆくようなイメージ。
この曲には、あきらかに先の大戦とその前後、ドイツや旧ソ連(ロシア)に蹂躙されたポーランドの悲劇が響いている。
第三楽章は長大なパッサカーリア形式。パッサカーリアの主要主題はまるで平和を希求する祈りのようにあるときは密やかに、あるときは決然と奏でられる。その周りを暴力的な動機が跋扈するなか、心の奥底からのつぶやくような祈りのあと、さらに暴力的展開を経て、第一楽章の牧歌的な部分が再帰する。この部分がとても美しい。
そして......「生への意思」の活発な動機を経て、ついに荘重なコラールが奏でられる。さながら生きることの尊さを歌い上げるように。決して破壊されることのない人間性を謳い上げるように。
中でもショーソン作曲「詩曲」というのは、親友の妻に恋焦がれる音楽家が、旅の途中、中近東で妖術を習い、それを曲にして妻を寝取った挙句、夫に刺し殺される、というツルゲーネフの小説を曲にしたものだそうだが、これまた派手なもの。 さいわい、演奏者の軽妙な曲目解説のおかげで楽しく聴けた。
リサイタル・シリーズB→C記念すべき10年目のトップバッターは、世界を渡り歩いてきたヴァイオリニスト、高木和弘。この人の経歴はちょっとスゴイ。中学、高校時代にすでに国内の数多くのコンクールに優勝、入賞。高校卒業後、恩師となる森悠子氏の門を叩いてリヨン国立高等音楽院へ入学。次なるステップとして20歳そこそこで今度はアメリカに拠点を移す。そしてシカゴのシヴィック・オーケストラのコンサートマスターを務めた後、日本に帰ろうと荷物をまとめていたところ、ひょんなことから一転、まだ見ぬ土地であったドイツのヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスターに就任。3年半の活動の後、日本帰国を決意し戻ってきてからまだわずか1年弱。すでに山形交響楽団や大阪センチュリー交響楽団などで客演コンサートマスターとして多忙な日々を送っているのだから、まさに「世界を渡り歩く」という表現がピッタリ。
| 高木和弘 東京交響楽団コンサートマスター |
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1972年、大阪に生まれる。6歳よりヴァイオリンを始める。
第2回京都フランス音楽アカデミーにてP.ドゥカン氏に師事。その後渡仏し、フランス国立リヨン高等音楽院に首席入学。森悠子氏、エドワード・ウルフソン氏に師事し、研鑽を積んだ。同校ヴァイオリン部門を首席で卒業し、渡米。南メソディスト大学でエドワード・シュミーダ氏の薫陶を受ける。2000年9月からは文化庁派遣芸術家在外研修員として、シカゴ芸術大学で森悠子氏に師事した。 |
アバドは21世紀に入って大病を患い、生死の狭間をさまよったが、奇跡的復活をとげ、新たなる意欲と情熱をもって取り組んだのが、スイスのルツェルン祝祭管弦楽団の再編・再生だった。
メンバーにはなんとベルリン・フィルの首席、元首席奏者はもとより、クラリネットのマイヤー、チェロのグードマンら世界的ソリストたちが結集、結果的にスーパー・ワールド・オーケストラというべき陣容を誇っている。
肝心の演奏の方だが、いかにもアバドらしく、きめこまやかな好演である。アバドが作品に対するこぼれるばかりの愛情を注ぎこんだ感動のマーラーだ。スケールも大きく、ルツェルン祝祭管弦楽団のみずみずしい音色も素晴らしいが、それ以上にアバドだけがもつ清楚で香り高い音楽性に心奪われる演奏で、きめこまかく、また優しさにあふれている。
「ツァラトゥストラはかく語りき」の中の「酔歌」をテキストにした歌曲楽章。
歌詞はこのようなもの。
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O Mensch! Gib acht! Was spricht die tiefe Mitternacht? Ich
schlief! Aus tiefem Traum bin ich erwacht! Die Welt ist tief! Und
tiefer noch als Herzeleid!
Tief ist ihr Weh! Lust tiefer noch als
Herzeleid! Weh sprich; Vergeh! Doch alle Lust will Ewigkeit Will,
tiefe, tiefe Ewigkeit!
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おお、人間よ! 注意して聴け! 深い真夜中は何を語っているのか? 私は眠っていた! 深い夢から私は目覚めた! 世界は深い! 昼間が思っていたよりも深い!
世界の苦悩は深い! 快楽−それは心の苦悩よりもさらに深い! 苦悩は言った。「滅びよ!」と だが、すべての快楽は永遠を欲する 深い永遠を欲するのだ!
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アルトの旋律は第1楽章の序奏主題の後半、第一主題部の旋律と関係を持っています。第1楽章の内容を言葉で語っていると考えられます。それをどう読み取るかはなかなか難しいのですが…。
指揮者の ブルーノ・ワルターは、1894年から1896年までハンブルク歌劇場でマーラーの助手をつとめていたが、1896年の夏マーラーに招かれてシュタインバッハを訪れた。ワルターの回想によれば、このとき、汽船で到着したワルターが険しく聳(そび)えるレンゲベルクの岩山に眼をとめて感嘆していると、迎えにきたマーラーが「もう眺めるに及ばないよ。あれらは全部曲にしてしまったから。」と冗談ぽく語ったという。休暇の終わりには、ワルターは新しい交響曲をマーラーのピアノ演奏で聴いている。
シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」は劇音楽ではなく交響詩なのですが、劇の筋をかなり忠実に追っています。またワーグナーの楽劇と同様に登場人物や事物に固有のメロディーを割り当てた、いわゆるライトモティーフ(示導動機)により曲が構成されています。加えて4楽章の交響曲のような構成にもなっています。
ここでは音楽と劇の進行、そこに現れるライトモティーフについて解説していきましょう。これらを事前に理解しておくだけでこの曲をより深く楽しめるようになると思います。便宜的に四つの部分に分けて説明しますが楽譜にはそのような区切りは一切記載されていません。なお、特に聴きどころの部分はゴシック太字で表記しました。
日曜日の新交響楽団のコンサートに向けて予習中。家にあったカラヤンBPO盤を流しつつ、ヒロさんから頂いたあんちょこでライトモティーフをおさらいしてみる。 楽譜を見るだけよりやっぱりこれは作っちゃえとMIDIを製作。ついでにHPのLM一覧表に付け足してみる。
シェーンベルクが 無調時代に入る以前の作品で、 後期ロマン派風の交響詩であるが、複雑な 対位法の駆使、四度和音の使用、 交響曲を単一 楽章に収めたような形式など、様々な試みがなされている。
2曲目は私的メインのメンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲ホ短調。カプソンはかつてクライスラーが使用していたという1721年製ストラディバリウスで、いつも通り非常に美しい音色を奏でます。若干迫力に不足するきらいはありますが、これほどきれいな音色が出せる人はそれほど多くないでしょう。ただ、さすがにCDで聴くほどに演奏は完成されておらず、ところどころほつれが見られたのは残念でした。また、何の魅力も感じられないオケの音色には辟易としました。いくら通俗名曲だからといって、この演奏はないのではないでしょうか。
カプソンのアンコールはグルック/「メロディ」。カプソンの持つ美しい音色が最大限に生かされたいい演奏だったと思います。カプソンが無伴奏で弾くのは初めて聴きましたが、なかなか聴かせてくれます。
3曲目はラフマニノフ/交響的舞曲。ラフマニノフ自身は最後の作品になったこの曲を「最高の作品であり、過去の総決算」と考えていたそうですが、私にはよくわかりませんでした。わからないのでレポを書くのもやめておきます。というか、書けません・・・。
以上、お目当てのカプソンが聴けてご満悦だったものの、他の曲はよくわからなかった今日の演奏会でした。渡邊一正とかいう指揮者の問題も小さくないだろうけど、N響もう少し頑張れ。
メータやシノーポリといった巨匠とも共演する売れっ子になり、「人が黙って拍手をしてくれるのが当たり前と思っていた」。しかし、自分を力づけてくれていたはずの聴衆のエネルギーが、自分のそれを超え始めていることに気付いた。同時に、1人で孤独に音楽に向き合う時間を自分の人生が欲しているのだ、ということにも。
「社会から距離を置き、音楽を消化し直したい」と長期休暇に入ることを決めた。寝転がって演奏を静かにイメージしたり、曲を五線譜におこし自らの分析を自由に書き込んだり。イメージづくりの時間は、今も大切にしているという。
仲道郁代のベートーベンは、眉間にしわ寄せて聴くものでは決してありません。
とても機知に溢れていて、聴いていると心からワクワクしてしまうような楽しい演奏なのです。
演奏者にとっては極めて難しい要求をしているであろう作曲者ベートーベンに対して、仲道は堂々と「私はこう思うの!」と言って、聴く者が分かりやすく聴けるように橋渡しをしてくれるから、ベートーベンの音楽が楽しくなるのだと思います。
久しぶりに聴いた仲道の演奏でしたが、「えっ、ベートーベンの音楽はこんなに楽しいの!」と思わず叫んでしまいそうなウィットに溢れた素敵な演奏でした。
正直、これまで聴いてきたフランクはいったいなんだった?っていうくらい、彼女たちのフランクは違っていました。たとえてみれば、前半のベートーヴェンとプロコフィエフを足して3倍にした感じ(^^;
美しく、上品な印象を抱きがちなフランクのソナタから、情熱と暴力、激しさと強靭さを引き出していました。第3楽章のレチタティーヴォの部分を頂点として全体を考えられていたように感じました。
彼女らは、とてつもなく情緒的でありながらも、冷徹な客観性を同時に持てる特異な才能。楽器から美しさだけではなく、汚さと残酷な面を引き出す魅力。
彼女のフランクは。。。しっかり「ドイツもの」していた気がします。
楽章ごとの曲調の違いが明確で、彼女の理解と表現意図がはっきりしていて、それは決して独善的なものではなく、人によっては地味な印象さえ抱かれかねない。でも、やはり全4楽章を貫く「音楽としての頂点」を見据えて、ピアニストとの確かなパートナーシップのもとに、実に美しいフランクを聴かせてくださいました。
4楽章はピアニストも相当テンション高かったなぁ(笑)、それでも大丈夫なのは、やはりイザベル・ファウストだからか?
素晴らしいフランクが聴けました。
「ソ連最後のヴィルトゥオーゾ」の名をほしいままにした男、ウラディーミル・フェルツマン。87年のアメリカ移住時にセンセーショナルな話題を提供し、一躍時の人となったが、ある時を境に第一線を退き、国際ピアノ・コンクールの審査員として時おり名前を見つける程度で、彼の動向は日本に入ってこなくなった。
カルミニョーラは、まるで歌舞伎役者のように見得を切りながら弓を振りかざしてズバズバと音符を切り刻み、マルコン率いるヴェニス・バロック・オーケストラもキッチリと脇を固めます。会場は笑いと熱狂の渦。基本的に私は、外連味の無い演奏を好む方なのですが、暗闇のアクシデントのおかげもあって、今日はイタリア音楽のエンターテイメント性を十分に体感出来たような思いがします。
その後もメフィストの手助けにより絶世の美女やすべての富を手に入れたりするが、年をとらない彼の前では、女性の美しさなど一瞬のもので、富も意味をなさないことを知る。後に残ったのは、年をとらないが故の永遠の苦しみだけだった。ある日、波に洗われる荒涼とした海辺の土地を眺めながら、民とともに荒れた地を整え、世界を作り治すことを思いつく。
この天地創造にも似た事業に生き甲斐を見いだしたファウストは、「日々、自由と生活のために戦うものこそ、自由と生活を享受するにふさわしい」と悟り、ついに、「この瞬間よ、止まれ、おまえはいかにも美しい」と<<満足>>することができる。賭に勝ったメフィストフェレスは彼の魂を地獄へ連れ去ろうとするが、天国から来たグレートヒェンの願いが聞き入れられ、ファウストは天使達により天国に導かれる。
解説:
悪魔は、信仰の力で撃退はできるものの、根絶することは出来ない。悪魔は我々の心の影ゆえに、我々がいる限り悪魔も存在するからだ。ファウストは、事業が完成するのを待たず将来の夢を確信したところで、<満足>を認めてしまう。悪魔は賭けには勝ったがその理由がわからなかった。ファウストの満足は真に高次元の欲求(人のために尽くすという自己超越)によるもので、悪魔にはない概念ゆえに理解できないのである。ファウストの魂をグレートヒェンが最後に救いに来たのは、高次元の欲求は信仰と同等に貴いと言いたかったのだと思う。
ゲーテの畢生の大作『ファウスト』の第一部で主人公のファウストは『ヨハネによる福音書』の冒頭の一節「初めにことばありき」をまず「初めに意味ありき」、次に「初めに力ありき」に書き変え、最後に「初めに行為ありき」と書き変え、筆を置きます。こともあろうにこの直後に初めて悪霊のメフィストーフェレスがその正体を現わすのです。「言葉」を「行為」へと書き変えた時、悪霊がその正体を現わしたのは何故でしょうか。こともあろうに自分で誘惑しあげくのはてに死に追いやった女性の魂に救われて、「われらを彼方へと導き行く」ものと言って、「永遠にして-女性的なものDas
Ewig-Weibliche」への賛美で『ファゥスト』の全編を閉じるのは何故でしょうか。ゲーテは自分のことを「自然研究者としては汎神論者。詩人、芸術家としては多神論者。実践道徳家としては一神論者」(『箴言と省察』)であると言います。芸術家としてのゲーテは如何なる宗教にもとらわれない多神論者ですし、「ただひたすら、それぞれの場面にぴったりした効果的な名文句を自分の登場人物に語らせること」、そのためには「クラッシックなものもロマンチックなものもどちらも同じように結構だ」(『対話』)というのが彼の創作論の基本思想です。従って、作品の場面場面の名セリフをいたずらに誇張評価したり拡大解釈したりするなら、ゲーテ理解としては滑稽なことになるでしょう。しかし、ゲーテの色彩論と批評論の根底に流れるプラトン主義からデカルト・ニュートン的自然観に対する批判まで、そしてカントとの遠近と、人類の思想の大河のなかでゲーテの精神と思想の重層をとらえかえすとき、ゲーテにおけるロマン主義と古典主義の系譜がおのずと明らかになってきます。理論と実践、行為の模範とか規範とか普遍的理念とかとしての言葉と行為、理念と行為。近代が開いた精神の扉に新たな様相を呈して刻み込まれたこの思想の緊張のなかで、ゲーテの「行為」と「永遠にして-女性的なもの」もその意味を自ら語り始めます。
管弦楽による導入部。弦楽器のざわめき、コントラバスとチェロの低音でのピチカート。不気味な雰囲気がただよいます。フルートの乾いた音色が印象的です。
そしてバリトンのソロが始まります。このバリトンソロだけを聞くために、この長大な交響曲を聞く、という馬鹿げた行為を、「馬鹿にする」ことがいかに馬鹿なことかがわかるほど、見事な歌です。私はこの歌を聞くことお勧めします。素晴らしい!まさに逸品です。聞いていて胸の底から熱いものがたぎるのがわかります。
バリトンの役柄は歓喜にひたる神父です。彼は人間ではありません。なにしろ空を上下に浮遊するんですからね(……)。歌うのは創造主への讃歌。力強く弱く、美しく、輝かしく、猛々しく、優しく、相対する言葉すべてを包むメロディ。詩の原文と訳文を並べるだけで、想像力が沸いてきます。
Ewiger Wonnebrand 永遠の歓びの火
Gluehendes Liebeband 灼熱する愛の絆
Siedender Schmerz de Brust, 煮えたぎる胸の痛み
Schaeumende Gotteslust. 神を思う泡立つ喜び
Pfeile, durchdringtet mich 矢よ われを貫け
Lanzen, bezwinget mich, 槍よ われを刺せ
Keulen, zerschmettert mich, 棒よ われを砕け
Blitze, duruchwettert mich, 稲妻よ われをうち倒せ
Dass ja das Nichtige, 意味なきものが
Alles verfluechtige すべて消え去り
Glaenze der Dauerstern, あの動かざる星
Ewiger Liebe Kern! 永遠の愛の 核心が輝き出るために
※訳:柴田翔(講談社刊 ゲーテ『ファウスト』下 講談社文芸文庫より
この部分は、ファウストの心情を見事に表すものだと、私はうけとめています。数々の冒険を通じ、ファウストが受け止めた物は永遠の愛。それは普遍的な愛です。異性だけでなく人間すべてに対する愛なのです。
この後、天使やかつて愛を誓い合ったグレートヒェンの霊などが登場し、皆でファウストの霊をあの聖母へと昇天させようとする物語が音楽で表現される。もはや交響曲というよりもオペラ、カンタータ、あるいはドラマでもあります。
この曲についてマーラーは、 ウィレム・メンゲルベルクに宛てた手紙で「私はちょうど、第8番を完成させたところです。これはこれまでの私の作品の中で最大のものであり、内容も形式も独特なので、言葉で表現することができません。大宇宙が響き始める様子を想像してください。それは、もはや人間の声ではなく、運行する 惑星であり、 太陽です」と述べている。また、「これまでの私の交響曲は、すべてこの曲の序曲に過ぎなかった。これまでの作品には、いずれも主観的な悲劇を扱ってきたが、この交響曲は、偉大な歓喜と栄光を讃えているものです」とも書いている。
第2部終わり近くからの「神秘の合唱」
は絶品。第2番でも終わり近くで、合唱が再弱音から徐々に盛り上がっていくが、それをもっと拡大したものだ。
第2番の終楽章の構成はベートーヴェンの第九終楽章の影響を受けているので、第8番もその流れをくむものなのかもしれない。
このように、急、緩、急、緩と交互に曲は進行して行きます、
奔放な音の飛び交いのように感じる音楽ですが、不思議な事にそれが違和感なくて、
光と影のようにバランスよく調和して聞こえてくるんです。
シューマンの二面性がありのままに露出しているような曲ですねぇ。
野平一郎の弾く「クライスレリアーナ」を聴いたことがない人には分かりずらいかもしれないが、バッハの技巧から19世紀の舟歌の手法まで、ベートーヴェン的な三部形式を踏襲しながらもシューマンの独自性が爆発的に展開するこの知的な難曲は、並の演奏家が演奏しても耳の肥えたファンが満足のいくようなものはなかなか生み出せない。
ラフマニノフは中村紘子のホロヴィッツのような弾けていない変な音が気になる。
1楽章は何が何だか分からず。
2楽章ではこんなヒステリックな曲かと思うくらいの前半部分の悲惨な演奏。後半ようやくピアノが落ち着くが…。
3楽章になると、ピアニストが速いテンポについていけない。オケはピアニストとは違いシャープに決める。
この曲を台無しにされた気がした。
だって、指揮台の上で飛び跳ねる人は多々見てきたけど、指揮台に飛び上がる人は初めて見たよ私。最初出てくる時、曲が終わって舞台袖に引っ込む時、次の曲で出てくる時、カーテンコールで出入りする時、もう小走り?スタタタタッピョン!って感じなんだもん。若さ有り余ってんなー。もうそれにばっかり感心。(いつもひどいけど、今回ますます クラシック感想してない。こんな私に クラシックカテゴリーは必要なのか?)
さて最初はハイドン。実は前回もハイドンが冒頭にありました。そのあとメンデルスゾーンの第2があり、メインがブラームスでしたね。 そのときの感想は某掲示板に書いたのですが、ハイドンの頭で思い出しました。あの時は「ひばり」。その柔らかでフワッとした出だしが実に魅力的だったんです。“ドイツの団体ながらアタックを強くせず、流れるように歌う”なんて生意気なこと書いてましたね。
この冒頭で「ヘンシェルの音」が瞬時に蘇りました。騎士も良く歌い、実に柔らかく、かつ活力に溢れた音楽が続きます。キモは終楽章、ここではかなり劇的な表現が付けられ、背筋を伸ばしてしまいました。 私にとって騎士は、青木Qの白鳥の歌(*)以来、あるイメージが付き纏って離れません。今回も無意識のうちに「そのこと」を思い出してしまいました。
さて、締めの曲は40番。この哀愁溢れる音楽をどんな風に演奏するのか… さっきの演奏から想像すると選曲を誤ったのでは、という危惧が漂う。ところが始まってみるとこれがなかなか、というよりすごくいい。駆け抜けるような速いテンポをN響は風が吹き抜けるようにスマートにさらりと演じる。余計な力が入らず、それでいてちょっとした魅力的なスパイスをあちこちにアクセントとして散りばめるセンスは絶品。音楽がキリっと締まる。
休憩を挟んで2曲目はラヴェル/「鏡」。これが白眉でした。エル=バシャから紡ぎ出されるピアノの音色は、使い古された言葉で形容するならば色彩感豊かなもの。下手をすると単なる音の羅列に陥ってしまうラヴェルのピアノ曲がこれほど多彩な表情を持って眼前に現れたのには、日ごろラヴェルのピアノ曲をそれほど聴かない私にとって驚きですらありました。う~ん、やはりラヴェルを弾かせるとこの人は凄い。思わず聴き入りました。この人の弾くラヴェルの協奏曲も聴いてみたい。
間髪置かず3曲目はラフマニノフ/練習曲集「音の絵」。恥ずかしながら、これは初めて聴く曲でした。演奏の方はというと、振幅の大きな演奏で、軽々と、時に大胆に表情をつけていました。冴え渡るテクニックも健在です。そんなわけでいい演奏だったとは思うのですが、今ひとつ曲になじめないこともあり、大満足というわけには行きませんでした。もっとも、これは不勉強な私の側の問題が大きいでしょう。
アン様!
熱心なファンは彼のことをこう呼ぶ。 1970年生まれのピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスは「19世紀の作家イプセン、20世紀の画家ムンクに続く、21世紀を代表するノルウェーの大芸術家」(ノルウェー大使のオーゲ・B・グルットレ氏談)だ。10代から演奏活動を始め、コンクールを一切経験せず欧米の音楽シーンの中心に躍り出たこともあって、日本では、これまで通好みのピアニストとして知られてきた。また彼の音楽性も、派手さとは無縁なところにあるからかもしれない。
今回はリサイタルと言うことで、先に述べたプロコソナタの6番だけではなく、シューマンと、スクリャービンなどもあったのですね。開始前こそ私もプロコ以外は全て前座ということで、処理済みだったわけですが、なんかもう「いったいこの曲は、どこの国の誰さんの何て曲だよっ!?」と叫びたくなるような(※ドイツの国のシューマンさんの交響的練習曲って曲です。ちなみに曲順は、主題、練習曲1〜7→遺作変奏曲4-5→練習曲8〜12でした)シューマンで、もうもう、めちゃくちゃ楽しかったです。
まず、そこら辺の鍵盤の貴公子とかピアノの王子様とは、モノが違います。ありゃもう絶対ロシアです。まずもってダイナミックの幅が違いすぎ。どこまで行くのか、ロシア人。そしてこのまま死んじゃおうかってな怒濤のロマン。でも、メルニコフのそれは根底がとても繊細な優しくってですね、泣けます。女ならこれで泣けって感じです。
ところで、シューマンの「交響的練習曲」といえば主題と12曲からなる変奏形式の練習曲、そして遺作である変奏曲が5曲から構成されている。私は、鈴木氏のデビューCD「Etudes symphoniques」のライナーノーツを読んで、その時初めて「遺作である変奏曲5曲は、曲の間に自由に入れることができる」ということを知った。つまり、この遺作たちが曲の何処に入るかによって、全体構成も大きく変わってくる、ということだ。これはとても興味深い。
シューマンの「交響的練習曲」は非常にクリアで優れたものだった。この作品を今までこんなにきちんと描いた演奏を聴いたことがなかった。ロマン派的なエキサイティングな演奏に接してきた。それはそれで優れていればいい。しかしこんなにいい曲だとは正直思っていなかった。「幻想曲」や「クライスレリアーナ」「フモレスケ」により魅力を感じていたのだ。
「交響的練習曲」には演奏上で3種類ほど選択があるが、ティボーデは「遺作変奏付き」をプログラムとした。僕は、「遺作変奏付き」でのロマン派的なエキサイティングな演奏では、その、ところどころに挿入される5つある遺作変奏のところで、なにかファンタジーが薄まるような緩みを感じてあまり好ましく思っていなかったが、ティボーデの演奏ではそうした違和感を味わうことなく、作品全体が”変奏曲”的な面と”練習曲”的な面を両立させて弾き通された。そこにピアニストになりたかったシューマンがいた。
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